あか

「経験した私らが言わにゃいかん」 反戦・反原発を訴え続けるお婆ちゃん

                                   
益永スミコさん。「死んどる暇はない」と元気だ。後方は外務省。=経産省前交差点。撮影:諏訪 京=

 「♪いのちを奪う原発いらない、ただちに廃炉、いますぐはいろ?♪」。桜がほころび始めた霞ヶ関は経産省前の交差点で、益永スミコさん(88歳)は道行く人に訴えていた。首から下げたプラカードを自作の歌にのせて左右に揺らしながら「原発廃止」を呼びかける姿は、米寿とは思えないほどエネルギッシュだ。

 スミコさんは、小さな体に似つかわぬ体力と精神力で、ベトナム戦争以来寒い日も暑い日も街頭に立ち、反戦を訴え続けてきた。「3・11」以後は、反原発も大事なテーマになった。

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福島潜伏記②

福島潜伏記②

                                

4月9日午前、福島市から南相馬市へ。途中、全村避難が続く飯舘村を通る。車窓から見ただけだが、人の気配はない。

                                 

午後、南相馬市を通る国道6号線をタクシーで南に向かう。原ノ町駅から5分もすると、通行禁止となる。ここから先は東京電力福島第1原子力発電所から20圏内になる。降り注ぐ放射性物質の影響で、一般の人は立ち入ることができない。若い2人の警察官が検問を行っていた。この日は、晴れてはいたが、風が強かった。仕事とはいえ、放射能と強風で「気の毒だな」と思ってしまった。

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震災日誌in仙台(3月後半)

3月30日  石巻市雄勝・その2  瓦礫の中から救出・雄勝硯(すずり)の名品の数々 <<   作成日時 : 2012/04/02 13:46  

             

石巻市雄勝の硯工人、遠藤弘行さん(59)を再訪した。本ブログ1月6日の項で紹介した。独力で地元名産、雄勝硯の製作を再開した。プレハブの工房の隣に、仮設の店舗が並んでいた。
広さはたたみ6畳ほどもあろうか。今月(3月)初めに作った。室内の棚には20点余りの、硯や雄勝石で作った文鎮、筆立てなどの商品が並ぶ。
小型のレジスターも備えた。ようやく、店らしくなりました、と遠藤さん。
かたわらの別の棚に、10点ほどの硯が並んでいた。被災硯とある。

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福島潜伏記① 

福島潜伏記① 

                                      

4月7日の昼過ぎ、福島駅に到着。そこから車で1時間余りをかけて、南相馬市へ。原発とはほぼ無縁ながら、高い放射線量のために全村避難を余儀なくされた飯舘村を経由して、目的地の南相馬市の道の駅に到着。時刻は午後2時半だった。

 この日から3日間の予定で開かれる、警戒区域・避難指示区域等の見直しに関する市民説明会は、予定の時刻をオーバーして続いていた。会場の道の駅のホールには、用意された椅子に座りきれないほど人が溢れていた。

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震災日誌in仙台(3月前半)

3月12日 宮城県山元町  お寺にボランテイア・パワー結集  地域の再生に苦闘する住民たち <<   作成日時 : 2012/03/13 00:21   >> 

                                                                            

震災から一年の翌日。二年目の第一日、山元町に向かった。大雪の予報が外れて、曇りながらまずまずの空模様。JR常磐線の山下駅前の橋元商店。当ブログの1月25日の項で紹介した。店に併設された簡易郵便局がこの日、再開局した。奥さんの橋元裕子さん(51)が窓口を守っていた。「用がなくとも笑顔で立ち寄ってくれるコミュニケーションのとれた簡易郵便局。最悪の状態の中で再開できたことがうれしい」と話す。
午前9時に始業。お昼近かった。チラシで知らせた訳でもないのに、午前中だけで20人近いお客さんがあった。コミュニテイ復活ですと、笑顔で話す。

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天皇陛下とローマ法王の脱原発発言

                                                                           2012年3月12日 13:56     

                                     
バチカン。左側の肖像写真は、ローマ法王・ベネディクトゥス16世=昨年6月、写真:筆者撮影=

 「原子力発電所の事故が発生したことにより、危険な区域に住む人々は住み慣れた、そして生活の場としていた地域から離れざるを得なくなりました。再びそこに安全に住むためには放射能の問題を克服しなければならないという困難な問題が起こっています」。

 11日、国立劇場で行われた「東日本大震災・追悼式典」で天皇陛下が述べられた、原発事故に関するお言葉だ。NHKは追悼式典をライブで伝えた。生放送であるため陛下のお言葉は一言も漏らさず伝わった。

 ところが同じNHKでも編集作業が加わるニュースでは「原発事故」の部分はカットされていた。民放もこの部分は省いた。このため、視聴者はインターネットや新聞などで全文をあたって読まなければ知ることはできない。

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たけちゃんの独り言

東日本大震災の日
◆1年前の金曜日午後2時46分に東北沖を震源とする大地震が発生、その時家にいた。揺れと長い時間は経験のない大規模だった。震源に近い人程驚いたし、津波が来ると言われても、大きな揺れの直後では、とっさの行動は誰もが儘ならなかっただろう。未曾有の大災害であり、翌日は福島原発事故も起った。連日悪夢のようなことが現実としてテレビは伝えた。被災地、被災者の皆さんはいまだ大変だと思う。市の防災無線から、追悼式に合わせて黙とうを捧げ、犠牲者の冥福を祈る呼びかけがあった。家で黙祷を捧げた。
◆テレビ、新聞などは1年たって、どうなったかとの多くの番組があった。今の状態をなんとかする復旧と将来を睨んでの復興は、同時進行でありながら順序もある。高齢・過疎化の進む中で、費用や将来の見通しで具体策を練り決断することは、個人、家庭、自治体、国みんな同じ悩みであり、遅いとの話はあるが大変なことだと思う。
◆だが、国の予算の実行が進まない話では、県市町村に負担比率のある事業は、大枠予算を決め、裁量を地方に任せる(責任)国の姿勢も大切だと思う。国との手続き先行を少なくすれば、もっと早く進むと思うが、そこが役所仕事なのだろうか。このHP上左 で紹介の「日本WEBリポート&ニュース」の記事中に「他自治体から応援に来ている職員の宿舎の確保に困り、空き家になった仮設住宅利用を総理来訪の時に訴えたが実現しない」とあった。なんでこんな事態の時にと思う.。ともかく1日も早い復旧復興を願う。

 2012-03-11
立川:たけちゃん

「ここに来れば福島の人に会える」 自主避難者の専用事務所オープン

                                                                                         2012年3月3日 17:27  
  
                                 

オープンした自主避難者の専用事務所。子供の絵本や積み木も揃った。=品川区。写真:筆者撮影=

 被曝を避けるために福島から関東一円に自主避難している人たちの専用事務所がきょう都内にオープンした。自主避難者たちは孤独に陥らないように、これまでひと月に一度、青山の施設を借りて顔を合わせていたが、品川区のマンションオーナーが厚意で提供した。(品川区戸越5‐14‐17ドゥエル藤博202)

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関電の全原発が停まる。 [くらしと安全(交通事故その他)] [編集]

もうすぐ、関電管内の全原発が停まりますね。

 この記事を読まれている方にも、色んな考え方、立場の方がいらっしゃると思います。

 しかし、それを超えて、ここ何十年か関電管内で原発が一基も動いていないという瞬間はなかったけれど、そういう状態が訪れるということそのものは、特別なことです。もちろん、大地震・原発事故、深刻な被害のせいでこうなったのですから、とても残念なことです。
 
 
 ただ、何事も、頭の中で想像するのと、実際にそうなっているのとは大違いですね。

 「もし原発が停まってしまったら」というのと「現に停まっている」のと。

 「現に停まっている」を前提に、「再び動かすのか」「もう動かさないのか」「できるだけ動かさないのか」を、自分のこととして国民みんなで考えていきたい、という風に思います。

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震災日誌in仙台(2月後半)

2月25日 その2  仙台市若林区三本塚   地域農業再生の夢なかば~故・相沢勝さんの遺稿 <<   作成日時 : 2012/02/26 22:11  

                                    

                                   

雪に覆われた仙台市若林区三本塚を訪ねたこの日、思わぬ原稿を眼にした。
三本塚農業実行組合の前組合長、相沢勝さんの書き残した原稿である。相沢さんは昨年の10月5日、心不全のため亡くなった。地域のリーダーとして様々な苦労が重なった。
それが、頑健な身体を蝕んだのではと皆さんが言う。当時59歳。地域の農業再生の夢なかばにしての、無念の死だった。
写真は昨年の7月、避難所の中学校体育館で話を聞いた時のものである。

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