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この記事についてつぶやく花の日露交流史(2)
北大植物園 生みの親
ロシアの植物学者マキシモヴィッチが幕末、函館山に登って植物採集を始めた年の1860年、後に牧野富太郎とともに名を残した一人の植物学者がオギャーと産声を上げた。
宮部金吾、91歳まで生き天寿を全うした。
宮部はマキシモビッチを師と仰いで交流を深めた。
宮部生誕150年目のこの春、北海道大学ではロシア科学アカデミーコマロフ植物研究所の副所長らを招いてセミナーを開催するとともに、宮部とマキシモビッチの花の交流を示す数々の貴重な資料が公開された。 (続きを読む…)
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この記事についてつぶやく花の日露交流史(1)
稀代のプラントハンター
1860年(万延元年)といえば幕末の時期、尊皇攘夷だ開国佐幕だと言われている中で、大老井伊直弼が暗殺されて世の中混沌、日本はどこにいくのやらといった時代である。
ロシアの一植物学者が、開港したばかりの箱館の地に足を踏み入れた。
二度目の極東旅行であったが、日本が鎖国政策を解いて下田とともに箱館を開港したと知って、ウラジオストックから箱館に入った。
彼は植物採集をする助っ人を雇用し、二人三脚で箱館にとどまらず日本を駆け回って植物を採集し、日本の植物を次々に世界に紹介した。
マキシモヴィッチ、日本の植物史上大きな足跡を残したマキシモヴィッチが箱館山に上ったのはちょうど150年前である。
節目の今年、北海道大学で幕末明治期の日ロ間の花の交流史展が開かれ、数々の記念講演が行われた。
そこに、プラントハンターという名にぴったりの一人の日本人が紹介されていた。
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この記事についてつぶやくイザベラ・バード見聞記に批判 (下)
イザベラ・バードが書いた本で、ブラキストンやケプロンが批判しているところは、どのように書かれているのか、一つ一つ点検してみようと試みた。
私の手元にある本は高梨健吉訳の Unbeaten Tracks in Japan 「日本奥地旅行」・平凡社 である。
バードの本では、日本でもっともポピュラーな本である。
すると不思議なことに気づいた。
本をなめるように見ても、批判されている文言の一部が見あたらないのである。
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この記事についてつぶやくイザベラ・バード見聞記に批判 (中)
<開拓使顧問、ケプロン>
イザベラ・バードを批判しているもう一人の人物は、アメリカ人 ホーレス・ケプロンである。
ケプロンは現役の農務長官という政府高官であったが、明治新政府によって開拓使顧問として招聘され、現職を辞してバードより早い明治4年来日した。
開拓使長官 黒田清隆を指導して、北海道開拓の青写真を描いた人物として知られ、開道100年目の昭和43年、札幌市中心部の大通公園に、黒田とともに立像の顕彰碑が建てられた。(写真左:ケプロン、右:黒田) (続きを読む…)
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