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	<title>日本Webリポート＆ニュース &#187; 環境・自然</title>
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	<description>弱者の味方。みんなで作る、投稿型ニュースサイト</description>
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		<title>住民が決める「原発の是非」―署名活動始まる</title>
		<link>http://www.webreport.jp/6950.html</link>
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		<pubDate>Thu, 15 Dec 2011 02:25:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kiyo7</dc:creator>
				<category><![CDATA[政治]]></category>
		<category><![CDATA[災害]]></category>
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		<description><![CDATA[				
				2011年12月10日 18:15     
				                              女性は年代を問わず放射能への恐れが強く、次々と署名に応じていた。＝10日、渋谷駅ハチ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[				
				<p style="text-align: right;">2011年12月10日 18:15     </p>
				<p>                              <a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/4f64c69fe955bc98523fcb80fa9be0dc.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/4f64c69fe955bc98523fcb80fa9be0dc-300x199.jpg" title="署名" width="300" height="199" class="alignnone size-medium wp-image-6953" /></a><br />女性は年代を問わず放射能への恐れが強く、次々と署名に応じていた。＝10日、渋谷駅ハチ公前。写真：筆者撮影＝</p>
				<p>　政治家が動かないのなら自分たちの手で。市民グループが「原発稼働の是非を住民投票で決めるための条例の制定を求める」署名活動を東京都と大阪市できょう（10日）から始めた。</p>
				<p>　署名活動を始めたのは「みんなで決めよう『原発』国民投票」。有権者の50分の１の署名が集まれば、自治体の長は20日以内に議会を招集し審議しなければならない（地方自治法第74条＝条例制定の請求）。署名期間は2月9日まで。<span id="more-6950"></span>　東京都の場合、署名が約21万4,200人を超えれば石原慎太郎知事は、都議会に「原発稼働の是非を住民投票で決めるための条例の制定」について議会に付さなければならない。</p>
				<p>　渋谷駅ハチ公前広場では、市民グループのメンバーが中心になって署名を呼びかけた。ツイッターなどですでに知っていたという有権者が多く、名前、住所を書き拇印を押した。通りがかりに「原発住民投票」を知り署名する有権者も少なくなかった。</p>
				<p>　品川区の主婦（50代）は「核廃棄物の処分場がないのにもかかわらず、原発を稼働させることは見切り発車も甚だしい。科学に対する驕りだ。国民は声をあげるべき」と話す。</p>
				<p>　2人の子（2歳、8歳）を持つ母親は、署名する腕に力が込められていたようだ。「原発は恐いもの。（被害や恐怖は）この先も終わりはない。（稼働の是非は）もともと自分たちで決めなければならない問題だった。政治家も国民も意識を変えてほしい」。この後、彼女は署名を集める受任者となる手続きをした。</p>
				<p>　仮に署名が法定数に達し、石原知事が議会に付したとしても、住民投票が実現する見込みは少ない。都議会の構成（定数）は民主党が50議席、自民党が38議席と原発推進勢力が圧倒的多数を占めているからだ。</p>
				<p>　「都議会で原発推進という結論になったとしても議論が深まっただけでいい。一番大事なことは自分たちで決めようと行動したこと」――請求代表人の小林聖太郎さん（映画監督）は署名の意義を語った。</p>
				<p>                                <a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/4c4b1460e526efc47e151d8f02e19f0f.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/4c4b1460e526efc47e151d8f02e19f0f-300x198.jpg" title="デモ電車" width="300" height="198" class="alignnone size-medium wp-image-6957" /></a><br />署名活動初日はネットで知った有権者などでまずまずの出足だった。＝写真：筆者撮影＝</p>
				<p>　30～40年もの間、国民の頭に刷り込まれてきた「原発安全神話」は、東電福島第一原発の爆発、放射能漏れ事故によって崩壊した。間接民主主義の負の側面である「お任せ民主主義」の危うさを、国民は痛いほど知ったのである。</p>
				<p>　議会が国会、地方とも「原発漬け」「電力業界漬け」のなか、直接民主主義がどこまで有効に機能するか。「原発稼働の是非を問う住民投票条例の制定を求める」署名活動に注目、期待したい。</p>
				<p style="text-align: right;">東京：田中龍作　<a href="http://tanakaryusaku.seesaa.net/" target="_blank">田中龍作ジャーナル</a></p>
				<p> </p>
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		<item>
		<title>【チェルノ原発事故の悲劇描く映画プリピャチ】 12年後のフクシマの姿がここにある</title>
		<link>http://www.webreport.jp/6910.html</link>
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		<pubDate>Mon, 05 Dec 2011 00:59:14 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kiyo7</dc:creator>
				<category><![CDATA[世界]]></category>
		<category><![CDATA[健康・福祉]]></category>
		<category><![CDATA[平和･安全]]></category>
		<category><![CDATA[政治]]></category>
		<category><![CDATA[災害]]></category>
		<category><![CDATA[環境・自然]]></category>
		<category><![CDATA[科学]]></category>

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		<description><![CDATA[				
				                                ニコラウス・ゲイハルター監督。上映会の後は長崎・軍艦島に撮影取材に行く予定だ。＝3日、アテネフランセ。写真：筆者撮影＝
				　プリ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[				
				<p style="text-align: left;">                                <a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/e06abc305cd80962644ac2c2f572983d1.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/e06abc305cd80962644ac2c2f572983d1-300x199.jpg" title="監督" width="300" height="199" class="alignnone size-medium wp-image-6912" /></a><br />ニコラウス・ゲイハルター監督。上映会の後は長崎・軍艦島に撮影取材に行く予定だ。＝3日、アテネフランセ。写真：筆者撮影＝</p>
				<p>　プリピャチはチェルノブイリ原発そばの村の名前である。原発から4キロという近さだ。原子炉から吐き出された冷却水を運ぶ川の名前でもある。</p>
				<p>　チェルノブイリ原発事故後、30キロ圏内は立ち入り禁止区域となり、プリピャチ住民5万人が避難した。避難後に戻ってくるなどして、事故から12年後の映画撮影時（1998年）には700人が立ち入り禁止区域で生活していた。同区域の悲劇を描く映画『プリピャチ』が３日、東京神田のアテネフランセで本邦初上映された。<span id="more-6910"></span>　映画は夫がチェルノブイリ原発の作業員だった老夫婦の語りで始まる。「私たちはゾーン（警戒区域）なんて言葉は使わない。検査した連中が名付けただけだ。放射能がある。30キロ圏内を指す。30キロ離れろと言ってもその先はどうなるんだ。鉄線で放射能は止まらない」。</p>
				<p>　村への出入りをチェックする検問所の警備兵が大きな溜息をつきながら話す。「かつてゾーンには美しい景色があり、イチゴやキノコが採れる山と川があった。そこに事故が起こり全ては汚染された。30キロ圏内の線量は許容値をはるかに超える」。</p>
				<p>　プリピャチは原発から撒き散らされた放射性物質によって、その面影も留めぬ、人が住んではならない場所になってしまったのだ。</p>
				<p>　オーストリア人のニコラウス・ゲイハルター監督らスタッフは、3か月に渡って線量の高いプリピャチで撮影を敢行した。ウクライナのグリーンピースに監督の知人がいて政府と交渉してくれたおかげで、警戒区域に入りカメラを回すことができた。</p>
				<p>　「こんな状況でも人が生きてゆける。未来が見通せない中で人が生きてゆける。ゾーンの中が危険だと知っていながら、生活を立て直している」―上映後のトークショーで語ったゲイハルター監督の言葉だ。村人に尊敬の念を抱き、のめり込んでいった様子がモノクロームのフィルムに焼き付けられている。監督の思いは村人に伝わり、彼らも本音を明かす。</p>
				<p>　村人の診察を続ける女医の言葉が印象的だ。戦慄さえ覚える。「人がここに住んではいけない。でもウクライナ（政府）の事情があって人々は移住できない。ゾーンの内に安全な場所はない。とにかく情報がない。私たち医師もわからない。危険だとは分かる」――情報を隠して避難を遅らせ、その後は帰還を急がせる日本政府の姿と重なるではないか。 </p>
				<p>                                    <a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/9f41b324b93bdc8e325cafa4ca51eb61.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/9f41b324b93bdc8e325cafa4ca51eb61-300x200.jpg" title="トーキショウ" width="300" height="200" class="alignnone size-medium wp-image-6913" /></a><br />「原子力に未来はないだろう」と語るゲイハルター監督（右）。左は字幕を担当した翻訳家の渋谷哲也氏＝トークショーで。写真：中野博子撮影＝</p>
				<p>　ラストシーンは冒頭の老夫婦が再び登場する。二人はプリピャチ川に釣りに出かける。「昔は川の水を汲んで茶を沸かした。川は浅かったけど水は澄んでいた。この河畔で生まれたんだから、ここで死にたい」。淡々と話す老人の口調が観る者の胸をえぐる。</p>
				<p>　「ここで死にたい」と願い、線量の高いことを知っていながら福島に住み続ける老人は数えきれない。『プリピャチ』でチェルノブイリ原発事故から12年後に起こったことは、すでに福島で起きている悲劇である。</p>
				<p style="text-align: right;">東京：田中龍作　<a href="http://tanakaryusaku.seesaa.net/" target="_blank">田中龍作ジャーナル</a></p>
				<p>                                                                                         　◇<br />『プリピャチ』は神田アテネフランセで６日～10日まで毎日２回上映。<br />問い合わせはアテネフランセ文化センター（TEL 03-3291-4339）</p>
				<p>上映前緊急シンポ：</p>
				<p><a href="http://www.ustream.tv/recorded/18816038">http://www.ustream.tv/recorded/18816038</a></p>
				<p> </p>
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		<title>【Occupy経産省】　民族派新右翼、当局に「（脱原発）テント撤去するな」と要請</title>
		<link>http://www.webreport.jp/6880.html</link>
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		<pubDate>Mon, 21 Nov 2011 05:14:14 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kiyo7</dc:creator>
				<category><![CDATA[くらし]]></category>
		<category><![CDATA[政治]]></category>
		<category><![CDATA[環境・自然]]></category>
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		<description><![CDATA[				
				　　　　　　　　　　　　枝野大臣あての要請書を手渡すため、日の丸を翻して経産省に入る「統一戦線義勇軍」の一行。＝16日朝、経産省。写真：筆者撮影＝
				　原発を止めるのに右も左もない。イデオロギ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[				
				<p>　　　　　　　　　　　　<a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/f59df73510826b4c032a0ef849141b19.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/f59df73510826b4c032a0ef849141b19-300x198.jpg" title="新右翼①" width="300" height="198" class="alignnone size-medium wp-image-6883" /></a><br />枝野大臣あての要請書を手渡すため、日の丸を翻して経産省に入る「統一戦線義勇軍」の一行。＝16日朝、経産省。写真：筆者撮影＝</p>
				<p>　原発を止めるのに右も左もない。イデオロギーは糞くらえだ。街宣車右翼とは一線を画す民族派新右翼が16日、経産省に「（脱原発）テントの撤去を慎むよう」要請した。</p>
				<p>　要請行動を起こしたのは「統一戦線義勇軍・中央委員会」。同会は東電福島第一原発の事故発生以来「麗しき山河と子供たちの命を守れ」と訴えて『脱原発デモ』などを展開している。公安の手先となって左翼運動を潰すことしか能のない街宣車右翼とは趣を180度異にする。<span id="more-6880"></span>　原子力ムラの総本山である経産省を訪れた義勇軍の一行は、大臣官房広報室の中野大樹係長に面会し、枝野幸男大臣あての要請書を手渡した――</p>
				<p>　「テントは既に国民の声を政治、行政に伝える場として存在している。平時は不法占拠となるが、原発事故の完全な終焉までは非常時である」として「国民に与えられた緊急避難の権利に準拠して撤去作業を慎んで頂きたい」などとする内容だ。</p>
				<p>　統一戦線義勇軍の針谷大輔議長は「福島から一般の人が来て（テントでの座り込みを）やってますから、その思いを受け止めてほしい」と付け加えた。</p>
				<p>　【 赤軍派の塩見元議長と対談「塩を送りに来た」 】</p>
				<p>　一行は、「原発止めろ」を合言葉に市民が座り込みを続ける「脱原発テント」を訪れた。テントでは赤軍派元議長の塩見孝也氏らが迎えた。塩見氏は1970年代「世界同時革命」を標榜し、「よど号乗っ取り」の作戦を練った伝説中の人物だ。左翼の大御所である。</p>
				<p>　針谷議長は「原発事故に際しては右も左も関係なくやらないと上手くいかない。イデオロギー対立になって喜ぶのは権力だけです」と切り出し、「私たちは（テントに）塩を送りに来たつもりでいる」と続けた。</p>
				<p>　一方で「原発以外のことは言わないでほしい。原発以外（のイデオロギーで）街宣をすると一般の人から嫌われてしまう」と釘を刺すことも忘れなかった。</p>
				<p>　塩見元議長も応じた。「我々と主張が違うけど、良い文章を（経産省への要請文）を出してもらった。これからできるだけ理解しあいましょう。あなた方の運動は我々にとって心強い。今後よろしく」。</p>
				<p>　政府、電力業界、マスコミは30～40年もの間、“脱・反原発は左翼はじめ一部の偏った人たちのイデオロギー”と刷り込んできた。だが今回の事故で、脱原発は“生活と命を守るため”に人として掲げる当然の声だ、ということが明らかになった。左右の垣根がなくなれば、脱原発はさらに国民の間に広がるようになるだろう。<br /><br />　　　　　　　　　　　　　　　　<a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/e04128cab8ac93156af8f6acafd17bf8.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/e04128cab8ac93156af8f6acafd17bf8-300x198.jpg" title="新右翼②" width="300" height="198" class="alignnone size-medium wp-image-6884" /></a><br />対談する塩見・赤軍派元議長（左奥）と針谷・統一戦線義勇軍議長（右奥）。＝同日、経産省前「脱原発テント」。写真：筆者撮影＝</p>
				<p style="text-align: right;">東京：田中龍作　<a href="http://tanakaryusaku.seesaa.net/" target="_blank">田中龍作ジャーナル</a></p>
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		<title>たけちゃんの独り言</title>
		<link>http://www.webreport.jp/6824.html</link>
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		<pubDate>Mon, 10 Oct 2011 06:36:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kiyo7</dc:creator>
				<category><![CDATA[くらし]]></category>
		<category><![CDATA[たけちゃんの独り言]]></category>
		<category><![CDATA[文化]]></category>
		<category><![CDATA[環境・自然]]></category>

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		<description><![CDATA[				
				空き缶回収
				◆昨日は、京都市で全国初の空き缶回収条例可決（1981）があり、翌年に施行された。ジュース、ビールとお世話になる缶製品の空き缶は、京都市のような観光地では、放置が３０年前から問題 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[				
				<p>空き缶回収</p>
				<p>◆昨日は、京都市で全国初の空き缶回収条例可決（1981）があり、翌年に施行された。ジュース、ビールとお世話になる缶製品の空き缶は、京都市のような観光地では、放置が３０年前から問題だったのだろう。昨年の今頃、条例改訂で「京都市の指定した方法で出された空き缶などの資源ごみや粗大ごみを拾うことを禁止」とする事が出され、これに対し野宿者・生活困窮者は、生きる権利を侵害するとして反対闘争が起こりHPもあった。我町も指定場所に缶・瓶を出し市の回収は定着して、持ち出しは禁止は当然と思うが、違う面を知った。</p>
				<p>◆書きたいと思ったのは、今年の初夏の頃と思うが、新聞多摩版で、小金井市在住だった星野哲郎さん（作詞家）の隠れた話である。朝の散歩の時に、手袋、缶挟み、袋を持って、道端、公園に散乱する缶を回収して、毎日記録をつけていた。その数が２０万個を超えたとあった。生涯で４０００曲の詩を書き、数々のヒットをさせた作詞家は、昨年１１月８５才で他界され葬儀では作詞曲の「男はつらいよ」でおくられた。偉大な作詞家の晩年の生活で、こんな社会貢献もあったのかと思ってきた。残念ながら新聞の切り抜きをしなかった。</p>
				<p style="text-align: right;">立川：たけちゃん</p>
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		<item>
		<title>NYで母親たちが「国連よ、原発推進を止めなさい」</title>
		<link>http://www.webreport.jp/6815.html</link>
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		<pubDate>Tue, 27 Sep 2011 23:32:21 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kiyo7</dc:creator>
				<category><![CDATA[政治]]></category>
		<category><![CDATA[災害]]></category>
		<category><![CDATA[環境・自然]]></category>
		<category><![CDATA[科学]]></category>

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		<description><![CDATA[				
				                              泉さん（左）と佐藤さん（右）。米国から帰国したその足で通産省前の「原発反対座り込み」を激励に訪れた。（25日夕、筆者撮影）
				　野田 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[				
				<p>                              <a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/26fd3e05f7fad655f02ff6c3d7ecc9d8.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/26fd3e05f7fad655f02ff6c3d7ecc9d8-300x198.jpg" title="原発反対" width="300" height="198" class="alignnone size-medium wp-image-6816" /></a><br />泉さん（左）と佐藤さん（右）。米国から帰国したその足で通産省前の「原発反対座り込み」を激励に訪れた。（25日夕、筆者撮影）</p>
				<p>　野田佳彦首相の国連演説に合わせて渡米した母親たちが、ニューヨークやワシントンDCで「脱原発」を呼びかけた。原子力利権の総本山であるアメリカの真っ只中で「原発を止めよう」と声を上げたのは、佐藤幸子さん（子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク）、泉かおりさん（Shut泊＆脱原発ネットワーク北海道）ら6人。<span id="more-6815"></span>　“どじょう総理”も、原発近くに住む日本の母親たちがアメリカまで追いかけて来るとは思ってもいなかっただろう。「世界一安全な原発を作る」「原発輸出を続ける」…彼女たちの懸念通り野田首相の国連演説（日本時間24日未明）は、原発再開に向けて踏み込んだものだった。</p>
				<p>　演説が行われている国連本部前で佐藤さん、泉さんたちは米国の反原発運動家と共に「国連よ、原発推進を止めなさい」と書かれた横断幕を掲げた。</p>
				<p>　日本文化センター前では、野田首相を待ち構えた。藩基文国連事務総長と共に通りがかった首相にマイクを握って訴えかけた――</p>
				<p>　「福島県民の声を聞いて下さい。子供たちの命を守って下さい。安全な原発などありません」。</p>
				<p>　10メートルも離れていなかったが、野田首相は見向きもしなかったそうだ。</p>
				<p>　佐藤さん、泉さんたちはニューヨークとワシントンDCで記者会見を開いた。主催は米国の反原発、反核団体だ。彼女たちが驚いたのは米国の記者たちが、原発事故の実情をほとんど知らないことだった。「福島に人は住んでいるのですか？」と質問が出たり、「事故は収束に向かっている」と思い込んでいたりした、という。</p>
				<p>　政府や東電の発表を垂れ流す日本の大メディアの記事が翻訳されて伝わっているからだ。</p>
				<p>　さらに驚いたのは、米国の電力会社のパンフレットだった。パンフいっぱいに広がるオバマ大統領の顔写真と共に「地球温暖化を防ぐには原発を増やすしかない」とのメッセージが刷り込まれている。パンフは民主党支持者の自宅に漏れなく配布されたそうだ。</p>
				<p>　米国の電力会社は、福島原発の事故がヨーロッパ諸国に与えた影響が自国にも広がることを恐れているのだ。</p>
				<p>　世界一の原発大国で「脱原発」を訴えた母親たちは、近く「姉さん被り」で経産省前に座り込む。「母親の力は原発をも止める」ことを官僚や政治家に分からせるために。</p>
				<p style="text-align: right;">東京：田中龍作　<a href="http://tanakaryusaku.seesaa.net/" target="_blank">田中龍作ジャーナル</a></p>
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		<item>
		<title>【続報・脱原発に4万人超】</title>
		<link>http://www.webreport.jp/6787.html</link>
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		<pubDate>Sun, 25 Sep 2011 01:12:13 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kiyo7</dc:creator>
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		<description><![CDATA[				
				「いても立ってもいられなくて来た」2011年9月19日 18:13                               東電と政府の責任を問うプラカードがいつものように目についた。（19日午後 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[				
				<p style="text-align: left;"><span style="color: #0000ff;">「いても立ってもいられなくて来た」</span><br />2011年9月19日 18:13  <br />                         <img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/6567961764af4248bf60bb5d78ecf174-300x198.jpg" title="４万人集会②" width="300" height="198" class="size-medium wp-image-6788  alignnone" />    <br />東電と政府の責任を問うプラカードがいつものように目についた。（19日午後、明治公園。写真：筆者撮影）<br /><span id="more-6787"></span>　集会開始時刻の午後2時に主催者が「参加者4万人」と発表した時、会場の明治公園に向かう舗道は人の洪水だった。公園は人で埋め尽くされ身動きがとれない。舗道も同様だ。参加者が4万人超であることは確かなようだ。<br /><br />　最寄り駅の「都営大江戸線・国立競技場前駅」ですでに、人々の脱原発に賭ける意気込みが伝わってきた。電車がホームに到着すると家族連れや老夫婦が吐き出されてくる。ほとんどは会場までの道順を地図で確かめていた。政治集会のメッカである明治公園を知らないのである。デモや集会に参加するのは今回が初めてという人が目についた。</p>
				<p>　千葉県船橋市の主婦（40代）も今回が初めてだ。「政府も東電もいい加減にしてほしい。スーパーで野菜を買う時、不安で仕方がない。マスコミと政府が一緒になって情報を隠したら、国民は何も分からない。ここに来て同じ気持ちの人たちに会えて嬉しい」。</p>
				<p>　愛知県三河地方から駆け付けた母娘も、政治集会への参加は初めてだ。娘（20代前半）は「まだ独身だが、将来子供を産むことを考えたら原発は怖い。マスコミと政府は何を考えているのか分からない」と率直に話した。</p>
				<p>　母親（40代後半）は原発に対して積年の恨みがあるようだった。「『核爆弾は反対』でも『原発なら構わない』という変な論理があった。原発は核廃棄物の処理ができないのに、（国民は）反対してこなかった。もの分かりが良すぎた。大人が無責任だった。生きている間にこれだけの大集会はもうないかもしれないので、『原発反対』の意志を表明しに来た」。</p>
				<p>　東京都豊島区から足を運んだ会計事務所員（男性・70代）の言葉が、象徴的だ。「いても立ってもいられず参加した。マスコミが作っている多数意見は架空のもの。国民の声はここに集まっている人々が代弁している。政府は草の根の声に耳を傾けるべきだ」。</p>
				<p>                                 <a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/d3ed7efc4861353f79b50942cde94ed0.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/d3ed7efc4861353f79b50942cde94ed0-300x198.jpg" title="４万人集会③" width="300" height="198" class="alignnone size-medium wp-image-6789" /></a><br />ステージに上るノーベル賞作家の大江健三郎さん。大江さんがスピーチするとあって日頃は「脱原発デモ・集会」に冷淡なマスコミ各社が、取材に駆け付けた。（筆者撮影）</p>
				<p>　年明け早々の1月、エジプトでは普通の人々がムバラク政権打倒を叫んでタハリール広場に結集した。洪水のように明治公園に押し寄せるオジサン、オバサン、親子連れを見て、筆者の目には「エジプト市民革命」の光景が重なった。</p>
				<p>　枝野幸男経産相は大臣就任会見（12日）で「脱原発なのか原発推進なのか」を記者団に聞かれ、「国民的議論を見て」と答えた。</p>
				<p>　政・官・財に操作されたマスコミ論調が世論ではないことに、国民はすでに気づいている。4万人を超える人々が明治公園に集結し「脱原発」を叫んだことが何よりの証だ。</p>
				<p style="text-align: right;">　東京：田中龍作　<a href="http://tanakaryusaku.seesaa.net/" target="_blank">田中龍作ジャーナル</a></p>
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		<title>【第一報】 脱原発集会に４万人超の参加者</title>
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		<pubDate>Sun, 25 Sep 2011 01:02:48 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kiyo7</dc:creator>
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				2011年9月19日 14:57                                       夏と変わらぬ太陽が容赦なく照りつけたが、会場は「脱原発」を求める人で埋め尽くされた。（19 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[				
				<p>2011年9月19日 14:57  <br />                                   <a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/1c6301dbf3819544367f45465aeef7d0.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/1c6301dbf3819544367f45465aeef7d0-300x198.jpg" title="４万人集会①" width="300" height="198" class="alignnone size-medium wp-image-6783" /></a>  <br />夏と変わらぬ太陽が容赦なく照りつけたが、会場は「脱原発」を求める人で埋め尽くされた。（19日午後、明治公園。写真：筆者撮影）　<br /><br />　東京明治公園できょう午後、行われた「脱原発集会」に4万人を超す人々が全国から参加した。ノーベル賞作家の大江健三郎さんがスピーチするとあって、日頃は「脱原発依存」に冷ややかなマスコミも各社、取材に駆け付けた。</p>
				<p>　「反原発」を訴えて行動する俳優の山本太郎さんは、自らのツイッターにこう記している――『明治公園、すごい人！命を繋ぎたい、本気で生きてる人々が結集。仕事、体調で参加できない方々の分まで声を上げ歩くよ?』　（つづく）</p>
				<p style="text-align: right;">　東京：田中龍作　<a href="http://tanakaryusaku.seesaa.net/" target="_blank">田中龍作ジャーナル</a></p>
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		<title>【反原発デモ】</title>
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		<pubDate>Wed, 14 Sep 2011 01:58:05 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kiyo7</dc:creator>
				<category><![CDATA[政治]]></category>
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		<description><![CDATA[				
				　収束する気配が全くない福島原発の事故。原発をなくすのか、それとも、今後も推進していくのか。日本の動向に世界が注目しているといっても過言ではない。　今月１１日、反原発を呼びかけるデモが、東京・新宿であ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[				
				<p><a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/110911_151150.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/110911_151150-300x168.jpg" title="110911_151150" width="300" height="168" class="alignleft size-medium wp-image-6388" /></a>　収束する気配が全くない福島原発の事故。原発をなくすのか、それとも、今後も推進していくのか。日本の動向に世界が注目しているといっても過言ではない。<br /><br />　今月１１日、反原発を呼びかけるデモが、東京・新宿であった。９月というのに、暑い日が続く中、警視庁によると、２０００人余りが参加した。<br /><br />　筆者が向かったのは、最初の集合場所になっていた新宿中央公園。以前あったデモ（確か、今年６月の芝公園を出発したもの）と比べて、いわゆる‘一般’の参加者は少ないように感じた。参加者は、思い思いの衣装をまとい、「原発いらない」「斑目、デタラメ」（斑目とは原子力安全委員会委員長。念のため）などと叫びながら、デモ行進を開始。先頭は、バンドマンたちが演奏する車両。新宿アルタ前を目指した。<span id="more-6387"></span><br /><a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/110911_151208.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/110911_151208-168x300.jpg" title="110911_151208" width="168" height="300" class="alignright size-medium wp-image-6389" /></a>　筆者は、暑さのためにものの３０分もしてデモから離脱。新宿駅を目指して歩いていると、デモ行進と甲州街道で再び‘合流’してしまった。行き交う人たちは、行き交う人たちも関心があるのだろう、「何だろう」とデモ行進を見つめる人が多かった。</p>
				<p>　東日本大震災の発生から半年（←マスコミが作り出した節目ですが）。筆者の実感として、原発事故の被害が拡大しているものの、今後、日本の原発をどうするかという論議は収束しつつあるような気がする。<br /><br />　この間、筆者は、原発の「推進派」と「反対派」、それぞれの立場の人たちに会ってきた。「反対派」は、言うまでもなく、「原発をなくし、自然エネルギーに転換すべきだ」というのが大筋の主張。<br /><br />　これに対して、「推進派」は、国民目線では「原発をなくせば今の生活水準は維持できない」と主張することが多い。他には、「安い電力料金は原発だからこそ」なんていうのもある。<br /><br /><a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/110911_151811.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/110911_151811-168x300.jpg" title="110911_151811" width="168" height="300" class="alignleft size-medium wp-image-6390" /></a>　個人的には、原発→放射能→危険という発想。でも、原発のおかげで電気が使えるしなぁ、とも。原発との関わりはほとんどなかった筆者だが、「危険なものを扱うのだから、対策は万全にしろ」という思いはあった。<br /><br />　筆者は、ある電力関係者に、原発の危険性を少しでもいいから言うべきではなかったかと質したことがある。ところが、「そんなことを言ってしまうと、原発を建設できないじゃないか」と答えた。それはそうだが、「それでも原発はかくかくしかじかで必要なんだ」と、どうして説明できないのか。「危険なのは分かっているから、そのための対策をやってきていた」とも話すが、今回の事故ではその対策とは「なんじゃらほい」といった感じだ。<br /><br />　国会議員や原発立地の知事に、「個人の政治信条として」献金を繰り返している電力会社の幹部連中。いざとなったら、原発をかばってもらうためのこの献金が、原発の危険（脱原発、反原発が世論の大半を占めることか？）対策だと思ってしまうのは、筆者だけだろうか。</p>
				<p>　デモ視察を終えて、ビールを飲みながら、伴侶に反原発のデモがあったことを告げると、「私も行きたかった」と。なぜ？と質問すると、「原発のためにたくさんの人が困っている。だから原発はいらないよ」と答えた。原発をなくすことへの対案を示すべきだという意見もあるが、これくらいの感覚で、現在進行中の原発対応を考えてもいいのではないかと思った。少しだけだが。</p>
				<p style="text-align: right;">東京：勘朔 </p>
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		<title>震災日誌（３）</title>
		<link>http://www.webreport.jp/6347.html</link>
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		<pubDate>Tue, 16 Aug 2011 00:55:13 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kiyo7</dc:creator>
				<category><![CDATA[政治]]></category>
		<category><![CDATA[災害]]></category>
		<category><![CDATA[環境・自然]]></category>
		<category><![CDATA[社会]]></category>
		<category><![CDATA[震災日誌]]></category>

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		<description><![CDATA[				
				［大震災とメデイア］　六月一五日、見逃したＥＴＶ特集「ネットワークで作る放射能汚染地図」（五月一五日放送）と、続編「続報・放射能汚染地図」（六月五日放送）を見た。後輩にＤＶＤをダビングしてもらった。い [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[				
				<p><span style="color: #0000ff;">［大震災とメデイア］<br /><br /></span>　六月一五日、見逃したＥＴＶ特集「ネットワークで作る放射能汚染地図」（五月一五日放送）と、続編「続報・放射能汚染地図」（六月五日放送）を見た。後輩にＤＶＤをダビングしてもらった。いずれも力作だった。被曝の危険を冒しながら、自主測定を続ける科学者たちの姿に胸を熱くした。通りいっぺんの測定データを発表するだけの政府。それも住民のほとんどが真実かどうか首をかしげる数字だ。その上、ＳＰＥＥＤの汚染予測データを隠し続けていた政府。木村真三さん、岡野真冶さんら科学者の努力は国民を欺き続ける政府、そして御用学者と呼ばれる人々と対極にあった。<span id="more-6347"></span>　彼らは浪江町の赤宇木地区（あこうぎ）が屋外で八〇マイクロシーベルトというホットスポットであることをつきとめる。原発から四キロ地点に次ぐ高汚染だった。何度か測定繰り返した末、集会所に住み続けてきた住民に危険だと知らせ避難を勧める。生活の必要からここに踏みとどまっていた住民たち。「木村さんが何回も測ってくれてそう言うなら、やはり移ろう」と言う女性の言葉が耳にとまった。被曝の危険を冒しても自主測定するのは、住民の健康を心配してのことなのだ。政府がここを「計画的避難区域」に指定したのはおよそ二週間後のことだった。十分なデータも説明も尽くさずに避難を求める政府とは天と地ほどの差である。真の科学者・専門家の姿を見た。<br /><br />　もうひとつの衝撃は「抜かれた」ことであった。取材したのは番組制作局の後輩たち。私の出身の報道局の後輩たちは何をしていたのであろう。原子力を専門とする記者集団も育ち、連日のようにテレビの画面に出て原発事故の推移を解説している。確かに私たちが現役だった当時より、比べものにならないくらい原子力についての知識を身に付けている。チェルノブイリだけでなく、もんじゅの事故、ＪＣ０の臨界事故、六ヶ所村の核燃料サイクル施設など取材ノウハウを磨く機会も多かったはずだ。<br /><br />　つまるところ私たちの放送は住民の、国民の命を守ることにある。高度の知識を身に付けた記者であれば、こうしたホットスポットの存在を疑うことは充分可能だったはずである。しかし、報道局の後輩たちは動かなかった。調査報道に動いたのは番組制作局のデイレクターたちだった。同じＮＨＫだ。総体として様々な情報を提供できているのだから問題にすべきでない。これも一理ある。しかし、フクシマの事故報道の主戦場を担っているのは報道局、私の後輩の社会部の記者たちである。政府の指定した避難指示区域には立ち入らないという暗黙の了解でもあるのだろうか。事故直後からフリーのジャーナリストが避難区域内を取材しルポを発表していた。私の記憶する限り、ＮＨＫを含め新聞など大手のメデイアが区域内に取材に入ったのは、福島県警が防護服を着て津波の犠牲者の遺体捜索を行ったのに同行したのが最初だった。勿論、今回の調査報道グループを除く。<br /><br />　仮に取材は政府が丸く線を引いた土俵の中に限るということであれば、取材・報道の自主性は疑われかねない。放射能の測定データは政府が公表したもの以外は報道しない、仮にもこうした暗黙の了解はあってはならないと思う。「ただちに人体に影響を及ぼす数値ではない」テレビの画面で度々耳にする記者のコメントが、原子力保安院や、原子力安全委員会という機能不全に陥っている役所の口移しでないことを祈りたい。<br /><br />［六月二五日］　　<br />　政府の復興構想会議が提言を出した。被害を最小限にとどめる「減災」、「住居の高台移転」。水産業などへの「特区」の導入、「再生可能エネルギー導入促進」、「復興増税」などが柱だという。「悲惨のなかの希望」が副題だそうだ。自然エネルギーの導入など頷ける事項はある。しかし、遅すぎる。この程度の作文ならもっと早くできたはずである。それと、高台移転や、水産特区など言葉は踊るが、被災地の現実に即したものとは決して言えない。<br /><br />　構想会議のスタートは四月一五日。実に震災から一カ月余り後のことだった。それから二か月余。瓦礫の撤去、二重債務の救済、雇用の確保など被災地が血のにじむ思いで待ち望んできた施策。スピード感を要する施策が”青写真”ができてからと先延ばしにされてきたのが許し難いのだ。自治体によっては仮設住宅の建設用地すら確保できていないところがある。市町村が復興事務で手いっぱいなのなら、国が大幅な支援体制を組むべきだ。<br /><br />　二六〇〇万トン、一般ごみの二〇年分にあたる大量の瓦礫。一次仮置き場以降の撤去作業は県が代行処理をしている。経費は最終的には国が負担するが、その精算、補助金申請の事務が複雑で作業の進捗を阻む要因になっている。国の直轄事業にするよう求める声は黙殺されてきた。復興構想の提言とは、その実霞が関のお役人と政治家たちがさぼる口実だけではなかったのか。<br /><br />　高台移転を語る前に、津波で家を流された人々はまずどうやって自立再建を図っていくのかで悩んでいる。津波で流された土地を買い取るのか、等価交換なのかそれすらはっきりとしない。被災者の悩みに向き合おうとせず、言葉だけが踊っている。政権スタート時から終焉に至るまで、言葉が踊り放しの管首相主導のものとあればさもありなん、と言っては被災者には悪い冗談ともならない。</p>
				<p>　水産特区も同じである。漁港や漁業集落再生の途は地域の実情により異なる。民間企業の参入は全てだめと言う訳ではない。もともと漁業集落の多くが高齢化と、後継者不足に悩まされてきた。そこに今回の大津波の打撃である。再生をあきらめ廃業を考えている漁業者もいる。しかし、こうした漁業者は生産性は低いながら、慈しむように、ワカメやカキなどを育て上げ良質の商品を提供してきた。こうした”零細な”生産現場に企業が参入するとは考えにくい。採算を重視する企業であればこそ、参入を狙うのは大規模で効率のいい現場であろう。そもそも、資源枯渇を招来しないよう海とうまく共存してきた三陸の漁業形態を、採算重視の企業経営は守れるのだろうか。三陸には「森は海の恋人」をモットーにカキ養殖と、植樹を続ける先進的な漁業者もいる。三陸の漁業者はこのように海だけではなく、山も含めた大自然と共存してきた人々なのである。</p>
				<p>　水産特区の言いだしっぺは宮城県の村井嘉宏知事である。しかし、彼は宮城県漁業協同組合連合から強硬な反対を付きつけられた。団体交渉のような話合いに何度か引き出された。「特区と言っても、必ずしも企業と既存の漁協を横並びにするものでない」と軌道修正に転じ始めた。ようやく現実に眼を開かされたということなのだろうか。当初はまなじりを決して、水産特区構想は断じて撤回しないと繰り返していた。ロボットのように固い面持ちだった彼も、この日表情はやや和いでいた。しかし、他の委員が現実を直視できているとは到底思えない。ましてや、言葉を弄んできた総理においておやである。</p>
				<p>［七月一日］<br />　友人の医師Ｃ氏の主催する年四回の飲み会。医師、大学教員、弁護士など異業種のメンバーが数人集まって談論する。東北大学歯学部のＨ教授と初めて顔を合わせた。津波の犠牲者の検視に駆り出されたという。震災からこれほど日数が経つとＤＮＡと並んで、歯型の確定は身元を確認するための必須事項である。歯科医として発見された遺体の歯形鑑定をした。「開口器」、固く閉じた口を開ける機材がある。しかし、それは使わない。何とか手で開けるのが亡くなった方へのせめての儀礼だと言った。乳児の歯も見たという。思わぬ話に身を固くする。数日の検視業務。それを終えたあと、毎日夜になると何故か涙を押さえられなかったという。検視医のやさしさゆえの涙。<br /><br />　遺族の涙はつらく、悲しい。やはりこの世は涙の谷なのだろうか。<br /><br /><span style="color: #0000ff;">［地に堕ちたこの国の政治家の倫理］</span></p>
				<p>［七月四日］<br />　震災復興の大幅な遅れ、見通しすらつかない原発事故の収束。政局に右往左往する政治家の醜い姿。この国の政治に対する信頼はとっくについえていた。しかし、これほどひどいとは思わなかった。呆れかえって言葉もない。復興担当を名乗る松本龍大臣のことである。<br /><br />　岩手県知事には「知恵を出さないやつは助けない」と発言した。宮城県では「漁港の集約は県、がコンセンサスを取れ。そうしないと我々は何もしないぞ」と話したと伝えられる。復興の遅れを悔やむ十字架を背負っているはずの、政治家の姿はそこにない。<br /><br />　漁業復興特区の構想のはらむ危うさはすでに述べた。宮古、気仙沼、塩釜などの大規模な漁港を除いて、浜ごとに点在する小さな漁港は四〇〇を越す。大津波の打撃から再び立ち上がれない漁村、漁港もなかにはあるに違いない。何代にもわたって慈しむように付き合ってきた海に、断腸の思いで別れを告げてである。この人はそういう漁村はどんどん潰してしまえと言っているのだ。首に縄をくくらんと思いつめている人の足を引っ張れというのだ。<br /><br />　三陸の漁業者たちは豊かな漁業資源を守り育てながら、持続可能な漁業を営んできた。この姿を再生するには地域の実情を知り抜いた上での議論が必要なのだ。この人には復興を語る資格はない。<br /><br />　気が遠くなるほどの大量の瓦礫。この撤去や仮設住宅の建設などに、被災自治体は追われている。倒れる寸前まで復興行政に立ち向かっている職員も多い。知恵が十分かと言えば議論はあろう。しかし、知恵を出してこなかったのは菅政権である。複雑な精算事務を省くため、自治体の多くが瓦礫の撤去は国の直轄事業とするよう要望し続けてきた。無駄なパワーを他の被災者救援事業に振り向けるためである。国は今に至るも制度改正に動いていない。</p>
				<p>　仮設住宅の用地確保に悩む自治体も多い。三陸の海沿いは平地が少ないからである。そうした町村には国が積極的に支援の手を伸ばすべきである。しかし、ついぞそうした動きはない。「お盆までは全員入居」というあやふやな見通しを繰り返すだけである。<br /><br />　松本復興担当相の発言を改めてテレビでみた。ソファーに這いつくばるように座り、上目づかいに宮城県知事にすごんでいた。「お客さんが来る時は、自分が先に来てから客を呼べ。長幼の序を大事にする自衛隊なら（村井知事は自衛官出身）分かるだろう」やくざ映画の一場面ではと思った人が多いはずだ。品性のかけらもなかった。劣化した政治家の姿には慣れっこ（残念ながら）だったが、これほどとは。言葉を失った。この人は部落解放同盟出身である。この組織は「足を踏まれた痛さは、踏まれた人でなければ分からない」と繰り返してきた。もう一度繰り返す。この人には復興という言葉を語る資格はない。この人は今こそ、組織が掲げて来た言葉の意味をかみしめてみるべきである。解放同盟の名誉のためにもそう思う。</p>
				<p>　この日、埼玉県から来た知人を案内して名取市、石巻、女川の被災地を再度訪れた。瓦礫は大分片付いてきた。しかし、あちこちにボタ山のように高く積まれた瓦礫置き場を目にする。復興の途の遠さを思わされる。午後訪れた女川の魚市場では、小規模ながらこの朝魚の水揚げがあったようだ。事務所や冷蔵庫などの施設がことごとく流されて姿はない。しかし、がらんとした市場のコンクリートの床はきれいに水がまかれ、魚を運ぶ青いかごがいくつか積まれていた。<br />被災地はわずかずつだが再生の途を歩み始めている。</p>
				<p>［七月五日］<br />　松本復興担当相が辞任した。当然のことである。「一平卒として復興にかかわる」と言っているという。この人にはもはや復興を語る資格はない。菅総理をはじめ復興という言葉を弄ぶ政治家の姿には、怒りを通り越して愛想が尽きた。「政治家は究極のサービス業である」（浜矩子・同志社大大学院教授「ＮＨＫ日曜討論、六月二六日」で）この言葉をよく噛みしめてもらいたいものである。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</p>
				<p>［七月一一日］<br />　大震災から四か月。しかし、メデイアは四か月の節目を大きく伝えなかった。新聞が休刊日だったこともある。“節目”を報じることに意味があるかという議論もある。私見では節目を伝えるのは、重大な出来事を風化させまいという願いを込めたものだ。三月一一日、東日本大震災の体験は、早くも風化の瀬戸際に立たされているのだろうか？ありえない。ただ、同時進行で、ある意味でもっと深刻な福島第一の原発事故の先行きが全く見えないこと。それに政治の醜い茶番劇などが大津波の被災地の苦悩を、人々の目から隠す結果になっていることは残念ながら否めない。<br /><br />　三日前、仙台市南部の避難所・六郷中学校にある人物を取材に訪れた。仮設住宅への引っ越しを始めたところだった。この地区の営農組織のリーダーだった。仙台米の優良産地は津波で押し流された。厳しい状況の中で、地区の農業再生への展望を語ってくれた。<br /><br />「米の作付再開は早くて五年後」この見通しに私の方が衝撃を受けた。津波に襲われた水田の除塩、塩抜きが二年後でなければ始まらないためだという。もともと海抜ゼロメートル地帯のこの地区では、田んぼに張った水を海に流す排水機が欠かせない。仙台平野に四か所あった排水機はすべて津波で破壊された。これらを作り直すのに二年かかると仙台市は言う。東北の基幹産業である米作り。<br /><br />これを五年放っておくことが許されるのだろうか。地域の人々が営々として積み上げてきた文化・文明。果たしてそれを再生できるかどうかがが問われているのだという危機意識を政治、行政は共有しているのだろうか。震災から四か月目に私たちが目にする寒々とした光景である。　　<br />　　　　　　　　　　　　<br />［七月二七日］</p>
				<p>　三月一一日以降、商店の灯が消えてしまった女川町にコンテナ商店街が店開きしたという。石巻から国道三九八号線をたどる。震災以来何度か行き来した道だ。大潮の時期だと一部冠水する。石巻で八〇センチも地盤沈下したためだが、幸い時期を外れていた。<br /><br />　女川町に入って間もなく、道路沿いの空き地に「おながわ・コンテナ村商店街」と書かれた黄色ののぼりがはためいていた。所在地は女川町堀切鷲神（わしのかみ）。八畳間ほどの大きさのコンテナを利用した店が八軒、コの字型に並んでいた。“商店街”中央の広場には日除けのテントと、テーブルが置かれ屋外カフェの雰囲気だ。花屋さんあり、洋品店、食料雑貨店、果物屋、電器店、居酒屋、魚屋、惣菜屋。様々な店が並ぶ。七月初めの仮営業を開始した。もう一店が開店準備中。これを加え九店で来月、八月六日に“グランド・オープン”するという。<br /><br />　津波で街の中心部が壊滅的な被害を受けた女川町では、震災以来商店が全く姿を消した。同じように大きな被害を受けた石巻市。被害を免れた内陸部では、震災後も商業活動が早く再開できたのと対照的だった。震災から三か月経っても女川町で営業していたのは、町外れにあるコンビニ一店だけだった。そこに誕生したコンテナ商店街。津波に打ちのめされ、孤立しているかに見えた女川町も前へ歩み始めたのだ。</p>
				<p>　コンテナはＮＰＯ法人「難民を助ける会」が寄贈した。三〇年余の活動歴を持つ団体で、私の社会部記者時代の取材先の一つだった。地雷廃絶運動ではノーベル平和賞を共同受賞している。今回の震災では被災地に食糧や生活必需品を届けるなどの支援をしている。また姉妹団体の「さぽうと２１」と共同で、津波で楽器を流された中学・高校のブラスバンド部に楽器を寄贈する活動もしている。復興の途は遠い。しかし、前へ進むためにはまず音楽の力を、という想いからだという。賛同した私、図らずも来月、八月五日仙台市で被災者を励ますチャリテイ・コンサートの準備を手伝うことになった。「エリック・オービエと仙台フィルによる心のコンサート『希望』」である。このてん末については別項で報告する。</p>
				<p>　コンテナは当初住居用として寄贈された。もっといい使い道がないか、女川町商工会の青年部が議論したという。その結果、仮店舗とすることを思いついた。土地は商工会の会員の建設業者が無償で提供した。コンテナ商店街がオープンした地区は、やや高台になっている。押し寄せた津波で一階が浸水した家が数軒、残りは被害を免れ自宅で暮らす住民が多い。これまでは石巻まで買い物に行くしかなかった住民に喜ばれた。日に四～五〇人は訪れるという。この日は平日の午後とあって、買い物客の姿はあまりなかった。それでも、近くのお年寄りが調味料を買いに来たり、被災地を「見学」に来たとおぼしき数人の若い女性たちが立ち寄って果物を買い求めていた。<br /><br />　商店街会長の相原義勝さん（六三）は果物屋の店主。「瓦礫に埋もれていた街を少しでも活気づけたい」と話す。女川町内では用地がなく、石巻市内に建てられた仮設住宅にやっと当たり近く入居する。しかし、毎朝石巻の青果市場で商品を仕入れるので、仕事上はかえって都合がいいと言う。<br /><br />食料雑貨店の店主、青木克之（よしゆき）さん（五一）は震災までは街の中心部で豆腐を製造・販売していた。黒い津波が豆腐工場兼自宅を押し流した。再度の設備投資はとても無理。コンテナ商店街のスタートを機に雑貨店に商売替えを決意した。しばらくはここで頑張り、新しい商売を軌道に乗せたいと話す。<br /><br />女川町では町が発表した「街づくり復興プラン」をめぐって住民たちの議論が進行中だった。パブリック・コメント、町民に意見を書いてもらい町役場が集約するのだという。役場の復興推進室に復興プランについての取材を申し入れたが、意見集約が終わらないと応じられないという。町の原案では津波に流された役場をはじめ、中心部の住宅街はそっくり東側の高台に移転する。中心部の跡地は盛り土でかさ上げして、防災緑地や商業施設を整備する。一方、町の西側の高台の住宅地は被害を免れた。従って、住宅地は二か所に分かれることになる。<br /><br />青木さんたち商売をする方々には、この点が気にかかるという。商売には人口の集積が欠かせない。しかし、町の原案では住宅地が分断されるのではないか。今回の震災で女川町では人口一万人のうち、およそ千人が犠牲となった。人口減に加え、この先町に残る人々がどのくらいいるのか。コンテナの仮店舗から本格的な店舗で再開できるのは、いつ頃だろうか？私の問いに、青木さんは「うーん、早くて五年後かな」遠くを眺めるように答えた。<br /><br />町の復興計画では五年後の平成二八年からの三年を「本格復興期」と想定している。かさ上げと宅地造成が進み、この頃ようやく新しい市街地ができるというのだ。気の遠くなる長さだ。わずかに数キロメートル以内の距離とはいえ、何世代にもわたって住み続けてきた地から、新たな地へ移り住むのだ。これくらいの時間は確かに必要なのだろう。宮城県の復興基本方針は計画期間を一〇年と謳っている。<br /><br />他にも課題がある。中心部から離れた、離島や半島部に散在する漁業集落をどう再生させるかである。女川町ではこのうち五部浦地区にある七つの浜を、一か所に集団移転させる計画を発表した。しかしこの計画は、漁業を営んできた浜から離れられないという住民の猛反発を受けた。町では集団移転の候補地を三か所に修正したが、話合いはまだついていない。<br /><br />部外者、私の心配をよそに、コンテナ商店街の人々は意気軒高である。来月のグランド・オープンには景品を用意してお客さまを迎える。イベントも考えたいという。二日前にはコンビニがもう一店オープンした。別の雑貨屋さんも仮店舗で営業を再開した。小さな灯かも知れないが、女川は着実に前へ歩んでいる。　<br /><br /><span style="color: #0000ff;">[人々の心に希望の灯を]</span></p>
				<p>［八月五日］<br />　タイトルにふさわしく、心のこもった演奏会だった。「エリック・オービエと仙台フィルによる心のコンサート｛希望｝」である。あわただしい準備期間だったが、会場はほぼ満席。オービエさんのトランペットはあくまでも輝かしく響き、仙台フィルは見事なアンサンブルで巨匠の演奏を支えた。特別出演の石巻好文館高校吹奏楽部にも盛大な拍手。ホールを後にする聴衆の表情は、心の底から音楽を楽しんだ喜びであふれていた。被災地に希望の灯をというメッセージは、人々の心に届いたに違いない。</p>
				<p>　主催者の「難民を助ける会」（社会福祉法人「さぽうと２１」）の柳瀬房子さんから、企画が飛び込んできたのは六月三〇日。一カ月ほど前のことだった。エリック・オービエはフランス在住の世界的なトランペット奏者。奥様の由里子さんが仙台出身で、八月の初めに一緒に里帰りする。震災の被災者を励ますため、仙台フィルとの共演によるコンサートをできないかというのだ。入場無料、被災者は無料で招待する。<br />「難民を助ける会」は社会部記者当時の取材先のひとつ。今回の震災で被災地の住民に食糧を届けたり、巡回バスを寄贈するといった支援を続けていた。前へ進むためには音楽の力を、との想いから被災した高校、中学のブラスバンド部に楽器を送り届ける活動もしていることを知った。我が意を得たりの私、図らずもコンサートの準備を手伝うこととなった。<br /><br />仙台フィルへ相談に駆け付けた。八月初旬で空いていて共演が可能なのは五日だけ。しかし趣旨を理解、協力を約束してくれた。問題は会場。三月一一日以降、仙台市内の音楽ホールは天井や舞台が損壊するなどの被害を受け、軒並み休館していた。仙台フィルも定期演奏会は一切取りやめていた。ただ一か所、仙台市青年文化センターが七月二日に再開と決まった。使用申し込みも始まっていたが、何と八月五日の日中が空いていた。私たちのスケジュールに合わせたかのように。奇跡的だった。ぼやぼやしている内に他から申し込みが飛び込んでは困る。私が所属するアマチュア・オーケストラ、仙台シンフォニエッタの名義でその日のうちにインターネットで仮予約を入れてもらった。翌日、青年文化センターの事務室が開くと同時に窓口へ行き、正式な主催者名に名義変更し予約金を支払った。「離れ業」で会場は確保できた。</p>
				<p>一週間後、仙台フィル事務局を再訪。しかし、メンバーはカルテット程度（弦楽器四人）しか確保できないと煮え切らない。オービエさんとはハイドンのトランペット協奏曲をやりたいと考えていた。フル編成とは言わないまでも、中規模の編成が必要だ。頭を抱えていたところに、救いの手が。ヴィオラ奏者の梅田昌子さんである。仙台シンフォニエッタのトレーナーとして長年お世話になっている。「面白い企画、私がメンバー集めます」と梅田さん。何と二日後には「六型」のオケ編成が出来上がった。第一ヴァイオリンが六人、第二ＶＮが五人，ヴィオラ四人、チェロ三人、コントラバス二人。管楽器がフルート、オーボエ、ファゴット、ホルン、トランペット各二人、それにテインパニーである。夢のような展開だった。繰り返す。功労者は梅田さんである。指揮は仙台フィルの元副指揮者、松元宏康氏と決まった。国内ではなかなか手に入らない、タルテイーニのトランペット協奏曲の譜面はフランスの由里子夫人からインターネットで送られてきた。あわただしく準備は進んだ。<br /><br />残る心配は、仙台フィルのスケジュール上前日のリハーサルが取れないこと。ソリストとの合わせも当日のゲネプロだけで本番に臨む。「ゲネ本（ほん）」という綱渡りのスケジュールだ。その日、八月五日が来た。九時四五分音出し。ゲネプロ開始である。しかし心配は無用だった。さすがにプロの演奏家同士である。協奏曲でソリストが妙技を聴かせるカデンツアから、オーケストラのテユッテイ（全合奏）に移る箇所などを再確認して、ゲネプロは終わった。あっという間に本番を迎えた。</p>
				<p>八〇〇人収容の会場はほぼ満席。午後二時開演である。最初の曲はバッハの「Ｇ線上のアリア（管弦楽組曲第三番から）」。震災の後仙台フィルは各地の避難所で巡回演奏したが、冒頭に決まってこの曲を演奏してきた。震災の犠牲者を追悼する想いをこめてである。前後の拍手は遠慮してもらった。軽快な曲、モーツアルトのデイヴェルテイメントニ長調、Ｋ一三六をはさんで、前半のハイライト、タルテイーニのトランペット協奏曲である。オービエさん、ピッコロ・トランペットを持って登場した。普通のトランペットより小ぶり、バロック・トランペットとも呼ばれる。華やかな音色に会場全体が明るくなった。アンダンテの第二楽章ではしっとりした情感を聴かせる。世界的な巨匠の演奏に拍手は鳴り止まなかった。</p>
				<p>第二部の冒頭にこの日のもう一つの主役、石巻好文館高校吹奏楽部が登場した。そろいのライトブルーのブレザーに身を固めた五三人の高校生がステージを埋めた。<br />石巻市の北上運河近くにある好文館高校はあの日、校舎の一階を黒い津波が襲った。当時学校にいた生徒は無事だったが、全校生徒六〇〇人のうち下校途中の三人が津波に呑まれ亡くなった。吹奏楽部の楽器はいくつかが津波で流された。高校は一時避難所となった。気を取り直して生徒たちが練習を再開したのは、震災から一カ月半四月末のことだったという。<br /><br />ステージに並んだ部員たちは秋場広人先生の指揮で「天国の島」「希望の帆」の二曲を演奏した。息のそろった優れた演奏だった。曲は亡くなった同級生に捧げたものだろうか。彼らが手にした楽器の中には、津波をかぶって錆びかけたものを修理したものもある。聴衆からの大拍手の中、生徒たちの多くが流れる涙を拭こうともせずステージに立ち尽くしていた。母親をはじめ身内を亡くした部員も多い。一言も言わなかったが、彼らは苦難を通り抜けてきたのだ。<br /><br />苦難の日々を思い起こしていたのだろうか。それとも涙は、苦難の末に再び音楽と出会えた喜びの表われだったのだろうか。美しかった。その涙は決して苦いものでなく、希望の灯を宿したものだった。オービエさんからはトランペットが彼らに贈られた。</p>
				<p>　仙台フィルはモーツアルトの交響曲第三八番「プラハ」を演奏した。メヌエットのない珍しく三楽章の曲である。しかし、この後の三大交響曲にひけを取らない名曲だ。第二楽章のアンダンテ、松元さんと仙台フィルは息の長いフレーズをゆったりと歌っていた。そして、メイン・プログラムのハイドンのトランペット協奏曲。この楽器の協奏曲では最も知られた曲である。ピストン方式のトランペットで奏でるオービエさんの輝かしい音色が聴衆を魅了した。高音でも決して固さを感じさせず、丸くふんわりとした音色はやはりフランス伝統のもの。鳴り止まぬ拍手に巨匠は二度、三度とステージに呼び戻された。<br /><br />　アンコールはエデイット・ピアフの「ラヴィ・アン・ローズ（バラ色の人生）」最後にエリック・オービエさんはマイクを持ってステージに立った。「多くの困難を抱えた、ここ仙台で演奏できたのは大変うれしい」と挨拶した。この種の演奏会では異例のことだった。<br />　コンサートは成功だった。聴く人々の心に必ずや希望の灯をともしたに違いない。</p>
				<p>　心配のタネは数えれば限りなかった。二つにしぼろう。<br />　まず、聴衆の入りである。一か月という準備期間は“超”異例の短さだった。“超”に驚いた仙台フィルの事務局も、本音は断りたかったのかも知れない。チラシが出来たのが七月二〇日。宣伝期間は二週間しかなかった。河北新報には二回書いてもらった。朝日新聞の他、私の古巣ＮＨＫにもテレビ、ラジオでお知らせを出してもらった。地元のＦＭ局には梅田さんと一緒に出演してＰＲ。本番の二日前からは、ＮＨＫに「席に余裕あります。会場に直接お出で下さい」とアナウンスしてもらった。「難民を助ける会」のスタッフも伝手をたどってＰＲした。結果、満席に近い入りとなった。様々な努力が不可能に思えたことを可能にした。<br />　<br />　もう一つは舞台の運営である。ステージ・マネージャーはＡ氏。私がアシスタントを務める。加えて仙台フィル事務局のＷ氏が、わざわざ年休を取って手伝ってくれることになった。　青年文化センターのステージの事情を知り尽くしている人の参加は心強かった。嬉しかった。一方「船頭多ければ船、山に登る」ともいう。ある種のフリクションを心配した。しかし、この心配は無用だった。誰もがおとなだった。いや、ステージを成功させようという共通の想いが、心配を杞憂に終わらせたというべきか。強い意思と努力は全ての心配を吹き飛ばし、不可能を可能とする。今回のステージはこのことも教えてくれた。</p>
				<p>　復興の途は遠い。数年で成るというほどに生易しいものではない。、経済やインフラの復旧、再生は勿論急がなければならない。しかし、それ以上に芸術、文化が地域社会の復興に果たす役割は、この先ますます大きくなるに違いない。今回のコンサートがその途上に、一里塚を築けたとすれば、そのことを誇りとしたい。<br /><br /><span style="color: #0000ff;">[震災、そして眼に見えない放射能の恐怖]<br /><br /></span>［八月九日］<br />　福島県の被災地に初めて足を踏み入れた。震災に加えて、原発事故という人災に悩まされている福島の方々の労苦を思うと、これまで足を向けることができなかった。<br />　国道六号線を南下する。南へ向かう車の列は時折り渋滞する。あちこちで補修工事が行われているせいもあるが、平行して走るＪＲ常磐線は震災以後不通のまま。人や物を運ぶ動脈は半分途絶えたままなのだ。夏草の茂った国道沿いの光景は相馬港が見えるあたりから一変する。瓦礫が片付けられないまま道ばたに転がっている。<br /><br />高い煙突が目立つ相馬共同火力発電所は震災で操業を停止したままだ。東北電力と東京電力の両社が動かしている発電所だ。三月一一日、一号機は定期点検中だった。出力一〇〇万キロワットの二号機が運転中だったが、強い揺れで停止した。続いて高さ三メートルの津波が発電所に押し寄せた。建屋は損壊しなかったが、モーターなどの電気設備が冠水した。　港に備え付けられているアンローダーという、燃料の石炭を陸揚げする機械も四基のうち二基が津波で破壊された。復旧を急いでいるが、会社側によると今年末にも一部復旧、全面復旧となると来年の夏の見通しという。一，二号機合わせて二〇〇万キロワット。原発事故の蔭で目立たないが、心配されている東北電力の電力不足はこんなところにも原因がありそうだ。<br /><br />相馬港は岸壁のあちこちが津波に破壊されたままだ。ふ頭に立ち並ぶ荷揚げ倉庫や低温倉庫などは、壁が押し流され無残な姿をさらしていた。四月末には貨物船が入港できるようになり、操業は再開した。この日も鉱石を積んできた中国船「楽山（リーサン）」が岸壁に係留されていた。しかし、復旧へ向けた国の被害見積もりもまだ終わっていない。本格復旧は何時になるのか、見通しもつかないと福島県の担当者は話していた。</p>
				<p>相馬港の南側の一帯は松川浦を中心とした観光地が拡がる。松川浦は砂州で囲まれた潟湖（せきこ）。南北七キロメートルほどの細長い入江に一〇数個の島々があり、小松島（しょうまつしま）とも呼ばれていた。入江の外側には原釜尾浜海水浴場や漁港がある。また大きな水産物直売センターは、豊富な海産物を求めて観光バスが立ち寄る観光スポットだった。この一帯を高いところで四メートルの津波が襲った。<br />海水浴場に面した住宅地はあとかたもなく姿を消していた。コンクリートづくりの建物も三階を残して、外壁が津波で流された。海水浴客でにぎわったはずの海沿いに立つ三階建ての売店は、壁が破壊され赤い鉄骨がむき出しになっていた。この地区だけでおよそ一七〇人の住民が亡くなった。<br /><br />観光スポットの直売センターは姿を消していた。松川浦沿いには二〇軒ほどの旅館が立ち並ぶ。津波は砂州を軽々乗り越え潟湖に押し寄せた。多くの旅館が一階の胸の高さまで黒い津波が流れ込んだ。<br />「営業再開」の看板を出している旅館があった。「いさみや」である。流れ込んだ泥のかき出しは自分たちだけでは到底できなかった。各地から駆けつけたボランテイアの手を借りて営業再開できたのは六月末だったという。現在、復旧作業の関係者二〇人ほどが宿泊している。普段なら八月一杯は観光客で満員なのだという。<br /><br />場所によっては松川浦からの津波と、北側の漁港から押し寄せた波が合流して高くなり一階部分が完全に水没した旅館もある。一階が損壊して営業を再開できるかどうかの見通しすらつかない数軒の旅館がそれである。「いさみや」の経営者、菅野尚（たかし）さん（五九）「私たちはボランテイアの方々の協力で何とか再開にこぎつけた。しかし、眼の前の松川浦はじめ観光資源が破壊されつくした。本格復旧はいつになるのか見当もつかない」と話す。小松島と呼ばれるもとになっていた一〇余りの島々は、松川浦からほとんど姿を消していた。かわって、一キロメートルほど北の地区から押し流されてきた、大きな住宅が潟湖の真ん中に浮かんでいた。島のように見えるのが何とも皮肉だ。<br /><br />松川浦の南側、磯部（いそべ）地区の被害はもっと大きかった。瓦礫の片付けが進んだため、それとはすぐ分からない。見渡す限りの平地が津波で流された住宅地の跡だった。この地区では磯部公民館が指定避難所だった。住民は最初ここに逃げ込んだ。しかし、職員がここでは危ないと判断。さらに高台、標高二四メートルの磯部小学校に避難させたという。難を免れた住民は多い。しかし、この地区だけで逃げ遅れた住民二五〇人が亡くなった。</p>
				<p>国道六号線をさらに南下、南相馬市である。南の地区は一部が二〇～三〇キロ圏の「計画的避難区域」と、高い線量が測定された「緊急時避難準備区域」に指定されている。避難した住民も多いのだろう。沿線のファースト・フード店などはシャッターを下した店が目立つ。南相馬市小高区岡田（おだかく・おかだ）で通行は遮断された。福島県警の車が「通行禁止」の表示を掲げて非常線を張っていた。これから先は二〇キロ圏「警戒区域」である。近辺の飲食店は軒並み閉店。わずかに店を開けていたコンビニも日中だけの営業だった。眼に見えぬ放射線の恐怖に身を固くする。<br /><br />内陸の飯舘村経由で帰途についた。飯舘村は阿武隈山地の北端の高原に拡がる自然豊かな村である。「までいな村」を旗印に村づくりを進めてきた。方言で「丁寧な」を意味する。夏草に囲まれた村のたたずまいは、スローライフという言葉が似合う。しかし、道路沿いの家々はすべて扉を固く閉ざしたままである。ガラス越しに洗濯物が干してあるのが見えるが、窓は閉まっている。福島第一原発の三〇キロ圏内から外れているが、村の全域が「計画的避難区域」に指定された。六月以来、六〇〇〇人、一七〇〇世帯の村民は全村避難を続けたままである。<br /><br />白い瀟洒な造りの村役場。隣には全国でも珍しい村営の本屋「ほんの森いいたて」があるが、人の気配はどこにもない。役場の前に設置された線量計だけが、点滅しながら放射線量を表示していた。三，六三マイクロシーベルト。高い。年間の積算放射線量にして三一，七ミリシーベルトに当たる。国が避難の目安としている二〇ミリシーベルトを越える数値だ。ゴーストタウンという言葉が思わず浮かんだ。しかし、それは一日も早く故郷へ帰ることを切望している人々には失礼だ。口をつぐんだ。<br /><br />飯舘村佐須の道路沿いの細川牧場。四〇頭ほどの肉牛が干しわらを食んでいた。子牛も数頭いる。牧場の従業員たちは、避難先の福島市から毎日えさやりに通っているという。標高が高いため冷害に悩まされてきた村の人々は、二〇年の月日をかけて米作中心から飯舘牛というブランドを育ててきた。村内では三〇〇〇頭の肉牛が飼育されている。飯舘の主産業だ。細川牧場の四〇頭も大半が出荷時期にさしかかっている。しかし、福島、宮城、岩手それに栃木の肉牛は出荷停止を指示されたままだ。えさの自家製の干し草は検査してもらったところ放射性物質は検出されなかったという。しかし、このままではえさ代がかさむだけでなく、干し草がいつまでもつかも心配だという。出荷停止が解除されるまで、何としてもブランド牛は守りたいと話す。眼に見えない放射能の恐怖が、長年にわたって築いてきた人々の暮らしをおびやかしていた。<br /><br />道ばたの農家。主のいない家の庭先で、ひまわりが大輪の花を咲かせていた。　（続く）</p>
				<p style="text-align: right;">仙台：松館忠樹</p>
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		<title>右からの脱原発デモ　“非常時にイデオロギーは要らない”</title>
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		<pubDate>Tue, 02 Aug 2011 02:37:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kiyo7</dc:creator>
				<category><![CDATA[健康・福祉]]></category>
		<category><![CDATA[政治]]></category>
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		<description><![CDATA[				
				                                日章旗を先頭に進むデモ隊。横断幕の右端を持つのが鈴木邦男・一水会顧問。（31日、芝公園前。写真：筆者撮影）
				　日章旗と「原発い [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[				
				<p style="text-align: left;"><a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/c861c5a3dca49bfc1d263a8aee79e4cc.jpg"></a>                                <a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/207a68030a98f2374b7b33e1a78d0b54.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/207a68030a98f2374b7b33e1a78d0b54-300x198.jpg" title="一水会" width="300" height="198" class="alignnone size-medium wp-image-6328" /></a><br />日章旗を先頭に進むデモ隊。横断幕の右端を持つのが鈴木邦男・一水会顧問。（31日、芝公園前。写真：筆者撮影）</p>
				<p>　日章旗と「原発いらない」のプラカードが共に翻った。31日、民族派ナショナリストの呼びかけによる脱原発デモが都内で行われ、市民団体や環境団体のメンバーも参加した（呼びかけ人：鈴木邦男・一水会顧問など）。</p>
				<p>　「脱原発を訴える人たちの裾野が広がってきた」と筆者はこれまで幾度も指摘してきた。人気俳優やアイドルがテレビ界のタブーを冒してまで脱原発の集会・デモに参加するようになった。「デモは初めて」という年配者が目立つ。今や脱原発運動を支えているのは子供を守りたい一心の母親たちだ。　<span id="more-6327"></span>政財界やマスコミなどは「原発に反対するのは左翼など一部の偏った人たち」とのレッテルを貼ってきたが、それも過去のものとなった。</p>
				<p>　民族派の代表的存在である鈴木邦男・一水会顧問は今回のデモの意義を次のように語る。「右翼陣営の中には左翼がやってるから『脱原発』には反対だという声がある。だが、山河を守るという民族派の原点に立ち帰ったのがきょうのデモだ」。</p>
				<p>　一水会はチェルノブイリ原発事故（1986年）後、高木仁三郎氏（原子力資料情報室代表＝故人）を招いて勉強会を開くなどして原発問題に取り組んできた。放射能で郷土が汚染され、国民の健康は蝕まれる。原発事故は民族派として看過できない問題である。</p>
				<p>　呼びかけ人の一人、針谷大輔・統一戦線義勇軍議長は原発事故を民族の危急存亡に関わるものと考える。「反原発はこれまで左翼の運動と捉えられてきた。非常時にイデオロギーは必要ない。被災地で最も必要とされるガソリンを持ってきた人に『あなたは右翼ですか？左翼ですか？』とは聞かない」。</p>
				<p>　郷土をズタズタにされた宮城県出身の男性（都内・会社員＝30才）もデモに参加した。「一週間ほど故郷に帰ってきた。実家は稲作農家だが、風評被害で売れないだろうと思うと悔しかった。それから反原発に向かうようになった」。</p>
				<p>                                <a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/c861c5a3dca49bfc1d263a8aee79e4cc.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/c861c5a3dca49bfc1d263a8aee79e4cc-300x198.jpg" title="抗議デモ" width="300" height="198" /></a><br />麗しき山河を破壊する原発を停止し代替エネルギーの開発を推進せよ」と訴えるデモ隊。（経産省・原子力保安院前。写真：筆者撮影）</p>
				<p>　デモ隊は東京タワー真下の芝公園を出発した。日章旗と鈴木邦男氏らが持つ横断幕が先頭だ。「友よ、山河を滅ぼすなかれ」「原発労働者の権利を守れ」……林立するノボリとひしめくプラカードは、デモが従来のイデオロギーの垣根を飛び越えたことを雄弁に語っている。</p>
				<p>　霞ケ関の経産省前に差しかかるとデモ隊のシュプレヒコールは一段と激しさを増した。「経産省・原子力保安院は人の心を取り戻し、全ての情報を公開せよ」・・・。</p>
				<p>　警察に促されて渋々進んだデモ隊は経産省を後にすると内幸町の東京電力前に達した。「責任の所在なき東電への税金投入反対」「我々は東電のために税金を払ってるんじゃないぞ」「東電は誰か出てきなさい」…。デモ隊の訴えは殺気さえ帯びた。</p>
				<p>　水と大地あってこその生活、郷土であり国家である。それが脅かされる時、人々はイデオロギーを超えて大同団結する。記者クラブメディアによる情報操作も警察の取締まりも効果を失う。原発推進派が最も避けたい流れができつつあるようだ。</p>
				<p style="text-align: right;">　東京：田中龍作　<a href="http://tanakaryusaku.seesaa.net/" target="_blank">田中龍作ジャーナル</a></p>
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