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この記事についてつぶやく転勤・・・そして退職!!
ずいぶんと、更新をさぼっていました。
え~・・・タイトルにある通り、7月いっぱいで旭川を離れました。
行き先は、大都会東京・・・。
もう7年も離れているので、都会のペースについていけるか心配です(泣)
そして、わたしは7年勤めた会社を退職しました。
7年の間、ほんとうに楽しい毎日を過ごさせてもらったと思います。
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この記事についてつぶやく究極の幸せとは
52分という異例の長さに、戦後政治総決算を血を流さない革命で断行するという一世一代の気概を示したかったのだろうと推察される。
これに対し冗漫、情緒的だという批判が野党から出された。
この異例の長さの中に、鳩山総理は今月視察した知的障がい者を雇用しているチョーク製造工場の話を3分もかけて取り上げた。
そして「人間は人に評価され、感謝され、必要とされてこそ幸を感じる」という僧侶の話を紹介した。
私はこの所信表明演説をテレビで見ていて、飛び上がらんばかりに驚いた。
なぜなら3日後の29日、たまたまそのチョーク製造工場へ見学に行く予定だったのである。
このチョーク製造工場が障がい者を雇用していることは承知していた。
それが所信表明演説で紹介されるような工場だとは不勉強ながら知らなかった。
がぜん深い関心を抱いて見学に出かけた。
< 粉の出ないチョーク >
鳩山総理が取り上げた会社は日本理化学工業(本社東京都大田区、資本金2000万円)である。
工場は神奈川県川崎市と北海道美唄市にあり、鳩山総理は川崎の工場を視察した。小さな町工場に視察の希望が伝えられたのが視察わずか3日前だったという。
工場の整理整頓もままならい中で信じられないような人が、これまたSPなどがガードする黒塗りの車十数台で訪れ、工場の人たちは何がなんだかわからないうちに時間は過ぎたという。
私が訪れたのは札幌からおよそ車で1時間の美唄工場である。
工場と言われない限り、工場とは思えないくすんだ建物だ。
それもそのはず、旧三菱美唄炭鉱の病院廃屋を活用して工場にしたという。(写真左下)
ここに社員28人、この内知的障がい者21人(重度13人、中軽度8人)が働いている。健常者は案内してくれた工場長以下わずかに7人である。
昔はチョークといえば、黒板を拭くと粉が出るのが当たり前、肺病は学校の先生の職業病といわれるくらい、先生は腕や上着を白くして授業をしていた。
現在は粉の出ないチョークが開発され、美唄工場の主力製品である。
ちょうど50年前の昭和34年、東京の高等養護学校の先生が2人の女生徒をつれて会社を訪れ「雇ってほしい」と懇請した。
これに対し当時専務の現社長は「責任を持つことはできません」と何度も断った。
すると先生は「ここで働けないと彼らは一生働くことを知らないまま一生を過ごす、採用でなく実習でもよいので使ってくれ」と頼むので、仕方なく2人を1週間の約束でラベル張りの実習体験をさせた。
ところが休憩時間になっても仕事に没頭し、一生懸命働く姿に心を動かされ、健常者の社員全員が「みんなで面倒を見るので何とか2人を採用してほしい」と専務に訴えたという。
これが日本理化学工業と障がい者との接点のはじまりだという。
< 作業工程の工夫 >
私たちはこの話を聞いてから、チョークの製造工程を見て回ったが、工場長は働いている社員の目を見てくださいといって工場内を案内した。
チョーク製造工場は流れ作業である。原料をこねるコーナーから、こねた粘土質をミキサーに入れる人、ミキサーから出てくる棒状を30cmくらいの中間製品に切断する人(写真右)、一定の長さに切られたチョークの中から不良品を取り除く人、箱につめる人、ラベルを貼る人など、従業員は自分の持ち場で黙々と作業をしている。
作業工程は障がいに応じて工夫がされている。
これには目を見張った。
例えば正確な計量をするために、容器の色で判断させる。
黄色い大きなバケツに入った原料を、スケールで計るのに黄色の目印まで入れ、それを黄色のケースの中に入れる。(写真下左)
これによって赤青黄の信号機が理解できる人なら、この作業はできるのだ。

また正確な時間で機械操作する業務では、時計を読めない人のために砂時計が用意され、砂が落ちたら機械を止めるようにさせる。
さらに品質管理では予め作ったチョークの鋳型に、きちんとはまらない太いものや細いものを除去するようにするなど、知的障害者でも理解できるような工夫があちこちでされている。
これらの作業は最初できなかった人でも半年もすればきちんと理解するようになるという。
これらの単純な作業はロボットなどの機械で置き換えるのは経営上容易だが、ベテランになるとロボットより正確で早く処理するくらいだという。
「健常者はすぐ知的障害者にできるわけないだろうというが、それは間違いです。
そのような偏見で、頭から障がい者に仕事の場を提供しないのが多いのではないでしょうか。
やらせればできるのだということを私も教わりました」
工場長の話にうなずくばかりである。
作業のやり方について工場長は面白い話を紹介した。
ガラスの窓を拭かせると、最初は雑巾で丸く拭くだけだという。
左上の端が拭かれてないのでここも拭かなくてはいけないというと、きちんと拭くが右上は拭かない。
右上も拭かなければならないというと、今度は左右どちらもふくという。
このように一度教わったことは手抜きはせず、実に熱心に最後までやるという。
「こちらのほうが少しくらい手加減してもいいのではとおもうくらいです」と工場長は苦笑いをした。
従業員の多くが知的障がい者である。平均年齢47歳。
彼らは自分たちがきちんとやらなければ会社が成り立たない、会社がつぶれれば自分たちの働く場がなくなるということを知っているという。
だから単純な作業でも、与えられた作業をきちんとやらないと迷惑がかかると目の色を変えてやっているのだという。
工場長曰く「こうした作業振りを見てると、安易に解雇などといえません」
従業員は昼の休憩時間になると目つきも穏やかになり、食堂では笑いが絶えない。
ささやかでも働く幸せを感じていることが、よくわかるという。
< 禅問答 >
日本理化学工業の社長は、最初は障がい者は施設で暮らすほうが幸せなのではないかと思ったという。
ところが禅僧から「人間の究極の幸せとは ①人に愛され ②人に誉められ ③人の役にたち ④人に必要とされることだ。
このうち愛されること以外は、働くことによって実現される」と教わったという。
それでは働く場としての授産施設を整備すればいいではないかというと、そうでもないらしい。
「動物はオリの中で大事に育てられた生活では、子供を育てる本能までなくなる。何のために生きているのか見失っている」
これは上野動物園の飼育員から教わったという。
授産施設の整備だけではだめで、中身が伴わなければ効果がない。
いまの授産施設は障がい者は時間になると施設に通い、時間になると帰る漠然とした施設が多いという。
障がい者を持つ親にとっては気は楽だろうが、ご本人にとって目的のない施設通いということだろう。
現在法律で企業は一定割合で障がい者を雇用するよう義務付けられ、違反した場合、一人当たりいくらの罰金を科せられることになっている。
多くの企業は障がい者を雇用するよりは、罰金を払ったほうが手っ取り早いとして罰金を選び、この結果障がい者の雇用は進んでいない。
工場長は見学の最後に私たちにつぎような話をした。
「人間にとって生きることは、誰かに必要とされて働き、それによって自分の生活に必要な対価を得て自立すること。
その場を提供することこそが企業の存在価値であり社会的使命である。うちの社長はこのように言ってるんですよ。」
定年後「人生は死ぬまで勉強なり」と思って、いろんなところに出かけているが、今回の見学はまだまだ世の中のことを何も知ってないなと痛感させられた。
鳩山総理だけでなく、この工場を見学すると「生きる幸せ」という命題を自らに投げかけてくる。
所信表明演説で紹介されたためか、問合せが相次ぎ、工場は年末まで見学者のスケジュールが一杯だという。
ところで、キットパスという筆記具をご存知でしょうか。
粉が出ないだけでなく、キャップが要らない(乾燥しない)、ガラスや板などに書いては消せる、水で溶かせば絵の具にもなる。
筆記具の革命というべき商品が開発され、ことしの日本文具大賞に選ばれた。
このキットパスは知的障害者の開発商品であるという。
札幌:望田武司
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この記事についてつぶやく「骨太方針」撤廃、国民の骨だけがきしんだ
小泉政権が誕生した01年頃、国家財政は多額の赤字国債を抱え、金融機関は膨大な不良債権を負っていた。大型の企業倒産が相次ぎ、就職は氷河期。この国の経済はニッチもサッチも行かない状態だった。
「財政再建なくして景気回復なし。痛みに耐えて頑張ろう」。集団催眠にかけるような詐術的なフレーズと共に、ヤリ玉にあげられたのが『公共事業』と『社会保障』だった。基本政策ともなった「骨太の方針」により両者とも大ナタを振るわれた。
社会保障費は「骨太の方針」が実行に移された02年度から今年度までに8兆円も削減された(朝日新聞24日付)というから驚く。筆者は福祉の現場で悲鳴を聞いた。
障害者は介助費が1割負担となった。もともと収入が限られている身に余計な出費がのしかかった。時間でカウントされる介助費を削るためにトイレで食事を取る障害者まで現れた。
生活保護の母子加算である月々2万3千円の支給を廃止されたシングルマザーは、どこを削ってよいのかわからないほど切り詰めた生活を送る。ある女性は「食費を節約するために、ス-パーで安売りのウドン玉を買い込んで少しづつ食べて行く」と話してくれた。

「これでは生きてゆけない」老齢加算の復活を求めてお年寄りたちが提訴した(東京地裁前。写真=筆者撮影)
生活保護の老齢加算を廃止された老人たちが「これでは生きてゆけない」として加算の復活を求める裁判を起こしたケースもあった。
母子、老齢加算を廃止した政府の言い分は「一般の母子家庭、生活保護家庭よりも消費が多いから」だ。このうち母子加算については比較対象世帯がわずか32軒だったというから、根拠が実に怪しい。いずれにしろ論理が逆だ。「苦しくても我慢している世帯があるのだから、お前らはもっと我慢しろ」を強いるのでは、政府が社会保障政策を放棄したに等しい。
一方で官僚に代表される国家公務員の特権は温存された。天下りなどに伴う官僚の無駄遣いは年に12兆円にも上る(衆院調べ)。年額12兆円もあれば、今日本が抱えるほとんどの問題は解決するであろう。
公務員は民間人よりも高い給与水準で事実上リストラはない。そんな彼らが格安の公務員住宅に住む。
税金を払って彼らの優雅な生活を支えている一般の国民は、高い賃貸住宅に住みスーパーの安売り食品を漁る。額に汗して働いていても、簡単にクビを切られる。
『痛み』に耐えなければならないのは、一般の国民だけだった。不評を買った「骨太の方針」は、総選挙を前に事実上撤廃されることが決まった。国民の骨だけがきしんだ8年間だった。
東京:田中龍作
この記事の初出は田中龍作ジャーナル です。
この記事についてつぶやく奥が深いな~ 音訳ボランティア
始めのうちは本を読んだり、広報新聞等をテープに録音して校正して・・・という事をやっていましたが、去年の4月から「DAISY 図書」の製作もやっています。
「DAISY図書」とは、簡単に言うとデジタル録音図書のことです。
いままでテープに録音していたものをCD化するのですが、その際、いろいろな編集作業が必要になります。
いま私がやっているのは、「音声と見出しを表示する」というものです。
1冊の本を録音する時、例えば90分テープが7本であったとしても、DAISY図書ならCD1枚。
見出しやページ付けをしているので、聴きたい章やページにすぐ飛ぶことが出来る。
音質にかかわらず、聴くスピードを速くしたり遅くしたりする事が可能。
繰り返し聴いても、テープのように伸びたり切れたりする事がない。
などなど、メリットは多いと思う。
このDAISYは、視覚障害者だけでなく、識字障害、失語症など様々な場面で活躍が期待されるメディアであるらしい。
さらに、これは世界共通の規格をもとに製作するものらしい。
私はまだまだ始めたばかりだけれども、その奥の深さにめまいを覚える。
でもこれから必ず必要になる分野であると私は思うのです。
だからこそ、もっと広めていくために私に何が出来るのかを考えるのが、これからの課題かな・・なんて思いを巡らせている今日このごろです。
葛飾区:オータニ
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この記事についてつぶやく「なりたくてなった人はいない」 ホームレス支援NPOが講演
9月19日(水)午後6時半より総評会館(東京都千代田区)で「『いのちを見つめる』~ホームレスの人たちとのふれあいを通じて生きなおすことを考える~」と題し、講演会が開催されました。講師は、稲葉剛さん(NPO法人・自立生活サポートセンター『もやい』代表理事)と角田妙子さん(グループホーム『ふうせん』代表)。主催は、財団法人・大竹財団。
稲葉剛さんは、仲間とともに野宿生活者の自立支援を目的とした自立生活サポートセンター『もやい』を立ち上げ、「ホームレス」状態におかれている人たちがアパートに入居する際の連帯保証人を提供するシステムをつくるなどの支援活動を行っています。また、角田妙子さんは、山谷地区の炊き出しに参加し、路上で生活をするホームレスの女性との出会いをキッカケに、ホームレスを経験したことのある女性たちと一緒に暮らすグループホーム『ふうせん』を立ち上げました。
●稲葉剛さんのお話
路上で人が亡くなっていることにショックを受けた
私は広島出身で親が被爆した被爆2世です。子どものころから原爆の話を聞いて育ち、学生時代から平和運動をしてきました。私が学生のとき、新宿西口から都庁に向かう地下道路に段ボールハウスがありました。その段ボールハウスを撤去することになったのですが、行政による強制排除のやり方があまりにひどいので、仲間と一緒に反対運動をしたのが、この活動にかかわるようになったキッカケです。
ショックだったのは、路上で人が亡くなっていたことです。ちょうど湾岸戦争が始まっていて、海外のほうに目がいっていたのですが、国内に目を向けると路上で人が亡くなる社会であったことにショックを受けました。路上に出ている人を見ると、この社会で排除されている人たちであることがわかります。男性が圧倒的に多く、50代~60代前半の人が多い。65歳以上の高齢者や障害者の人たちは福祉の枠組みで保護されていますが、それに当てはまらない人は排除される。排除された人が路上に出ている。
福祉はなんのためにあるのか
世の中で福祉を始めた人は、路上で人が亡くなるのをなんとかしようとことで始めたはずなのに、専門化され、制度化され、細分化されることでこぼれ落ちていく人がいる。こぼれ落ちていくものに目をかけたいという思いがありました。新宿を拠点に94年から仲間と一緒に活動を始めました。強制排除反対や、毎週日曜日午後6時より中央公園ポケットパーク(新宿駅西口徒歩15分)での炊き出しや、その後、午後7時から新宿地域でのパトロールをやっています。
講師の稲葉剛さん
01年から『もやい』という団体をつくって、野宿から抜け出そうとする人たちの生活の相談や、アパートに入居するときの保証人になっています。これまで1,200人の保証人を引き受けました。野宿だけでなく、ネットカフェ難民と言われている人たちなど、広い意味でのホームレス状態の人を対象にしています。『もやい』では、自立して生活できる障害者の人やDV被害者の人の保証人にもなっています。
失業、リストラ、倒産、病気、多重債務など、野宿に陥る理由は様々です。いったんそういう状態になると、野宿から這い上がるのは大変難しい。だれも好き好んで野宿をする人はいません。よく、なぜ働かないのかという人がいますが、実際はみんな働いています。古新聞や空き缶を集めている。しかし、月収が3万円ぐらいなので、アパートを借りることができない。
住所がないということは市民権を失うこと
正規の仕事につくのが難しい。まず、住所が無い。保証人もいない。携帯電話もない。身だしなみを整えることが難しい。住所がないということは市民権を失うことだという人もいます。労働市場や行政サービスから排除されている。段ボールハウスで暮らしている人を強制排除することは、厳しい状況の中でなんとか生活レベルを向上させようとしている人たちの努力を無視し、尊厳を粉々にする。それが一番の問題。
94年と96年に強制排除されました。強制撤去に反対した人が逮捕され、無罪になりました。裁判所は、段ボールハウスを勝手に排除してよいものではない、との判断を下しました。裁判の結果を受け、東京都の姿勢が変わりました。排除ではなく、野宿から抜け出すためにはどうすればいいのか、その方向に話がいくようになりました。
経済的貧困と人間関係貧困
いろいろ課題はありますが、自立支援センターに入り、生活保護を受け、生活訓練をしてからアパートに入るという取り組みができました。しかし、保証人がいないとアパートに入れません。貧困問題は2つの貧困があります。経済的貧困と人間関係貧困です。保証人がいない人が野宿になるとも言えます。構造的な問題であり、行政に相談したところ、私的な契約だという理由で逃げられました。それで、民間がやることになりました。
高齢者が多く、アパートに入っても孤独な状態になる人が多い。話し相手がいないからです。最初は一軒一軒訪問していたのですが、とても回りきれないので、飯田橋に一軒家を借りて「サロン・ド・カフェこもれび」を開設しました。毎週土曜日そこにきてもらって交流を深めてもらう。珈琲100円。ランチ300円。野宿を体験した人がスタッフになっています。
互助会のメンバーが中心になって、東ティモールを支援しているNGOと連携し、東ティモール産の豆を購入して焙煎して売る事業をしています。1年間かけ、焙煎の技術を習得しました。
『もやい』の活動で大切にしていること
ネットカフェの若者たちからも相談を受けるようになりました。『もやい』が大事にしていることがあります。それは、「自己完結型ではない、ネットワーク型の活動」「抱え込まない、突き放さない、支援のあり方」「困ったときにSOSを出せる関係作り(当事者にも、外部にも)」「顔と名前が見える関係を大切にする」「問題を『社会に返す』ためのネットワークと当時者が本来持っている力を発揮できる場を作ること」などです。
困ったら助けを呼んでくださいと言っています。自立は1人でなんでもやることではなく、支えあうことだと思います。困ったときは『もやい』でもだれにでもいいから相談してください、と呼びかけています。友人と2人で『もやい』を立ち上げたとき、私たちも「助けてください」とあちこちに言いました。朝日新聞の「天声人語」が取り上げてくれ、全国から数百万円の寄付がありました。それを元手にして活動を始めました。
保証人の責任は重い。事故もありました。アパートに入ると借金取りがきたという相談がありました。弁護士や司法書士のネットワークをつくりました。いろんな問題が起こる。自分たちが困ったとき、ネットワークをつくって助けを求める「反貧困ネットワーク」ができました。具体的な人の相談を通して顔がつながってできたネットワークです。社会の問題だから社会に返していく。いろんなところとつながって活動をしていきたいと思っています。
●角田妙子さんのお話
差別的感情をもっていることが耐えられなかった 29歳のとき、体を壊して1年近く仕事を休みました。退院するとき、医者から「あと10年(の命)」と言われました。カウントダウンをしてから、4、5年経ったとき、池袋の地下通路にいるホームレスの人たちを見ました。異臭が漂っていました。その人たちも生きていて、自分も生きている。そのことが引っかかっていました。(その人たちが)怖いというのは差別につながる、と自分で感じていました。
それまで福祉の仕事をしていたので、障害者の人たちと差別とたたかってきました。自分も体を壊し、余命10年と言われた。1日1日が短くなっていくのが怖かった。明日の朝起きることができるのかという恐怖心。その自分が差別的感情をもっていることが耐えられませんでした。
20年前、山谷に通い始めたときは、最初膝がガクガクするほど怖かった。炊き出しをして帰るときは、もうもたないと思いました。それなのに気になってまた出かけ、炊き出しを続けました。
炊き出しを始めて3、4年経ったとき、「あと10年」と言った医者に誤診だったと言われました。誤診だったと知って嬉しかった。ただ、3つの病院で同じことを言われたので、誤診というより、体に免疫がついたか、生に対する執着が病気を治したと、自分では思っています。
1人暮らしなので、いつも朝起きるときカーテンを開けて、お日さまに「お早う」というのが日課でした。でも、「あと10年」と言われてからはカーテンを開けることができませんでした。お日さまを見ると命が縮まっていくような気がしたからです。誤診だったことがわかってから、またカーテンを開けてお日さまに「お早う」と言うようになりました。
帰るところがある自分に違和感があった
炊き出しに行って帰るとき、帰るところがある自分に違和感がありました。山谷で炊き出しをやっていたとき、本名を教えてくれた女性がいました。その人といろんな話をしました。彼女は正義感が強く、自分のことでなくほかの人のために行動を起こしたことで上司から睨まれ、不幸な目に遭った人でした。出会ってから2ヵ月後にガンで亡くなりました。
女性のホームレスは結婚経験のある人が多く、自分の生き方を否定している人が多い。その女性は子どもを捨てたことに負い目を感じていました。自分は生きる権利がないと感じ、医療を受けようとしませんでした。でも、なんとか説得し、治療を受けてもらいました。いい先生にめぐり合えたことも幸運でした。亡くなったとき、私が行くまで先生が心臓マッサージをして延命させてくれました。
自分自身、死と向き合っていたことがいまに結びついている
彼女が教えてくれた名前が本名かどうか、それはわかりません。遺体は警察が引き取りました。彼女の遺骨を引き取ることはできませんでしたが、3年後、骨を引き取ることができました。1人1人と向き合うことの大切さを感じています。自分自身、死と向き合っていたことがいまに結びついていると思います。
『ふうせん』入所の資格は、ホームレスの経験のある女性。そのことに拘っています。『ふうせん』からお金はもらっていません。生活はペルパーの仕事で得ています。『ふうせん』の定員は5人です。そのほかに1人戻ってきた人がいるので、現在は6人です。介護保険適用者が3人、自立支援を申請しているのは6人中5人。『ふうせん』を守るためにヘルパーの仕事を立ち上げました。自立支援からお金が入るように活動をしています。
なりたくてなった人はいないということを大事にしたい
ホームレスの人も、いまの若い人も、うちのおばちゃんたちも、みんななりたくてなった人はいない。ちょっとした計算違いはあったかもしれないけど、なりたくてなった人はいないということを大事にしたい。これまで3人の人を看取りました。住職の友だちに頼んでお墓を作ってもらいました。立派なお墓ができました。お墓ができてから、おばちゃんたちは落ち着いてきました。
長い人で7年『ふうせん』にいます。卒業しない人たちがそろっている。自立支援プログラムを持っているが使えない状況。いまを生きる。維持することで精一杯。一緒に暮らすことでやらなければならないことが増えています。スタッフと入居者が許し合っていくことが大事だと思っています。
DVの被害者のシェルターを設立したい
今後のことで付け加えたいのは、DVの被害者のことです。福祉事務所から週に2、3回、DVの被害者の相談を受けます。DVが社会問題となり、テレビなどでも取り上げられているので、被害にあっている人が家を飛び出すことができるようになっています。その人たちのシェルターとしての機能をもつ部分を『ふうせん』とはべつに設立していきたい。
それと、『ふうせん』がNHK教育テレビ「いのちの時代」で放映されますので、ぜひご覧下さい。
<放映日>
10月 7日 AM5:00―6:00
10月14日 PM2:00―3:00
対談と質疑応答
稲葉さんと角田さんのお話のあと、阿木幸男さんの進行で対談が行われました。路上から抜け出せない状況について、自分たちも責任を持つべきではないか、との稲葉さんの発言や、『ふうせん』を始めて7年4ヶ月が過ぎ、始めるときは困難を感じなかったが、初めてから終わりがないことがわかったという角田さんの発言が印象に残りました。
対談のあと、参加者との質疑応答がありました。若い人たちの参加者が多く、昔の日雇い労働者といまの派遣労働者との違いを問われ、角田さんが、昔の日雇い労働者は仲間がいて、もっと明るい感じだったが、いまは分断され、孤独であると答えていたことに、労働状況が決していい方向に向かっていない現状を示しているような感想を持ちました。
筆者の感想
稲葉さんも角田さんもこの活動で収入は得ておらず、それぞれ塾の仕事と、ヘルパーの仕事をしているそうです。稲葉さんが言われるように、路上で人が死ぬ社会に生きていることに理不尽さを感じながら、実際に自分がその人たちのためになにかをするかと言えば、なにも行動を起こさない人が多いと思います。筆者もその1人です。ただ思うだけでなく、実際に行動を起こし、それを長い間続けているということに、驚くと同時に感銘を受けました。
その一方で、本来は行政が行うべきことを民間の人たちに押し付けている行政の不作為にも疑問を感じました。おりしも、総理大臣の突然の辞意表明によって、総裁選の様子が連日テレビや新聞などで報じられています。報道によれば、臨時国会が空転しただけで37億円が失われるそうです。37億円あれば、困っている人たちをどれだけ助けることができるかと思うと、政治はなんのためにあるのか、いまさらながらに疑問を禁じ得ませんでした。
この記事の初出は日本インターネット新聞(JANJAN)で同社との提携により掲載。
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