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	<title>日本Webリポート＆ニュース &#187; 企画・連載</title>
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	<description>弱者の味方。みんなで作る、投稿型ニュースサイト</description>
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		<title>たけちゃんの独り言</title>
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		<pubDate>Wed, 25 Jan 2012 07:47:04 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kiyo7</dc:creator>
				<category><![CDATA[たけちゃんの独り言]]></category>
		<category><![CDATA[スポーツ]]></category>
		<category><![CDATA[政治]]></category>

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		<description><![CDATA[				
				前向きの行動◆ダルビッシュ投手は、「すごい勝負がしたかった」と米大リーグ移籍の理由を述べた。先日世界一の表彰を受けた女子サッカーの沢選手は、中学から男子と一緒にプレーをしたという。新年早々ビックな話題 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[				
				<p>前向きの行動<br />◆ダルビッシュ投手は、「すごい勝負がしたかった」と米大リーグ移籍の理由を述べた。先日世界一の表彰を受けた女子サッカーの沢選手は、中学から男子と一緒にプレーをしたという。新年早々ビックな話題の中で共通しているのは、既存の観念とか制約でなく、選手であり、その力量発揮の為にまっすぐ突き進む姿である。大きく踏出した大リーグや出場権を獲得したオリムピックでの両選手の、明確な目標での活躍は楽しみである。<br />◆24日は通常国会が開催された。野田首相の施政方針演説では、総理だった福田、麻生演説の引用もあった。もう批判が出た。しかし、先人の問題意識は正しく、決められぬ政治の脱却、国に力をつけて福祉国家を築く決意は、評価し期待したい。消費税の増税の議論と同時に既得権で前進を阻む体制打破の大改革の実行が必要である。<br />◆人口一千万人のギリシャの国債償還危機は依然と続き、今もEUから世界の経済、景気を不安定にしている。昨日はドイツの財務相が「ギリシャの全政党は予定される選挙の結果に関係なく改革に合意すべき」と述べた。まさに日本も同様で、予算審議より揚げ足とりや解散総選挙などを言っている場合だろうか。</p>
				<p style="text-align: right;">立川：たけちゃん</p>
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		<title>震災日誌（１月前半）</title>
		<link>http://www.webreport.jp/7101.html</link>
		<comments>http://www.webreport.jp/7101.html#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 25 Jan 2012 03:09:17 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kiyo7</dc:creator>
				<category><![CDATA[災害]]></category>
		<category><![CDATA[社会]]></category>
		<category><![CDATA[震災日誌]]></category>

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		<description><![CDATA[				
				１月１０日　　野田総理　石巻へ～鈍感であることが政治家の要件？ &#60;&#60;   作成日時 ： 2012/01/12 23:00   &#62;&#62;
				
				じょう総理、野田総理が [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[				
				<p style="text-align: left;">１月１０日　　野田総理　石巻へ～鈍感であることが政治家の要件？ &lt;&lt;   作成日時 ： 2012/01/12 23:00   &gt;&gt;</p>
				<p style="text-align: center;"><a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/6cd1580ac711c717270872f14b63a93c.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/6cd1580ac711c717270872f14b63a93c.jpg" title="1野田首相" width="250" height="188" class="size-full wp-image-7148  aligncenter" /></a></p>
				<p>じょう総理、野田総理が宮城、岩手の被災地にやって来た。<br />初めてなのかと思ったが、就任後では昨年９月以来という。１２月に来る予定が北朝鮮の王朝の異変で今回になったという。しかし、各種の世論調査で内閣支持率が急落した直後。支持率アップをねらったパフォーマンスではとの疑いをぬぐいきれない。どじょうの笑顔は終始引きつっていた。<span id="more-7101"></span>石巻市の水産加工場を視察した。「あちこち煙突から煙が出ているのを見て心強かった」という。冗談じゃない。視察した工場は２００余りある水産関連の工場の中で、わずかに操業再開にこぎつけたひとつ。中小企業の復旧を支援する国の制度は、採択になるまでの条件が厳しい。その上、手続きは役人好みに複雑にできている。<br />石巻市はおろか、商工会議所、宮城県の担当部局が理不尽ともいえる手続き突破するため、総がかりで書類を作った。最初の申請は却下。３次の申請で国の補助制度をようやく受けることができた。<br />このほかの多くの水産加工の企業は制度の壁に立ち尽くしている。どじょう総理は果たして、こうした事情を知っていたいただろうか？<br />この地域ｆでは、雇用の確保には水産関連企業の再建が欠かせない。中央官庁の役人も知らないはずはない。なのに、地元の事情に応じて再建を促進する制度をどうして作れないのだろう？公平性とか、整合性など理屈は様々あるのかも知れない。しかし、つまるところ彼らが信奉するのは自分たちの作った制度の無謬性である。現場はもともと信用できないというのが、彼らが手放さない信条なのだ。<br />官僚の手のひらから抜け出ることができない、どじょう総理の頭の中もおそらく同じであろう。（本ブログ、１２月１７日の項、片山義博前総務相の発言を参照）</p>
				<p>震災復興がなぜ進まないかを検証する番組で、私のＮＨＫ時代の同期記者、五十嵐公利氏は実に正鵠をえた指摘をした。<br />「日本は江戸時代から住民自治の伝統を持っていた。維新後の明治国家がそれを壊し、中央政府がすべてに優先する社会を作ってしまった」（ＮＨＫスペシャル「日本復興のために」１月９日放送）<br />私たちがあまり知らないことだが、江戸時代の社会は名主などを札入という選挙で選んでいた。女性も地域によっては参加したという記録もある。女性参政権は西欧に先駆けていた。<br />明治以降の公教育はこうした事実を抹殺してきた。明治の藩閥政府は自らの正統性（レジテイマシー）を強調するため、先立つ江戸時代を暗黒の時代に仕立てる必要があったからだ。</p>
				<p>藩閥政府は自治の伝統を圧殺して、ひたすら中央集権の国家作りを急いだ。近代化と富国強兵には手っとり早かったからである。結果、中央政府の”政策”が地方の実情に優先する国家が出来上がった。<br />現場の実情、事情は２の次なのだ。官僚が中心となって作り上げた”政策”に、現場が身の丈を切ったり、縮めたりして合わせるといういびつな体系が出来上がった。<br />”民主化”された１９４５年以後も、この体系は頑として変わらなかった。</p>
				<p>総理はこの後、石巻市内の仮設住宅団地に向かった。５００世帯余が暮らす大橋地区の団地である。市街地に近い。しかし、仮設住宅団地の多くは用地がなく、市街地に遠く離れた地に建てられた。<br />住民との懇談で、「買い物にも、病院通いにも便利なここではなく、遠くの団地を見るべきだ」との声が出たという。地元の役人がセットしたコースを見ただけでは、被災者の苦しみは分からない。口下手な東北の人々が必死で抗議したのだろう。<br />テレビで流れた総理のコメント。「自分たちも苦しいのだろうが、全体を考えようということに感動した」<br />ずれていないだろうか。素直に感動することは悪いことではない。しかし、住民の言葉には政治のあり様に対する必死の抗議がこめられていたはずである。これまで１０か月、被災者を見据えた施策に一向に力を尽くしてこなかった政治にである。<br />分かっていて受け流したのか？いや、この人には住民の必死の思いは通じていなかったのだと思う。<br />多くの福島の人々が流浪の旅を続けざるをえない中、平気で原発事故の「収束」を口にする人である。<br />鈍感でなければ総理は、政治家は務まらないのだろうか。人々の苦しみに鈍感な人物をリーダーにいただく、この国の不幸を思う。（了） </p>
				<p style="text-align: left;"> </p>
				<p style="text-align: left;">１月９日　神戸の悲劇を繰り返すな！～あすと長町仮設住宅団地・奮闘する住民たち &lt;&lt;   作成日時 ： 2012/01/11 21:55   &gt;&gt;</p>
				<p style="text-align: center;"><a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/3b49d3086bd2e97cd2114cbe1193e860.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/3b49d3086bd2e97cd2114cbe1193e860-300x225.jpg" title="1仮設ロング" width="300" height="225" class="size-medium wp-image-7134    aligncenter" /></a></p>
				<p>ＪＲ長町駅に隣接する「あすと長町」仮設住宅団地。２３３戸の住宅が建ち並ぶ、仙台市内で最大の仮設団地である。ＪＲの貨物操車場だった。仙台市はここを副都心と位置づけ再開発をはかったが、思うように企業の進出が進まなかった。広大な空き地に仮設住宅の大団地が誕生した。<br />団地の運営委員会のリーダーを訪ねた。会長の鈴木良一さん（６９）と、飯塚正広さん（５０）の２人だ。11月2日の項で当団地を「住んでいる方々には申し訳ないが”異様”だ」と書いた。まず、そのことを詫びる。「いやいや、私たちもそう思っています。住宅というより作業小屋に見えますから」とお二人。ほっとする。</p>
				<p style="text-align: center;"> <a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/14ece08dcf78ee78139e365d46dd8d42.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/14ece08dcf78ee78139e365d46dd8d42-300x225.jpg" title="2玄関" width="300" height="225" class="size-medium wp-image-7138  aligncenter" /></a></p>
				<p style="text-align: center;"><a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/d3422389024e56a2261c8c4cb8c73a6d.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/d3422389024e56a2261c8c4cb8c73a6d-300x225.jpg" title="3入り口" width="300" height="225" class="size-medium wp-image-7139  aligncenter" /></a></p>
				<p style="text-align: center;"><a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/7823af161df727f971dda9b5edf93f46.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/7823af161df727f971dda9b5edf93f46-300x225.jpg" title="4集会室" width="300" height="225" class="size-medium wp-image-7140  aligncenter" /></a></p>
				<p>団地の南端にある集会室で話を伺う。左が飯塚さん、右が鈴木さん。<br />神戸の悲劇を繰り返したくない。開口一番、お二人がそろって言う。副都心に予定していただけあって、交通の便はいい。買い物にも困らない。ロケーションは抜群なのに、何故？団地の成り立ちを聞いて納得できた。<br />５月に入居が始まった。宮城県内でも最も早い方だ。用地はもともとあったのだから、建設が早く進んだためだ。阪神淡路大震災では被災者の入居を急ぐため、抽選で当たった人からどんどん入居させた。結果、団地内の人間的なつながりが希薄になり、孤独死が社会問題となった。<br />これを防ぐため当初は１０世帯がまとまって入居するのが条件だった。鈴木会長は第１グループで入居した。５ｸﾞﾙｰﾌﾟ４５世帯までは、元のコミュニテイのつながりを残して入居した。ところが、応募がぱったり途絶えた。沿岸部の被災者の多くが元の土地に近い場所での入居を希望したためである。何世帯かまとまるという条件は撤廃。単独でも希望者を入居させた。<br />団地は埋まった。しかし、大半の住民がお互い見ず知らずという状態になった。このままではドヤ街になりかねない。</p>
				<p>危機感を強めた鈴木さんたちは、８月運営委員会を立ち上げた。全世帯のアンケートを配布した。９０世帯が賛同。半数にも満たない任意団体だが、住民の絆を新たに作るという重い課題はこの委員会の肩にかかることになった。<br />様々な壁があった。まず、個人情報保護という代物だ。団地に入居した世帯名も、家族の人数も行政側～この場合太白区～から一切提供されない。個人情報の保護が名目だ。この事態は今もって変わらない。隣に住む人が単身なのかどうかすらも分からない。<br />これは、かつて身を寄せていた避難所でも同様だったという。避難所の管理者は避難者の名簿を作る。学校などの避難所では、管理者である校長が名簿を入口に貼り出して安否を確認に来た人の便宜を図っていた。しかし、体育館などの区の施設では、誰が避難しているか問い合わせなどにも一切答えなかったという。鈴木さんは言う。「私は数か月、氏名不詳の避難者でした」<br />住民組織を作るための基礎資料である。太白区が入居者台帳（当然ながら持っている）をもとに、情報提供について本人の意思確認をした上で委員会に提供する。こんな方法もあるはずだ。役所とはこれほどまでに頑迷なものだろうか。それとも被災者のことには関わりたくないというのだろうか。</p>
				<p>委員会のメンバーは工夫した。衣類や家庭用品などの支援物資が全国から寄せられる。全戸に配布する。その際の受領証替わりのアンケートに、氏名とできれば家族構成を書いてもらった。何回か繰り返すうち、数軒ブランクはあるが住民名簿はおおよそそろった。<br />委員会結成に賛同した９０世帯がとりあえず対象だが、１１のグループに分け２８人の役員を決めた。定例の役員会も軌道に乗り始めた。まず取り組んだのが、駐車場のルール作りと、ゴミ出しの規則の徹底。集会場を使った住民同士の交流の輪も拡がってきた。カラオケサークルはじめ、農園作り、フランス語教室などのグループもできた。</p>
				<p>しかし、交流の輪の外にいる世帯の方がまだ多い。<br />行政の支援は相変わらず心もとない。一人暮らしのお年寄りがどこに入居しているか、委員会でも正確にはつかめていない。こうした独居世帯の支援をするのは民生委員のはず。しかし団地は民生委員ゼロ地帯だ。孤独死防止のために看護師が巡回している形跡もない。花壇作り、もちつきなどの行事も行われるようになった。絆を全戸に拡げたい。新しいコミュニテイを作り上げたい。</p>
				<p style="text-align: center;"><a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/839815624e494052e13301e32cfd3463.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/839815624e494052e13301e32cfd3463-300x225.jpg" title="5もちつき" width="300" height="225" class="size-medium wp-image-7141  aligncenter" /></a><br /><a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/1c1fa59d1ff2f99cd1ef86cb4a8dca99.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/1c1fa59d1ff2f99cd1ef86cb4a8dca99-300x225.jpg" title="6花壇" width="300" height="225" class="aligncenter size-medium wp-image-7142" /></a></p>
				<p>ついに心配していた事件が起きた。<br />１１月下旬のことだ。以前から昼間から酒を飲んでは奇声をあげたりしていた人物がいた。６０歳、一人暮らし。この日、ボランテイア団体の男性を蹴飛ばし怪我を負わせた。それから数日、連日委員会の役員の胸ぐらをつかんだり、防寒工事に男性に殴りかかったりの暴力行為が続いた。１１月２６日、男性は警察に逮捕された。<br />仮設住宅団地始まって以来の刑事事件だった。</p>
				<p>住民のショックは大きかった。新たなコミュニテイどころではない。不安をなくすには？運営委員会は警察を交え、太白区と今後の対策について話しあった。行政側からの提案は「自警団を組織して対処してほしい」住民たちは言葉を失った。「あなたたちが楯となってください」ということなのだ。<br />男性はどう考えても、もともと集団に溶け込めなかった性格の人物だったようだ。元からのコミュニテイとは関係なく、行政の都合で入居してきた。新たなコミュニテイ作りに歩みだそうとしていた住民たちにとっては、残念ながら異分子と考えざるをえない。<br />「強制退去」まではできないにしても、行政側が住民の安全を確保するため、何らかの施策を講じるべきだ。これが住民たちの願いだ。<br />団地に新たなコミュニテイを作るため、すでにブログ「あすと長町運営委員会奮闘日記」を立ち上げた。住民同士の意思疎通が大事だと考えるからだ。ブログはインターネットに疎いお年寄りには読んでもらえない。近く、一枚刷りのコミュニテイ紙を発行の予定だ。</p>
				<p style="text-align: center;"><a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/d41687bafbf032ae60c6f76d2477a7a4.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/d41687bafbf032ae60c6f76d2477a7a4-300x225.jpg" title="7広告" width="300" height="225" class="size-medium wp-image-7143    aligncenter" /></a>
				<p style="text-align: center;"><a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/1840f30f9be210db84ce7471d40a959c.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/1840f30f9be210db84ce7471d40a959c-300x225.jpg" title="8壁画" width="300" height="225" class="size-medium wp-image-7144  aligncenter" /></a></p>
				<p style="text-align: center;"><a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/b8690984c5e5c72b93cf8412a79770c8.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/b8690984c5e5c72b93cf8412a79770c8-300x225.jpg" title="9緑白幕" width="300" height="225" class="size-medium wp-image-7145  aligncenter" /></a></p>
				<p>集会室の入り口は仙台市内の子どもたちの作ったカラフルな工作で飾られていた。<br />仮設住宅の１棟の壁がペイントで明るい花などに塗られていた。子どもたちの絵画教育をしているＮＰＯ法人の協力だ。このあと順次、団地の周囲の壁をペイントで塗っていくという。灰色の無機質な仮設住宅の壁。”異様な”団地は間もなく花模様の明るい団地に生まれ変わる。</p>
				<p>私たちは見捨てられた団地ではないか。太白区は内陸部にあり津波の被害を目の当たりにしていない。ひょっとして、私たちを「余計な」ものがやってきた、と考えているのではないか。<br />そうした想いとは別に、神戸の悲劇を繰り返さない。新たなコミュニテイを作る。これが私たちのなすべきことです。<br />鈴木会長、飯塚副会長のお二人はさわやかに話した。（了）</p>
				<p> </p>
				<p>１月6日　その２　　瓦礫の街で守る雄勝硯～半島の山中の桃源郷、そして街が消える不安 &lt;&lt;   作成日時 ： 2012/01/10 19:12   &gt;&gt;</p>
				<p style="text-align: center;"><a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/7526a0eb8fe66e107663fbf268b5a388.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/7526a0eb8fe66e107663fbf268b5a388-300x225.jpg" title="１ホテル" width="300" height="225" class="size-medium wp-image-7120  aligncenter" /></a></p>
				<p>雄勝硯の工人遠藤弘行さんの先代、故盛行さんの遺した名品が展示されている所があるという。雄勝の中心街から車で１５分、雄勝半島の海沿いを走る道路に別れて、山のなかの道をたどる。雄勝湾を見はらす高台に忽然として「雀島ホテル」（すずめじま）の看板が現れる。やや古風な造りだが３階建の”元”ホテルだ。<br />その一室に、雄勝硯の工人として名をはせた遠藤盛行さんの作品１００点余りが並べられている。黒の地にかすかに金の地紋が入ったもの。蓋の付いた高級な硯。大きさもひと抱えもあるものから、一般の書道家か使うサイズのものまで様々だ。伝統工芸品の良さが堪能できる。</p>
				<p style="text-align: center;"><a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/b8536a827968235ada82e62a0e1ac622.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/b8536a827968235ada82e62a0e1ac622-300x225.jpg" title="2すずり展示" width="300" height="225" class="size-medium wp-image-7121  aligncenter" /></a></p>
				<p style="text-align: center;"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/95e4bee63dd1bb4e7b2fc8fff5a9668a-300x225.jpg" title="3硯アップ" width="300" height="225" class="aligncenter" /></p>
				<p>なぜ、ここに展示品があるのか説明が必要だ。<br />故遠藤盛行さん、４代目の弘行さんはともに雄勝硯生産販売組合に入っていない。弘行さんの説明。父、盛行さんは原料の雄勝石の採掘を手掛けていた。人生の後半で硯作りの世界の入った。昭和３０年代のことだった。当時は学校教育に習字が取り入れられ、学童向けの硯が飛ぶように売れた。販売点数は年間２００万個とも言われた。雄勝はこの７割を生産していた。<br />いきおい原料は安価で加工しやすい中国産などに傾いていった。地元の良質の原石を見続けてきた遠藤盛行さんは、そうした趨勢に批判的だった。組合に加入することはなかった。跡を継いだ弘行さんも同じように独自に営業を続けた。勿論、組合と敵対している訳ではない。<br />組合に属する工人たちの作品は雄勝の中心市街地でもランドマークだった、雄勝硯伝統産業会館に展示されていた。会館は壊滅的な被害。展示品はほとんどが流された。雀島ホテルは独自路線の遠藤盛行さんの作品を評価して展示していた。震災後、雄勝で伝統の硯をまとまって見ることができるのはここだけとなった訳だ。</p>
				<p style="text-align: center;"><a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/b1debbc54b91d3e8053e8bf953d69ca8.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/b1debbc54b91d3e8053e8bf953d69ca8-300x225.jpg" title="4玄関" width="300" height="225" class="size-medium wp-image-7122  aligncenter" /></a> </p>
				<p style="text-align: center;"><a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/c8b9eb57443fa58c928db0bcf5f08985.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/c8b9eb57443fa58c928db0bcf5f08985-300x225.jpg" title="5遠望" width="300" height="225" class="size-medium wp-image-7123  aligncenter" /></a></p>
				<p style="text-align: center;"><br /><a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/0b5dfc1cc70fb7fb683cc7969a46630c.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/0b5dfc1cc70fb7fb683cc7969a46630c-300x225.jpg" title="6主" width="300" height="225" class="size-medium wp-image-7124  aligncenter" /></a></p>
				<p style="text-align: center;"><a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/3a3a4db526077697483680daa1605f0c.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/3a3a4db526077697483680daa1605f0c-300x225.jpg" title="8跡地" width="300" height="225" class="size-medium wp-image-7125  aligncenter" /></a></p>
				<p>この雀島ホテル、３０数年前に作られた。当時東京でコンクリート製品製造会社を経営していた、大西治郎（じろう）さん（８５）が私財を投じて建てた。この地との出会いを語る大西さんの話はメルヘンそのものだ。<br />ある日夫婦喧嘩でむしゃくしゃした勢いで、マイカーを北へ飛ばした。どことあてはなかった。とっぷり日が暮れた頃にたどり着いたのがこの地。土地の人は途方にくれていた旅人に親切だった。宿を提供してくれた。<br />夜が明けて景色に驚いた。真っ青な海と、島、半島がさえぎるものなく眼前に拡がっていた。ここに観光施設を建てることを決めた。<br />この話２回聞かされた。「真実なのですね？」「私は本当のことしか話さない」大西さんはにっこり答えた。はるかに牡鹿半島の先端、金華山まで見える。景色をさえぎる建造物は一切ない。１００万ドルのオーシャンビューとでも言うのだろうか。<br />団体で泊まれる部屋が１５室。団体客専門の営業でひところは繁盛した。しかし、団体旅行の時代は去った。個人ツアーへの対応が遅れたのだろうか。客足は次第に遠のき、５年前に営業を止めた。大西さんと、家政婦役の女性の二人で元ホテルを守っている。５年間は庭園の整備に私財を投じたという。<br />硯の展示だけでなく、絵画や民芸品なども展示してある。スコットランドによくあるマナーハウス（領主の館）の趣だ。<br />これだけ恵まれた展望、そして施設を今後どうするのか聞いた。<br />外国からの賓客をもてなすゲストハウスにしたい。１５の客室全部の改装は難しいので、一部を改装する。<br />雄勝は津波で壊滅的な被害をこうむった。被害をもたらした海は、こんなに素晴らしい景観も提供してくれる。世界に通用する景観を。雄勝の名前を世界に広めることで、どこもできない観光開発につなげられるはずだ。<br />またしてもメルヘン？しかし、地域の再生には違った発想が求められるのかも知れない。大西さんの夢の進み具合を、いつの日か見に来たい。</p>
				<p style="text-align: center;"><a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/ea87afb4aa0415d5bb966a215c36f54e.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/ea87afb4aa0415d5bb966a215c36f54e-300x225.jpg" title="8斜面跡地" width="300" height="225" class="size-medium wp-image-7130  aligncenter" /></a> </p>
				<p style="text-align: center;"><a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/b47cbe5b47bc3883654c65a3cc0fc230.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/b47cbe5b47bc3883654c65a3cc0fc230-300x225.jpg" title="9津波跡" width="300" height="225" class="size-medium wp-image-7131  aligncenter" /></a></p>
				<p style="text-align: center;"><br /><a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/f11329bf8d3ee68193543c499835cc26.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/f11329bf8d3ee68193543c499835cc26-300x225.jpg" title="10垂れ幕" width="300" height="225" class="size-medium wp-image-7132  aligncenter" /></a></p>
				<p>雄勝硯の工人、遠藤弘行さんに戻ろう。<br />震災前４３００人いた住民は、震災後は半分以下の１３００人程度を数えるほどだという。銀行、商店、学校、病院などの公共インフラがことごとく破壊されたからである。小・中学校も用地がなく隣の河北地区に移転した。仮設住宅も多くは河北地区にある。<br />中心市街地の復旧は１０か月経った今も手つかずだ。ここが復旧しない限り住民は戻って来れない。このままでは街が消えてしまう。遠藤さんたちはこうした不安を抱えている。石巻市は復興計画の中で、住宅の高台移転を打ち出している。しかし、住民がまとまって移転できる候補地は遠い。<br />これまでの土地での住宅再建はできないだろうか？遠藤さんたちは住民グループを作ってこうした模索も始めた。</p>
				<p>将来展望がなかなか開けない中、営業再開した遠藤さんの工房。ごく小さいものだが、地域再生に光を与えてくれる。震災後工人に多くが地域外へ避難し、活動が途絶えていた雄勝硯生産販売協同組合。こちらも津波で流されずに残った硯を修理して、近く仮設店舗で売り始めるという。<br />瓦礫の街に光は確実に強さを増している。（了） </p>
				<p> </p>
				<p>１月6日　瓦礫の街で守り続ける伝統工芸品・雄勝硯 &lt;&lt;   作成日時 ： 2012/01/08 22:19   &gt;&gt;</p>
				<p style="text-align: center;"><a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/f92dc3ceaf068a27ffef50e4cd47d900.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/f92dc3ceaf068a27ffef50e4cd47d900-300x225.jpg" title="1がれき" width="300" height="225" class="size-medium wp-image-7114  aligncenter" /></a></p>
				<p style="text-align: left;">石巻市雄勝で伝統の雄勝硯を作り続けている遠藤弘行さん（５８）を訪ねた。雄勝地区は中心市街地が壊滅的な被害を受けた。市役所総合支所はじめ、小・中学校、銀行、郵便局、商店街が壊滅。死者・不明者は２３５人にのぼる。津波で流された大型バスが、いまだに撤去されないまま雄勝公民館の屋上に無残な姿をさらしていた。<br />ブルドーザーを動かす作業員を除けば人の姿がない瓦礫の街に「営業中」の旗と「すずり館」の小さな看板がある。遠藤さんの工房、兼店舗だ。工房と言っても、６畳ほどの組み立て式の物置に、仮設住宅用の廃材を利用して玄関を取り付けただけのもの。小屋と言った方がいい。寒風が吹きすさぶ中、まきストーブで暖をとりながら硯を彫っていた。</p>
				<p style="text-align: center;"> <a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/05b5281c4f919b0ad6aff99fc992f583.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/05b5281c4f919b0ad6aff99fc992f583-300x225.jpg" title="2すずり館" width="300" height="225" class="size-medium wp-image-7115  aligncenter" /></a></p>
				<p style="text-align: center;"><a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/e67c8bee77240d7a55efd4fbd1d531d5.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/e67c8bee77240d7a55efd4fbd1d531d5-300x225.jpg" title="3小屋" width="300" height="225" class="size-medium wp-image-7116  aligncenter" /></a></p>
				<p style="text-align: center;"><a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/a583e6594756630e4367fd86c13e5f73.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/a583e6594756630e4367fd86c13e5f73-300x225.jpg" title="4職人" width="300" height="225" class="size-medium wp-image-7117  aligncenter" /></a></p>
				<p>３月１１日午後２時４６分、遠藤さんは工房兼店舗で激しい揺れにあった。消防団員の務めとして、近くの水門２か所を閉めた。すぐ裏手の杉林に逃げた。間もなく巨大な津波が街をのみ込んだ。<br />海沿いに走る国道に面した工房兼店舗は跡かたもなかった。その裏手、やや小高い場所にあった２階建ての実家も流された。今の”小屋”はこの実家の跡地に作った。１週間ほどは、消防団員として地区内で遺体の捜索にあたった。３０体ほど見つけたという。遺体搬送もしたが、収容するのは警察の仕事。遺体を発見しては目印の赤い旗を立ててまわった。<br />消防団の活動は本来は救助活動。しかし、雄勝の中心街は海がすぐ目の前に迫る、さして広くない土地に家が密集していた。家はほとんどが海に流された。他の地域と違って、家の２階などでかろうじて生き延びるという可能性はほとんどなかった。当初から遺体の捜索に追われたという。<br />例外が１件あった。３月１２日の昼、海べりに引っかかっていた民家の２階からかすかに人の声がする。消防団が向かった。めちゃめちゃに壊れた２階で、年配の女性が寒さに震えながら生存していた。地獄絵図のような中、ほっと暖かいものを感じた瞬間だという。<br />公営の斎場を避難所に避難生活が始まった。硯製作の再開を考えるゆとりはなかった。工具など一切流されたからだ。１か月ほど経った頃、知り合いの職人が自分はもう要らないからとノミを数本譲り受けた。伝手を頼って、内陸部の河南地区に作業小屋を作ろうかと考えていた。しかし、雄勝を離れがたい。市役所の臨時職員に応募した。５月１日、被災者への支援物資を管理する仕事で採用となった。月～金は臨時職員の生活が始まった。</p>
				<p>作業小屋となるスチール製の物置はやはり知り合いが譲ってくれた。自宅は壊滅したが、物置は数１０メートル流されただけで残っていた。無傷に近かった。運搬の手段がない。ビスを全て外し組み立て直した。原料の雄勝石を切るグラインダーを動かすのに電気が要る。復旧のめどは立たない。ソーラーパネルを一枚用意した。かつて使っていたなじみのノミが一本、３００メートルほど離れた桟橋のたもとで見つかった。奇跡的だった。最低限の工具はそろった。</p>
				<p>震災から３か月の翌日、６月１２日ノミを手に硯の試し彫りをした。感触は戻ってきた。しかし、１時間もしないうちに肩が痛くなった。早々に作業を切り上げた。硬い石を彫るためノミは肩に当てて押す。伝統の技だ。硯を作り始めて３０年余。旅行で１週間ほど休んだことはある。３か月ものブランクは初めてだった。「体がなまっていた」と苦笑いする。週のうち５日間は市役所臨時職員、土日に硯製作という生活が始まった。</p>
				<p>開店は土・日だけ。しかも、震災で壊滅的な被害を受けた雄勝町を訪れる観光客はほとんどなくなった。”小屋”の店を訪れるのは、たまたま通りかかった人に限られる。今のところ注文生産が主。何かのお祝いに、硯を依頼してくる顧客が頼りだという。しかし、放っておいては伝統工芸はすたれてしまう。<br />雄勝硯の良さを後世に伝えたい。特に「波板石」と言われる良質の原石はこの地域でしか採掘できない。硬く、加工が難しいが気品のある硯に仕上げられる。雄勝でしか採掘されない原石を生かした硯作り。遠藤さんの願いである。ややまとまった注文を受けたのを機会に、市役所臨時職員を先月（１２月）末で辞めた。</p>
				<p>石巻市は雄勝地区の復興計画は先月ようやく大筋を明らかにした。高台への移転を目指すというが、ハードルは高い。高台と言っても、まとまった戸数を収容できる広さを確保するのは難しい。候補地は今の市街地からかなり離れた場所にしかない。それを受け入れるかどうか、住民の意見は揺れている。</p>
				<p>復旧・復興の道筋すらはっきりしない。瓦礫の街のまっただ中。人の気配がまだ戻らない街だが、遠藤さんは硯作り一筋に復帰することを決意した。「後継者が欲しいねえ」作業の手を休めて、ふっともらした。まきストーブの煙が寒空に立ち昇っていた。</p>
				<p>「雄勝硯生産販売協同組合」では、被災した硯を修理して１月9日から販売を始めた。場所は旧総合支所跡地にある仮設店舗だ。遠藤さんは組合には所属せず独自に硯作りを進めてきた。この経緯は次回のブログでご紹介する。<br />「エンドー硯館」は仮設店舗から、国道３９８号線を女川方面に進んで、およそ３００メートルほどの所にある。「営業中」の旗が目印だ。（了）</p>
				<p> </p>
				<p>2012年１月１日　　いつもとは違う　新年の迎え方 &lt;&lt;   作成日時 ： 2012/01/02 11:29   &gt;&gt;</p>
				<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　<a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/77225bc4846c2bddc68e419f45505441.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/77225bc4846c2bddc68e419f45505441-216x300.jpg" title="年賀状" width="216" height="300" class="alignnone size-medium wp-image-7103" /></a></p>
				<p>あの日以来、私にとっての歴史の時間軸は３月１１日となった。そう思っていた。しかし、思いとは関係なく１月１日はやって来た。冒頭の文面は年賀状とも、年賀欠礼挨拶ともつかぬ小生の”賀状”である。<br />いつもの年とは違う。年賀状はいつもの半分以下の枚数にと決めていた。加えて暮れの１８日、２歳違いの妹ががんとの闘病の末、天に召された。最期の数か月は、週に一度は東京のホスピス病棟に見舞いに通った。痛切な想いだった。結果、どちらともつかぬ中途半端な賀状となった。異様な文面に驚かれた方にはお詫び申し上げたい。<a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/daddac016720051b3b5acfb727a81cea.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/daddac016720051b3b5acfb727a81cea-300x183.jpg" title="3絆" width="300" height="183" class="alignnone size-medium wp-image-7105" /></a></p>
				<p> </p>
				<p style="text-align: center;"><a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/8c98edb008577aa9e81072a0f6bdcb4d.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/8c98edb008577aa9e81072a0f6bdcb4d-300x109.jpg" title="4信望愛" width="300" height="109" class="size-medium wp-image-7106 aligncenter" /></a></p>
				<p>いただいた年賀状。いつもとは違う文字の並ぶものが目立った。「辰」あるいは「龍」一字や、絵を添えた方が多かった。「一陽来福」も。「笑門来福」とした方もいる。「信・望・愛」とその方の心情を率直に記した方もいた。<br />こうして見ると、いつもの年賀のあいさつよりは書かれた方の思いが伝わって興味深い。いつもとは違うこの年だけでなく、この後も心情を伝える言葉、文字を工夫してはどうだろうか。<br />年始の挨拶の中からいくつか。<br />　　　　　　　　蟻<br />　　　　　一匹の蟻が、<br />　　　　　龍の髭に<br />　　　　　喰らいついている。　　<br />毎年、ユニークな挨拶をいただく、尊敬する弁護士今村嗣夫（つぐお）さんのものだ。</p>
				<p><br />虚子７５歳の作品に「去年今年　貫く棒の　如きもの」があります。<br />好きな一句でしたが、今年は共感できません。棒がポッキリと折れ、全く新しい年になって欲しいと願うのは、<br />ムシが良過ぎるでしょうか。　　　<br />尊敬する河北新報の先輩記者、北畠修之さん。</p>
				<p><br />「信・望・愛」の３文字を選んだのは、１年の半分は遠野で暮らすＮＨＫの畏友、中森督義さん。ＮＰＯ法人「遠野まごころネット」でも働く。こう書いてきた。</p>
				<p>震災後、遠野での生活で改めて心に刻んだ言葉です。人は誰もが、心の中に限りない優しさを秘めており、<br />意識なく言葉や行動に出てくるものだと知った東北での日々でした。</p>
				<p><br />山形・上山で農業をするかたわら文筆活動を続ける佐藤藤三郎さん。</p>
				<p>東日本大震災、原発事故、ＴＰＰへの参加云々、等々先が見えない大きなことがいっぱいあるからでしょう。<br />この先「どうなるか」ではなしに「どうするか」が大切なのでしょうが、どうもその元気が出てきません。<br />しかしグローバリズムも芯止まりだな、と思っているのに「さらなる開国」などということばを吐く永田町の<br />人の声を耳にすると、ますます、不安がつのってきます。<br />あれこれおちつきのないことばかりですが、まずは自らが自らの住んでいる地に根を張り、自らの命を守る<br />ことしかないと思っています。それが新しい文明社会を呼び寄せる、そんな時代がきたのだなあ、などと<br />山里に住んでいながら思いめぐらしています。</p>
				<p><br />そして、仙台に住まう人々共通の願いを、ＮＨＫ東北旧友会の前会長、菅井哲夫兄が書いてくれました。</p>
				<p>冬来りなば春遠からじ、とは云え政経も暮らしも心までもが曙光の見えない時代。被災地には、陽光<br />まばゆい時の一日も早い訪れを待ちたいものです。</p>
				<p><br />遅ればせながら、今年もよろしくお願い申し上げます。引き続き被災地に足を運び、勇気あふれる人々の<br />姿を伝えたいと思っています。（了） </p>
				<p style="text-align: right;"> 仙台：松館忠<br />ブログ「震災日誌ｉｎ仙台」<br /><a href="http://sakura3411.at.webry.info/">http://sakura3411.at.webry.info/</a></p>
				</p>
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		<title>震災日誌ｉｎ仙台（１２月）</title>
		<link>http://www.webreport.jp/7023.html</link>
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		<pubDate>Fri, 30 Dec 2011 04:54:53 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kiyo7</dc:creator>
				<category><![CDATA[健康・福祉]]></category>
		<category><![CDATA[災害]]></category>
		<category><![CDATA[社会]]></category>
		<category><![CDATA[震災日誌]]></category>

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		<description><![CDATA[				
				１２月２４日　震災を忘れさせてはならない！　訴える若い魂 　　   2011/12/29 11:16  
				　　　　　　　　　　　
				「安心して暮らせる社会を私たち女子学生が考える」宮 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[				
				<p>１２月２４日　震災を忘れさせてはならない！　訴える若い魂 　　   2011/12/29 11:16  </p>
				<p>　　　　　　　　　　　<a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/f4bfb9307ad366785fb31370f4ed1c652.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/f4bfb9307ad366785fb31370f4ed1c652-300x225.jpg" title="27スクリーン" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-7071" /></a></p>
				<p>「安心して暮らせる社会を私たち女子学生が考える」宮城学院女子大学の人間文化学科主催のシンポジュームを聞きに行った。震災に関わることは地域にある大学の社会的責任だとかねがね考えていたからである。大学の大教室は開始の午後２時半には１００人余りの学生で埋まっていた。私のような一般の参加者も数人。<br />被災地大学間合同シンポジュームの一環。宮城学院と神戸からやって来た神戸松蔭女子学院大学の女子学生たちは、前日（２３日）石巻の被災地を訪ねた後、この日の午前中は仙台市の「あすと長町」の仮設住宅団地で暮らす被災者の方々の聞き取りをした。フィールド・ワークを受けて、復興とは何か？復興に向け何をすべきか？がテーマだった。<span id="more-7023"></span>まず、神戸松蔭女子学院大学の池田清教授が「大震災の真の復興とは」と題して基調報告をした。地域経済学が専門。１６年前の阪神・淡路大震災とその後の復興を研究テーマとしてきた。復興の原点は「故郷や家族を思う気持ち」「田畑への熱い思い」である。単にインフラを復旧させることではなく、人と人のつながり、コミュニテイを取り戻すことだ。人間復興と言える。<br />そして、阪神の教訓をこう述べた。被災者の生活再建こそがもっとも急ぐべきこと。ところが、この面での公的サポートはきわめて貧弱だった。自己責任に任された。政治・行政はインフラの整備を復興と取り違えた。今回の大震災で同じ過ちを繰り返してはならない。池田教授はこう力説した。</p>
				<p>　　　　　　　　　　　<a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/bb065db06ff7082ce575b914d8faf6f5.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/bb065db06ff7082ce575b914d8faf6f5-300x225.jpg" title="28 教授" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-7073" /></a></p>
				<p>　　　　　　　　　　　　　　<a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/6b6acba15aa61395f993e7c393707dcc.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/6b6acba15aa61395f993e7c393707dcc.jpg" title="29阪神" width="260" height="184" class="alignnone size-full wp-image-7074" /></a></p>
				<p>　　　　　　　　　　　　　　<a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/3b13a3bca993e9e22cf44613fffa4184.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/3b13a3bca993e9e22cf44613fffa4184.jpg" title="30看板" width="260" height="184" class="alignnone size-full wp-image-7075" /></a></p>
				<p>石巻出身の女子学生はこう発言した。「震災直後から地元・石巻と仙台とのギャップに心を痛めた。震災から９カ月経って、そのギャップは埋まっていない」「遠くからやって来たと思われる若者が、被災地で肝試しに興じているのを見た。腹立たしかった」いずれも震災が風化することを心配する声だ。<br />「仮設住宅に入れたのだからよかったと思っていた。話を聞いてみると、地域にあった人と人のつながりが失われていることを知った」「宮城県北部の大崎市に住んでいる。被災者が移り住んで、減る一方だった人口が震災以降増えている。いいことだと喜んでいいのだろうか。被災地の復興がそれだけ遅れる」<br />こんな発言もあった。「県の北部に住んでいる。放射線量がホットスポット並みなことを後で知った。もっとも危険な時期に雨に濡れながら作業した。放射能の害毒は子々孫々受け継がれる。それを断ち切るため私は子どもを産まないと決めた」会場が一瞬シーンとなった。<br />今のうちに決めちゃわないで、と声をかけたかった。でも、彼女の思い込みとは決して言えない。福島から離れた地でもこうした不安、悩みは多くの人々が共有している。正確な情報を提供しようとしない政府の罪は大きい。それどころか、「事故は収束」とうそぶいて人々の不安に向き合おうともしない。</p>
				<p> 仙台市最大の仮設住宅団地「あすと長町」に暮らす方々で作る運営委員会から、鈴木良一会長、飯塚正広副会長の二人が特別参加した。次のように話した。<br />入居は当初、１０家族単位でまとまることが条件だった。地域のつながりを残すためだ。しかし、なかなか入居が進まずそうした条件はなくなった。結果的に、向こう三軒両隣誰が住んでいるのか分からない状態になった。このままでは「ドヤ街」になる。運営委員会を作った。自治会にすべく準備中だ。<br />６０歳以上の住民が７０％。孤立している住民多い。住民同士のいざこざから事件も起きた。行政は入居させればそれで終わり。住民自身でなんとかコミュニテイ作りに努力しようとしている。<br />「震災を忘れさせてはいけない。出来ることを発信し続けよう」多くの学生が立って発言した。シンポジュームの指導教官、新免貢教授（宗教学）は「学生たちが震災を自分たちの問題として受け止めていることが分かった。大きな収穫だ」と話した。若い魂のこれからの働きに期待を持たせてくれた。<br />人々の苦悩を共に担う救い主、キリストの生誕をことほぐイヴの日に相応しい数時間だった。（了）<br /> </p>
				<p>１２月１７日　　「原発事故は収束」　政治家のウソ！！ 　2011/12/21 10:41  </p>
				<p style="text-align: center;"><a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/b2658dd313a4cc317db7eed38ae83893.jpg"></a></p>
				<p style="text-align: center;"><a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/5a2691abe1b1dc65e8de70df16734648.jpg"></a></p>
				<p style="text-align: center;"><a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/b2393ed3c7048b61d43608cfc242dcc4.jpg"></a></p>
				<p>　　　　　　　　　　　<img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/b2658dd313a4cc317db7eed38ae83893-300x237.jpg" title="２４原発" width="300" height="237" /></p>
				<p>政治家のウソには慣れっこになっていたが、これほどまでとは！昨日の夕方だった。カーラジオから野田総理の会見が流れてきた。冷温停止状態とかいうことを宣言したあとの言葉に、耳を疑った。しかし、確かに言ったのだ。「発電所そのものの事故は収束した」と。<br />収束とは、「おさまった」、「終わった」ということだ。事故のため故郷を捨て避難している住民は、政府が明らかにしているだけで１１万３０００人。これほどの人々が故郷へ帰れないのに「終わった」とは、言葉の使い方の基本を知らないというほかない。大量に放出され続ける放射能、海へ漏出する汚染水。環境は汚染され続け、人々の健康不安は増大する一方だ。<br />メルトダウンした原子炉内の状況すらよくつかめていない。こんな状態で「収束」とは？これで工程表のステップ２が完了したのだという。言葉の使い方を云々するのは時間の無駄。ウソと考えれば理解できる。かつて国の原子力委員会の専門委員を務めた知人の弁護士、石橋忠雄さんがこんなメールを送ってきた。彼は専門委員として原子力政策や高レベル放射性廃棄物の立法作業に関わった後、核燃料サイクル政策に異を唱える論陣をはってきた。<br />「それにしても政府の福島原発のロードマップには驚きました。これから山（水？）とでる放射性廃棄物をどうするか、全く言及がないからです。事故で出た低レベル～高レベル廃棄物の処理（容器）、管理、処分は法令が全くなく、したがってしばらくは動かしようもないと思います。２～３年で溶けた燃料の取り出し開始というのは、これこそ「トイレなきマンション」の再現だと思います。</p>
				<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/5a2691abe1b1dc65e8de70df167346481.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/5a2691abe1b1dc65e8de70df167346481.jpg" title="25空撮" width="125" height="103" class="alignnone size-full wp-image-7066" /></a></p>
				<p>　　　　　　　　　　　　<img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/b2393ed3c7048b61d43608cfc242dcc4-300x200.jpg" title="26原発内部" width="243" height="209" /></p>
				<p>おそらく、人々の大半が「収束」をウソと感じているに違いない。中には「本当のことだ」と理解すべく努力している人々もいるのだろう。原発事故担当の細野大臣だったと思う。「収束と言い切れるのか？」と問われた。テレビの画面は彼が一瞬顔をゆがめたのを見逃さなかった。しかし、気を取り直したかのように平然と言った。「事態がそれ以上悪化しないということです」放射能が放出され続けるのを悪化とは言わないのだろうか。ウソで言いくるめる必要がこの人々にはあるらしい。<br />ウソで言いくるめた末に、日本を破局に突き落とした歴史を私たちは６０数年前に持っている。しかし、当時と違うのは多くの人々が政治家のウソを見抜いていることだ。メデイアの力は大きい。権力にすべてのメデイアが屈服したかつてとは違う。それにしては、今回はどのメデイアも批判するにしては中途半端な対応に終始した。ウソはウソときちんと言うべきだ。ウソを聞かされることに人々を慣れさせてはいけない。平然とウソを語る”善人顔”にだまされてはならない。<br />野田総理。この人の危険性は時計のネジをゆっくりと逆に巻いていることにある。それも気付かれないように。菅内閣でともに閣僚を務めた片山義博前総務相の人物評が的確だ。<br />「私は１年間野田さんを見てきましたが、彼は財務官僚のお膳立ての域を出ることがなかった。－－－官僚主導が大いに息づくことになるでしょう。結局、野田政権に至って自民党時代の政治に近い「元の黙阿弥」に戻ってしまうのではと懸念しています」（「世界」１２月号）<br />同時に震災復興を人質にして増税をしようという姿勢を厳しく批判している。震災の被災者を冒涜する政策と言うべきである。しかし、この”罠（わな）”もじわじわと進んでいる。ＴＰＰもそうだ。事故も収束の見通しすらつかないのに、原発を輸出するという。いや、この人には事故は「収束」しているんだった。<br />政権交代にかけた人々の期待は大きく裏切られてきた。しかし、歴史の後戻りは誰も望んでいないはずだ。財界や政界の一部の方々を除いて。メデイアが果たすべき役割は大きい。ウソはウソと言わなければ、歴史はずるずる逆回転する。（了）  </p>
				<p>１２月１２日　　どっこい生きていた　歌津・馬場中山地区 　 2011/12/15 18:15  </p>
				<p>　　　　　　　　　　　　<a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/caa0bba564353434e6285d3cc33b9e0b.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/caa0bba564353434e6285d3cc33b9e0b-300x225.jpg" title="14ログハウス" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-7047" /></a></p>
				<p>ずっと気になっていた地区があった。この日ようやく足を運んだ。南三陸町歌津・馬場中山地区。ＮＨＫスペシャル「孤立集落　どっこい生きる」（２０１１年１１月６日放送）で紹介された。ご記憶の方もいると思う。<br />住民たちがボランテイアの手を借りながら自力で生活センターを作った。写真がそれである。道路まで作ってしまった。苦労して手に入れた漁船を使ってワカメ養殖も再開した。”驚異の”集落である。<br />心配だったのは、これほどまでに頑張っている馬場中山漁港が”拠点港”から外されてしまったのではということだった。宮城県は被災した１４４の漁港のうち６０を拠点漁港として復旧を優先することを決めた。半分以上の漁港が切り捨てられた。（当ブログの１２月９日の項、参照）拠点漁港の中に馬場中山の文字はなかった。村井知事、許せない！こんな想いだった。<br />馬場中山生活センターで、住民組織の事務局長役をしている千葉馨（かおる）さん（３６）に開口一番尋ねた。「馬場中山を外すとは、けしからんよね！」千葉さん、きょとんとしている。どうも話がかみ合わない。実は馬場港、中山港、名足（なたり）港、３つの頭文字をとって”ばなな”漁港と数年前名付けた。一覧表を見直した。ばななの文字があった。納得、とりあえず安心！生活の拠点をユーモアあふれる名前に呼び替えてしまう。底知れない生活者のたくましさだ。思わず、一緒に笑ってしまった。</p>
				<p>　　　　　　　　　　　　 <a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/039949c30534c2728f4501e6c3334a01.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/039949c30534c2728f4501e6c3334a01-300x225.jpg" title="15アスファルト塊" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-7048" /></a></p>
				<p>　　　　　　　　　　　 　<a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/71536b1622a7301cd48cb3e996a05058.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/71536b1622a7301cd48cb3e996a05058-300x225.jpg" title="16小型トラ" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-7049" /></a><br /><br />　　　　　　　　　　　     <a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/17.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/17-300x225.jpg" title="17" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-7050" /></a></p>
				<p>　　　　　　　　　　　 　<a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/1c65cc4ad63152e992c893908d0075de.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/1c65cc4ad63152e992c893908d0075de-300x225.jpg" title="18舟" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-7051" /></a></p>
				<p>ばななの中心は中山漁港。岸壁の一部は崩れたまま。地盤沈下も著しい。津波の傷跡がまだ残る。漁船が出入りできるよう住民は港の瓦礫を自力で撤去した。港の機能は一部回復した。<br />地盤沈下で満潮になると岸壁が海水に洗われる。ワカメなどを水揚げするスペースを新たに作った。岸壁より５０センチ程度かさ上げした。ここに漁船が横付けになり漁獲物をあげる。表面のセメントを仕上げる工事をしていた。あと１週間ほどで使えるという。<br />港内には福々丸の雄姿があった。北海道まで行ってようやく手に入れた。７００万円の資金が必要だった。３分の２は公費が補助。残る資金は国際的な活動をしているＮＰＯが負担してくれた。ワカメの種苗を海中に吊るす作業は終わった。来春の水揚げが待ち遠しい。</p>
				<p>　　　　　　　　　　　　 <a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/5a16d99a1f78d2ba60a058f2543f9881.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/5a16d99a1f78d2ba60a058f2543f9881-300x225.jpg" title="19ブル" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-7052" /></a></p>
				<p>　　　　　　　　　　　　<a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/2f395c0ce74a8cc5e3bcda0563e39d7f.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/2f395c0ce74a8cc5e3bcda0563e39d7f-300x225.jpg" title="2０ブル②" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-7053" /></a></p>
				<p>　　　　　　　　　　　　<a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/cca32463937aeb841bddc5134e7bb223.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/cca32463937aeb841bddc5134e7bb223-300x225.jpg" title="21カメラマン" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-7054" /></a></p>
				<p>この日、住民手作りの道路、未来道の建設に活躍したガラパゴスが役目を終えて帰還した。自走式の大型砕石機械である。福井県の建設会社、高茂組（たかもぐみ）が提供した。輸送費は元プロレスラーのデストロイヤーさん提供だ。<br />道路に敷く砂利は買ってきた方がコストは安かったと千葉さんは明かす。しかし、瓦礫を砕いて住民のための道路を造ることにこだわった。地域再生の理念にかなうからである。トレーラーに積まれてガラパゴスは福井へ帰っていった。千葉さんが名残惜しそうに写真を撮っていた。</p>
				<p>　　　　　　　　　　<a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/a4d054e7f5d68ea173ccb3eba75c24f1.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/a4d054e7f5d68ea173ccb3eba75c24f1-300x225.jpg" title="22未来道" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-7055" /></a><br /><br />　　　　　　　　　 　   <a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/b2723277fafdf0da31802e9708e07f8c.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/b2723277fafdf0da31802e9708e07f8c-300x225.jpg" title="23土手" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-7056" /></a></p>
				<p>昨夜（１１日）集団移転の候補地をどこにするかの話し合いが持たれたという。合わせて５か所を選んだ。町当局との協議がこれから本格化する。候補地はいずれも、これまで住んでいた浜辺からさほど離れていない。このうちの１か所は未来道の入口近くだ。ここからは海も見える。<br />津波の被害を受けた漁業集落では地域再興の方策として、高台への集団移転が考えられている。人々は何世代にもわたって潮の香りをかぎ、波音を聞きながら海とともに暮らしてきた。潮の香りも届かない遠隔地への移転は、漁業から離れることにもつながりかねない。馬場中山の人々の選択は正しい。<br />復興庁設置法案がようやく成立したという。実際のスタートは来年３月。実に震災から１年もの歳月を政府は何をしてきたのだろうか。やるからには、机の上の議論ではだめ。そこから出てくるものは計画と呼ばず、絵空事と言うほかない。<br />自力で地域再生の基盤を作りつつある馬場中山の人々。この人たちを水先案内人とすべきである。被災地が必要としていることは何か。どんな施策で支援すべきか。数々の示唆がここにある。復興庁の役人は全員、馬場中山を実際に見て学ぶべし。<br />この日、私たちは１・５キロメートルの未来道を通って帰途についた。<br />馬場中山のＨＰ：<a href="http://www.babanakayama.jp/">www.babanakayama.jp</a> 　　（了）</p>
				<p> １２月９日　　漁業再生より”選別”の思想、半数以上の漁港切り捨て 　 2011/12/14 12:40  </p>
				<p><br />　　　　　　　　　　　<a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/8e09e8062d3457830e43722d2b95ff661.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/8e09e8062d3457830e43722d2b95ff661-300x225.jpg" title="11漁港" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-7043" /></a><br />　　　　　　　　　　　写真は「拠点魚港」から外された歌津・館浜漁港。<br /><br />宮城県が津波で壊滅的な被害を受けた、県内１４２の漁港のうち６０港を拠点漁港として、復旧整備を優先すると発表した。残る８２港は最小限の復旧にとどめる。「小さな港を廃港にする訳ではない」というが、選別、事実上の切り捨てと言っていい。<br />拠点漁港については２０１３年度までに防波堤、岸壁などの施設の他、魚市場、水産加工施設の整備を急ぐ。沿岸漁業の生産性と効率性を高めるため、拠点化を図るという。加工　、流通まで担う６次産業化を目指すという。<br />一方、選別から外された漁港は防波堤や、岸壁などを必要最小限復旧させる。新たな加工施設などは整備しない。つまり。漁船が出入港し、水揚げまではできる簡素な漁港になる。しかし、加工場や冷凍施設はないから、製品化をするには拠点漁港まで運ばなければならない。仮に、ワカメを水揚げするとする。加工場がないから、小船で数キロ離れた拠点漁港まで往復することになる。安全性に問題はないのか？</p>
				<p><br />　　　　　　　　　　<a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/c50c84010b600d0aab317f9afe9a2fcf.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/c50c84010b600d0aab317f9afe9a2fcf-300x225.jpg" title="12浮き球" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-7044" /></a><br />　　　　　　　　　　<a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/a0d13898fad91ccad73b8788d60d8df8.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/a0d13898fad91ccad73b8788d60d8df8-300x168.jpg" title="１３岸壁" width="300" height="168" class="alignnone size-medium wp-image-7045" /></a><br />　　　　　　　　　　写真・上　拠点漁港になった歌津・中山漁港（ばなな漁港）<br />　　　　　　　　　　　　　　下　外れた雄勝・荒漁港<br /><br />三陸の漁業者たちは生産性は低いながら、浜ごとに慈しむようにワカメやカキなどを育て上げてきた。しかも、資源が枯渇しないよう海とうまく共存してきた。「太平洋は銀行だ」と叫んだ漁業者がいた。（ＮＨＫスペシャル「孤立集落、どっこい生きている」２０１１年１１月６日放送）大事に大事に育てた養殖水産品を、海に預ければ大きな恵みとなって返ってくるのだ。<br />宮城県の村井嘉浩知事が打ち出した「水産特区」構想は、それらをすべてひっくり返そうというものだった。民間企業を参入させて、沿岸漁業の生産性を引き上げる。資力が乏しく再興できない漁業者は漁業そのものを止めるか、資本力のある企業の従業員になればいい。予想される将来像だった。<br />漁協の強い反対で特区の導入は、今の漁業権が切れる２０１３年度まで先送りした。知事は後退したかに見えた。どっこいそうではなかった。今回の漁港の選別は、特区と同じ思想に他ならない。もともと基盤整備が進んでいた所には予算を差し向ける。小さな港に予算を投入している余裕はない。再興を目指す漁業者がいても、「漁業をやめて結構」と言うに等しい。ＴＰＰの沿岸漁業版に他ならない。<br />確かに、震災が漁業者にもたらした被害は甚大だった。生産手段である船はおろか、養殖施設の全てを失った漁業者も多い。宮城県漁協が４月に調査してところでは、組合員のうち廃業を予定している人は３０％近くにのぼった。しかし、今回の”選別”は再興を目指していた漁業者まで、その意欲をくじき、心を折ることになりかねない。<br />線引きは事前に自治体の意向を聞いて決めたという。自治体側の要望で、いったん外れていたのが復活した漁港もある。宮城県漁協には発表当日に”事前”説明したという。特区構想に反対していた漁協も、今回は知事と共同歩調を取ってきたのではとの疑いは消えない。<br />百歩譲って、今回の選別が効率的な漁業再建に資するとしてみよう。しかし、再興を目指そうという漁業者の意欲は、全て同等のものとして受け取るべきである。漁業者の置かれた環境、つまり漁港の大きさや、水揚げ規模の違いなどは同等に扱うことを妨げるものではありえない。行政のなすべきことは、漁業者の意向をきちんと聞き、それに応じた施策を取ることだ。<br />その後、外された漁港関係者から「事前の相談が一切なかった」という異議申し立てが出ている。行政のトップとしてなすべき手順を無視してきたことはこれで明らかである。この手法は大いに疑問とすべきだ。<br />これまで、スピード感に欠けた政府に抗議する村井知事には、ある種のたのもしさを感じていたのは事実だ。しかし、効率優先、自由主義経済優先の村井知事の姿勢は危険だ。松下政経塾の優等生。こうなることは予想されたことではあった。（了）  </p>
				<p>１２月６日　　ボランテイア　決して格好よくはないが、継続と誠意が力 　 2011/12/13 19:15 </p>
				<p>　　　　　　　　　　<a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/6c69a4b1fd360b944399d4121acfa317.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/6c69a4b1fd360b944399d4121acfa317-300x225.jpg" title="４鍬入れ" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-7034" /></a></p>
				<p>日本キリスト教団のボランテイアの方々がワークする仙台市若林区笹塚を訪ねた。私が所属する東京杉並・井草教会の道家紀一（どうけのりかず）牧師が引率役として何度目かの仙台入りをすると聞いたからである。<br />ワークの場所は大きな農家。道家牧師はじめ総勢６人の方々が分担して作業をしていた。この一帯は家々の多くは流されなかったものの、一階の天井近くまで黒い津波に襲われた。津波の高さなどに応じて、仙台市は被害地域を集団移転する地区と、引き続き住んでもいい地区に線引きした。この一帯は引き続き住んでいい地区だ。<br />住民の方々は仮設住宅に移っているため、ボランテイアの方々を除けば人影はない。ボランテイア作業を代表する家の中からの泥出しはすうか月前に終わっている。今行われているのは住民の方々の要望に応じて、将来再び住めるようにするための掃除や細々とした作業だ。６人のうち半数は家の脇にある畑の整地作業。もう一班は泥にまみれた大量の食器を洗う作業に当たっていた。</p>
				<p>　　　　　　　　　　<a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/5.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/5-300x225.jpg" title="5" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-7035" /></a></p>
				<p>　　　　　　　　　　<a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/1a82a301e311495b88375587f9e330ca.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/1a82a301e311495b88375587f9e330ca-300x225.jpg" title="6スコップ" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-7036" /></a></p>
				<p>　　　　　　　　　　<a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/06765c56046eadeb282fc5442e9692a2.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/06765c56046eadeb282fc5442e9692a2-300x225.jpg" title="7耕作" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-7037" /></a><br />　　　　　　　　　　写真は上から、道家牧師、御館牧師、北浦さん。<br /><br />畑は２０アールほどもあろうか。津波が運んできたコンクリート片や金属などが土に混じる。これをスコップで掘り起こし、花畑に整地するものだ。ブルドーザーだと瞬く間なのだろうが、これを人力だけでやる。決して格好よくはない。<br />教会の説教壇に立つ姿を見慣れている道家牧師。スコップを振るう姿は生き生きとされていた。「反省会で牧師が働かない」と指摘されることもある。牧師、信徒、ノンクリスチャンの区別は一切なくワークするのです」いつもとは違う姿を見た。<br />御館博光（みたてひろみつ）牧師（６２）は、地方公務員を定年退職後同志社大学に入り直して、教職になったという普通ではない経歴の方。高知県・潮江教会（うしおえ）の牧師だ。結構きついと言いながら、黙々とスコップを振るう。</p>
				<p>若手が一人。北浦圭祐さん（２０）は東京・小金井緑町教会の会員だ。もう何回かのボランテイア奉仕だという。住民の方々が喜ぶ顔を見ると勇気づけられると言う。「中には、顔は笑っていても眼が笑っていない方に出会うこともある。震災の傷の大きさを感じる」若者の感受性だ。</p>
				<p> 　　　　　　　　　<a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/9e07ef3f21fb719b2e1b7121f3423432.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/9e07ef3f21fb719b2e1b7121f3423432-300x225.jpg" title="8がれき" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-7039" /></a></p>
				<p>　　　　　　　　　<a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/1be587aa94a87600a2c095907856d272.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/1be587aa94a87600a2c095907856d272-300x225.jpg" title="9食器類" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-7040" /></a><br />　　　　　　　　　写真、下　鐘ヶ江さん。<br /><br />別の班の３人は泥にまみれた食器を使えるようになるまで洗っていた。古くからの農家なので、食器も２～３０セットというものもある。これをざっと水洗いしたあと、再度洗剤できれいに洗う。寒風が吹きすさぶ中では見た目以上につらい作業だ。<br />愛媛県・久万教会（くまきょうかい）からやって来た鐘ヶ江洋子さん（６７）。今回ボランテイア奉仕は初めてだというが、「体を動かしていると寒さも感じません」と笑って話す。仙台には知り合いもいるので遠くに来たとは思いませんとも話す。<br />ボランテイアの数も最盛時に比べるとかなり減ってきた。日本キリスト教団では１週間単位でワークしているが、３人という時期もあったという。幸い、この週は２０人近くが参加。仙台市若林区の他、石巻市にも１１人が手分けして入った。<br />ワーク地は日替わりではなく、原則として１週間は同じ場所で働く。機械力は初めから望むべくもない。スローワークが歌い文句だ。ワークの中身もひところの泥出し中心から、これからの被災者の生活の要件を整えるための様々な細かい作業。仮設住宅での心のケアなどに重点が移ってきている。<br />見た目には格好よくない作業かも知れない。しかし、ボランテイアに要求されているのは、被災者のニーズに応える作業、奉仕だ。継続、そして誠意が冬の寒空を迎えようとしている被災者の方々の力になる。<br />震災から９か月。時の流れは、あの悲劇をすら忘れさせようとしているのでは。世の人々のふるまいに、こう思ってしまうのは考えすぎだろうか。数は減ったとはいえ、冬の寒空をものともせず被災地におもむく若者、中高年の方々には敬意、そして感謝である。（了）</p>
				<p>１２月４日　　農業再生の夢なかば、無念の死 　2011/12/13 18:05  </p>
				<p>　　　　　　　　　　<a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/d27dcaa581bf41943a50b4cfa29a4c0e.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/d27dcaa581bf41943a50b4cfa29a4c0e-300x225.jpg" title="１遺影" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-7028" /></a><br />　　　　　　　　　　写真は避難所でのインタビュー（７月）。<br /><br />思わぬ知らせに言葉を失った。仙台市若林区三本塚の相沢勝さん。農業実行組合の組合長だった。津波で壊滅的な被害を受けた、三本塚地区の農業再生の展望をもう一度聞きたい。何度か携帯電話に連絡したが、留守電に切り替わる。この朝、返事が来た。ご子息からだった。「父は１０月５日、心不全で亡くなりました」５９歳、早すぎる死だった。<br />７月８日、避難所の中学校体育館に相沢さんを訪ねた。３月１１日午後２時４６分、相沢さんは自宅で大きな揺れに遭遇した。車で１キロ離れた仙台東部道路に逃げた。高さ６メートルの高速道路によじ登って助かった。この体験談以上に相沢さんが語りたかったのは地域の農業をどう再生させるかだった。<br />良質の仙台米の産地だった三本塚の美田は壊滅的な被害を受けた。米の作付は数年は難しい。しかし、この地域の１４０ヘクタールを日本農業のモデルとして再生させたい。間もなく閉鎖される避難所の片付けなどを指示しながら、相沢さんは熱く語　った。（「震災日誌ｉｎ仙台」８６、１７６ページ）農業再生の方途をまた語り合おうと約束して別れた。<br />若林区日辺（にっぺ）の仮設住宅に焼香に伺った。居間の隅の仮の仏壇で、相沢さんは小さな写真におさまっていた。父上の昭男（てるお）さん（８３）が話す。１０月５日、相沢さんは息子さんとともに、津波の被害を免れた山手にある田んぼの稲刈り作業に当たっていた。<br />冷たい雨が降っていた。しかし、コンバインは蔵王町の知り合いから借りてきたもの。その日のうちには刈り取りを終えたい。無理をしたのかも知れない。結局作業は中断して夕方帰宅した。雨でぬれたためか「寒い」と連発していた。急いで風呂を沸かしたが、入るいとまもなく相沢さんはちゃぶ台に倒れ込んだ。救急車で運んだが、帰らぬ人となった。<br /><br />                                      <a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/d27043ed91fc190b1f0f83593720838c.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/d27043ed91fc190b1f0f83593720838c-300x225.jpg" title="2居宅" width="300" height="225" class="size-medium wp-image-7031  alignnone" /></a><br />                                      <a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/f8d4943fc3e32078361df0a9c87ce95a.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/f8d4943fc3e32078361df0a9c87ce95a-300x225.jpg" title="3田んぼ" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-7032" /></a></p>
				<p style="text-align: left;">写真、上は津波被害を受けた三本塚地区の水田（７月）。下は９か月後の水田の様子。農地復旧工事はまだ始まっていなかった。<br />避難所では住民のまとめ役として、さまざまなトラブル解決に忙しく立ち働いていた。その後も集団移転するのかどうか、農地復旧をどう進めるのか、数々の難題がリーダーである相沢さんの肩にのしかかっていた。心身ともに負担が大きかったのは想像に難くない。「自慢の息子を失くして悔しい」父親の昭男さんの言葉が耳に残った。<br />黒い津波から間一髪で守った命だった。地域の、そして農業の再生の夢なかばにしての無念の死だった。心からご冥福をお祈りするばかりである。（了）</p>
				<p style="text-align: right;"><br /> 仙台：松館忠<br />ブログ「震災日誌ｉｎ仙台」<br /><a href="http://sakura3411.at.webry.info/">http://sakura3411.at.webry.info/</a></p>
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		<title>たけちゃんの独り言</title>
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		<pubDate>Fri, 30 Dec 2011 04:40:07 +0000</pubDate>
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		<category><![CDATA[健康・福祉]]></category>
		<category><![CDATA[弱者問題]]></category>

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				今年もお世話になりました。◆今週一杯で今年も終わる。急に寒くなり訃報も多く、従兄弟、知人兄弟、同輩と我が身に迫る話である。最近は家族葬で葬儀直後の連絡から、全てお悔やみだけで終わる。でも知人に数年ぶり [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[				
				<p>今年もお世話になりました。<br />◆今週一杯で今年も終わる。急に寒くなり訃報も多く、従兄弟、知人兄弟、同輩と我が身に迫る話である。最近は家族葬で葬儀直後の連絡から、全てお悔やみだけで終わる。でも知人に数年ぶりの連絡や年末挨拶の文通もあった。師走はやはり忙しい。<br />◆元同輩２人に連絡して各３０分も話し込んだ。Ａ君「地元の防災ボランテア活動で忙しく、持ち出しだ」、最近は、カラオケ、フラダンスの会が、お金を出して舞台に出て、観てもらう喜びを求めるボランテアが流行りというではないか。何時も年賀状で忘妻ボランテアと書いてあるが、奥様は元気？。「下に心がある様に忘れる位忙しいのだ」。B君は小生と若い頃、奥穂高に登った感激を繰り返し、先日は西穂高に行ったという。２人とも後期高齢者になり、保険料が高くなったと不満をいう。<br />◆一人暮らし８９才女性から、便箋２枚に細々と日常生活が書いある。親戚の結婚式に呼ばれて、皆が出席にあたり心配するのが悔しくて、電車を乗り継ぎ会場まで下見に行ったという。嫌なのは一人で食事を作り、食べるだけのことであり、ボケでないか文章を読み返して書いていると、妻に聞いてもらいたい手紙である。妻は交流相手が減っていく未来に考えてしまうという。<br />◆今年は人災を含め災害の年だった。どんなことでも自分が自分を活かす努力で生きねばと思う。加齢は年々心身共に衰えが来る。何事も生きている内で、年賀状も交流であり今からだ。</p>
				<p style="text-align: right;">立川：たけちゃん</p>
				<p> </p>
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		<title>たけちゃんの独り言</title>
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		<pubDate>Thu, 15 Dec 2011 02:45:58 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[くらし]]></category>
		<category><![CDATA[たけちゃんの独り言]]></category>
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		<category><![CDATA[政治]]></category>

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				太平洋戦争勃発
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			<content:encoded><![CDATA[				
				<p>太平洋戦争勃発</p>
				<p>◆７０年前、日本時間の８日の未明に日本は、真珠湾攻撃をした。以来日本は第２次世界大戦に突入していく。まだ３才に満たず、戦争を意識したのは、５才頃に遊びで防空壕を作る真似事やそれから安曇野のわさび畑近くの銀行跡の建屋での２年余の疎開生活だった。<br />◆終戦の前年に国民学校に入学。学校で掃除当番で残っていた時、米機が学校近くに爆弾を落し、驚いて家に走り帰った事は恐怖だった。一週間立ち上がれず、「腰を抜かす」を体験した。今安曇野は、美しい風景と湧き水で、もてはやされている。だが疎開者は何かにつけて差別された。家庭をもって一家で一度訪れたが、「故郷は遠くにて思うもの」とその時思った。<br />◆昨日はカレーうどんを食した。疎開生活では銭湯に行き（数日おき）、凍りつく帰り道の食堂に寄って、皆で夕食のカレーうどん食べた。いつも思い出し話題になる。千葉の農家に育つ妻は、戦争勃発の年に生まれた。思い出話は米軍機が落ちる火炎をみて、墜落機を見に行ったという。４才で覚えているか本人も疑問でいる。強烈な体験は前後の関係なく、断片的に記憶がよみがえる。７０年を超えてズート戦争の体験と戦後の関わりは、生活で潜んでいて時々顔を出す。先日の同窓会の帰りの車中談でも、東京大空襲で反対方向に逃げたら、今はないと友は話す。</p>
				<p style="text-align: right;">立川：たけちゃん</p>
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		<title>震災日誌ｉｎ仙台（１０月）</title>
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		<pubDate>Sun, 11 Dec 2011 02:53:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kiyo7</dc:creator>
				<category><![CDATA[災害]]></category>
		<category><![CDATA[社会]]></category>
		<category><![CDATA[震災日誌]]></category>

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		<description><![CDATA[				
				１０月１日　　復興への願いをこめて～心の架け橋・日独交流コンサート   作成日時 ： 2011/12/03 23:33   &#62;&#62;　　　　　　　　　　　　　　　　　              [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[				
				<p>１０月１日　　復興への願いをこめて～心の架け橋・日独交流コンサート   作成日時 ： 2011/12/03 23:33   &gt;&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　                        <br />                                             <a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/31a6f09e106077c1cf6b0ec5d9777dde.jpg"></a><br />                                   <a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/31a6f09e106077c1cf6b0ec5d9777dde1.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/31a6f09e106077c1cf6b0ec5d9777dde1-300x181.jpg" title="コンサート①" width="300" height="181" class="alignnone size-medium wp-image-6948" /></a><br /><br />仙台シンフォニエッタとしては初めて経験することだ。他の音楽団体とジョイント・コンサートを開催することになった。お相手はドイツ・ハンブルクの混声合唱団、コア・アンサンブル・ゲーテ、そして名古屋の女声合唱団、レインボーコーラスあいちである。<br />ドイツからは指揮者の印牧和生（かねまきかずお）さんはじめ、２０数人がやって来た。名古屋からは６０人余の団員。メールで事前にやり取りしたオーケストラ譜を使って、前日の９月３０日夜に初めての顔合わせ。練習会場のホテルの宴会場には、お相手はどんな腕前なのか？興味と熱気があふれていた。前日のゲネプロ（総練習）は１時間半ほどでお開き。当日（１０月１日）午前が会場の東北大学萩ホールでのステージ・リハーサルだった。舞台転換などをあわただしく確認して、午後２時の開演を迎えた。<br />トップバッターはレインボーコーラス。総勢６０人が純白の衣装でステージに並んだ。「大漁唄い込み」や「ソーラン節」など親しみやすい民謡をアレンジしたもの。津軽三味線も加わるユニークなプログラムだ。これまで海外への演奏旅行を何度か重ねてきただけに、日本情緒を存分に唄いあげた。メンバーには８０歳代の方もいらっしゃるが歌声は若々しかった。<span id="more-6925"></span><br />コア・アンサンブル・ゲーテは２０人足らずの小編成。ドイツ人だけでなく、フランス人、ベトナム人、日本人が所属する多国籍コーラスだ。ドイツ国内のコンクールで優秀賞をえるなど、演奏レベルは高い。アカペラ＝無伴奏でメンデルスゾーンやブラームスなど８曲を歌った。なかでも武満徹の「恋のかくれんぼ」日本語の歌詞を明確な発音で、パートの音程がぶつかる不協和音をふくめ完璧な音程で歌いきった。<br />次いで、私たち仙台シンフォニエッタの出番。指揮は仙台フィルハーモニー管弦楽団のコントラバス奏者の河野昭三さん。バッハ；Ｇ線上のアリア（管弦楽組曲第３番より）を冒頭に演奏した。震災後、犠牲者への追悼の想いをこめていつも最初に演奏してきた曲だ。続いてバーバー：弦楽のためのアダージョ、モーツアルト：メヌエットの２曲を演奏した。<br />ドイツの合唱団との共演。まずフランクの「天使の糧」テノールのソロに途中から合唱が加わる。題名通り天上の美をたたえた名曲だ。ソロを浮き立たせるようにオケは押さえた演奏をしなければならない。これが難しい。次いでモーツアルトの「主をたたえよ」「聴聞僧のおごそかな夕べの祈り」という厳めしい題のついた宗教曲の第５曲。ソプラノ・ソロと合唱が唄い交わす美しい曲である。印牧さんの指揮は表情豊かである。合唱とオケの指揮は微妙なところで違う。しかも合唱とのコラボは初めてである。昨夜のゲネプロ＝総練習では息が合わず気掛かりだった。本番はぴたりと合った。リハーサルを重ねるうちに呼吸があってきたのだ。指揮者も満面の笑みだった。<br />全員の合同演奏は合唱が８０人、オケ３０人。「荒城のつき」「青葉城恋歌」仙台ゆかりの曲が並んだ。「青葉城～」の「あの人はもういない！」というフレーズは震災の犠牲者への想いと重なった。国境を「越えてステージは「祈りと希望で一つになった。聴衆が４００人弱と少なかったのは残念。しかし、聴いた方々は必ずや、私たちと熱気と感動を共にしていただいたに違いない。<br /><br />　　　　　　　　　　　　<a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/e8a93238da8149e54f71a3c59855efff.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/e8a93238da8149e54f71a3c59855efff-300x163.jpg" title="コンサート②" width="300" height="163" class="alignnone size-medium wp-image-6940" /></a><br /><br />そもそも、この企ての発端は昨年（２０１０年）暮れにさかのぼる。名古屋の合唱団の事務局長、宮下まさ子嬢がＮＨＫの関連会社の一つ、ＮＨＫプラネットの社員である。たまたま私の著書「アマチュアオーケストラは楽しい」を眼にした。コーラス＋オケのコラボレーション（共同作業）ができないかと考えた彼女が仙台にやって来た。行動派の女性である。指揮者の名古屋音楽大学教授の田中省三さんもご一緒だった。東北の紅葉が見ごろの秋にツアーを兼ねて仙台に来たい。同じ時期に交流のあるドイツの合唱団も来日の予定で合流できそう。江戸時代末に始まった日本とドイツの交流１５０年という節目の年でもある。記念のコンサートにしたい。<br />にわか仕立ての企画にしては話はとんとん拍子で進んだ。そこにあの大震災である。私たちは一時音楽をする気力も失くしていた。音楽ホールは震災に被害で軒並み休館となった。加えて、深刻な福島原発の事故である。コンサートは遠くなった。ドイツの方々は放射能汚染の心配から来ることはないだろうと思っていた。<br />７月末のことだった。予定通り来日する。会場の東北大学萩ホールも秋には復旧する。予定通りやりましょう。宮下さんからメールが入った。曲目の選定、楽譜のやり取り、チラシ作成などがあわただしく進んだ。仙台で開催するからには「震災復興支援」をタイトルに掲げることも決まった。</p>
				<p>終焉後の打ち上げはいつも楽しい。楽しいだけでなく、今回はドラマがあった。お互いがエールを交換する中で、ドイツのメンバーはこの時期日本に来るかどうかで葛藤があったことを明かした。放射能汚染の心配だ。だが、音楽を通して被災者の力になれた。来てよかったと語った。<br />私たちの指揮者、河野昭三さんは仙台フィルが震災後少人数に分かれて、のべ２００回のボランテイア演奏を避難所で行ったことを話した。演奏が始まっても、体育館の床に寝そべった人々の中には冷ややかな人もいた。過酷な体験をしてきたのだ。音楽どころではなかったのだろう。しかし、演奏が進むにつれそうした人々も表情が次第に和らいできた。最後に唱歌の「故郷」をオケの伴奏でみんなで一緒に歌った。誰もが涙を流していた。「音楽の力を改めて実感した」涙で言葉を何度も詰まらせながら、河野さんはこう結んだ。<br />私は震災直後は音楽をする気になれなかったこと。それでも気を取り直して、老人ホームなどにボランテイア演奏に行ったことを話した。震災で沈んでいた私たちは、今日のジョイント・コンサートで皆さんから力をいただいたと感謝の言葉を述べた。それまで、正確なドイツ語で通訳していた指揮者、印牧さんのご子息光生（みつお）さんも涙で言葉が続かなくなった。<br />打ち上げのお開きに全員で「故郷」を歌った。涙が止まらなかった。大柄なドイツの男の人も眼がしらを押さえていた。音楽の力と、絆をすべての人が共にかみしめていた。勿論のこと国境はなかった。（了） <br /><br />１０月５日　　福島の人々の不安～郡山へ &lt;&lt;   作成日時 ： 2011/12/04 18:46   &gt;&gt;</p>
				<p>古巣のＮＨＫ文化センターの依頼、郡山教室で１回の特別講座を引き受ける。テーマは「私たちの防災報道は人々の心に届いていたのか？」３・１１以来の被災地取材の内容を中心に話す。パワーポイントで写真や図版をスライドで見てもらいながら１時間半ほど。内陸で津波の恐れとは無縁な地域にもかかわらず、１９人と予想を超える多くの方々が聞いてくれた。<br />私が取材・撮影した写真で津波被害の様子を紹介。Ｍ９・０とい超巨大地震と津波のメカニズムや、心配される余震などを整理して話した。その上で津波を正しく恐れること。これを決して忘れてはならない。一方、地域の防災力をどう高めていくかも重要。その中で、釜石市が実践した防災教育を詳しく紹介した。児童・生徒の防災教育を通じて、その成果をまず家庭に拡げる。さらに地域社会全体に浸透させ防災意識を高めていく。これは、津波の恐れのない地域でも必要なことだ。ぜひこうした実践例に学んで欲しい。およそ、こんな話をした。<br />受講者からの質問は福島で続く余震は心配ないのかといったことの他、やはり福島原発事故についてものが多かった。当然のことだ。沿岸部から避難して来ているという女性は「政府だけでなく、メデイアも本当のことを伝えていないのでは？」という疑問を話した。残念ながら私もそう思わざるをえない。メデイアが住民の側に立って果たさなければならないことなどを、可能な限り話した。<br />講座の終了後、郡山教室の小松真弓支社長と話す。文化センターでも放射線測定器が離せないという。教室の周辺を毎日測定している。屋内は０・１～０・２マイクロシーベルト。だが屋外の側溝は６～７マイクロシーベルトとホットスポット並みの所もある。郡山市に除染作業を行うよう要請しているという。<br />郡山市内の小学校の校庭の隅には、除染作業ではぎ取った土が小山のように積み上げられブルーシートがかけられている。子どもたちは「原発山」と呼ぶ。表で遊ぶ子どもの姿がめっきり少なくなった。ことあるごとに繰り返される政府や東電の「安全だ」という言葉を額面通り信じる住民はいないという。何が安全なのか、どの食品を選ぶかなどは、市民が個々に判断を迫られる。経済力のある住民は幼児を首都圏などに避難させている。住民の間に新たな格差、壁ができ始めているのが怖いという。同感だ。<br />新総理は「福島の復興なくて、日本の復興はない」と見えを切った。言葉と裏腹に福島の人々の苦難は続く。政治の貧困、東電の無責任さを改めて思う。</p>
				<p>郡山教室では私の講座に先立って、地元の日本大学工学部の横山俊幸講師を招いて「放射能問題を考える」と題した３回の特別講座を実施した。受講料は無料。定員一杯の２６人が受講した。希望者が多く、急きょ１回の特別講座を実施したほか、もう１回シリーズ講座を追加で行う計画だ。地域の問題に向き合おうという姿勢に大拍手！（了）<br /><br />１０月１６日　　被災地支援の姿とは？ &lt;&lt;   作成日時 ： 2011/12/06 10:06   &gt;&gt;</p>
				<p>　　　　　　　　　　<a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/ae2598a8393bbdcdc479ca20b5c3ce61.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/ae2598a8393bbdcdc479ca20b5c3ce61-300x225.jpg" title="アグリサービス" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-6936" /></a><br /><br />気になっている事業があった。東北コットンプロジェクトである。紡績メーカーやアパレル企業などが被災した農家を支援しようというもの。津波で米作りが難しくなった水田で綿花を栽培し、収穫後の商品化や販売を参加企業が担当するというものだ。綿花を作付けした２か所のうち、名取市の農業法人、有限会社耕野アグリサービス（こうや）を訪ねた。<br />綿花畑は会社の事務所兼作業場脇にあった。田んぼ一枚とちょっとだろうか。思ったより狭い。アメリカ南部の広大な綿花畑を思い浮かべていたせいだろうか。白い花もぽつりぽつりと咲いているだけ。日曜日とあって会社は無人。たまたま会社に出向いてきた社員に佐々木和也さん（２５）に話を聞けた。<br />この地区は海岸から４キロメートルも離れているが、田んぼは１メートルほどの深さに津波をかぶった。プロジェクトからの提案を受けて、５月から６月にかけて４０アールに綿の種を播いた。綿花は塩分に強いということだ。田んぼは表面の土を薄くはぎ取った程度で、ほとんど除塩作業をしないまま播種した。華が少ないと思ったのは間違い。花の盛りは１週間ほど前だった。その頃来ればいい写真が撮れたのにと佐々木さんは残念がる。今は花がしぼんで、コットンボールという茶色の親指の先程度の大きさの玉が成長する段階。この中に綿の繊維がある。ボールがはじけたところで収穫。収穫は当初の見込みより遅れて１１月になりそうだという。綿花畑は９月の台風１５号でも水をかぶった。「狭いとはいえ、二度の水害を乗り越えてきた頼もしい畑です」佐々木さんは胸を張った。<br />近くに住む会社の代表を自宅に訪ねた。意外な答えが返ってきた。取材はもう結構。生育はあまりよくない。プロジェクトの窓口をしている専務に話を聞いてくれという。取材が多くて迷惑しているのかも知れない。それにしても拍子抜けだった。</p>
				<p>　　　　　　　　　　<a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/1f3a52897330828ee6ca468623fd00b5.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/1f3a52897330828ee6ca468623fd00b5-300x225.jpg" title="綿花" width="300" height="230" class="alignnone size-medium wp-image-6937" /></a><br /><br />後日、会社に佐藤富志雄専務（６２）を訪ねた。プロジェクトの橋渡しをしたのは、大阪に本社のある靴下メーカー「タビオ株式会社」だった。綿花は塩に強いというが、自分たちには全く未知の作物だ。本当に芽が出てくるのかどうか、５月末とりあえず１２アールに種を播いた。発芽が確認できた。６月１７日に２回目の播種。作付面積を４０アールに増やした。その後の草取りなどを含めタビオの社員が出張してきて指導した。１０月中に収穫の予定だったが、１１月にずれ込むという。<br />耕野アグリサービスは７６ヘクタールの水田で米作りをしてきた。その９０パーセントが津波の被害を受けた。このうち４５アールについては試験的に除塩作業をして米を作付けした。出来は上々だったが、米の生産量はゼロ近くに落ち込んだ。しかし、無為にこの１年を過ごしたわ訳ではなかったことに驚かされた。<br />津波の被　害を受けなかった、山手にある農家は春先苗を確保出来ず困っていた。苗を供給してきた育苗センターの多くが津波の被害を受け稼働できなくなったからだ。育苗を一部手掛けてきたアグリサービスは、生産量を急きょ５割増やした。１万５０００箱出荷した。山手の農家は無事米作りができた。<br />仙台平野はもともと海抜ゼロメートル地帯が多い。このため水田に張った水を海に排水する排水機場が欠かせない。名取地区では５か所の排水機場が全て津波で破壊された。これがなければ田んぼに水を引くことができない。今年は用水路を止めざるをえなかった。このため津波をかぶらなかった水田でも一部は米作りができなくなった。水がないから畑と同じだ。「自粛地域」と呼んでいるという。遊ばせておく手はない。転作の名目で大豆を植えることになった。大型機械を持つアグリサービスに依頼がきた。３６ヘクタールの大豆の作付けを請け負った。「指をくわえているだけではだめ。何ができるかを考え続けるのが農業経営者」佐藤専務はこう話す。「綿花はこの規模だと採算取れないのでは？」来年以降どうするのかを含め尋ねた。<br />土地利用型がアグリサービスの経営の基本。津波被害で米作りを止めようという農家も出てきているので、耕作面積は来年はもっと大きくなる見通しだ。小規模の綿花栽培は対極の労働集約型だ。気候が綿花栽培に適しているかどうかの判断も難しい。経営のメインにはなりえない。ただ、被災地の農業再生のシンボル的な意味を持っている。特に手を差し伸べてくれたタビオには感謝している。来年は作付面積を倍くらいにしようと考えている。やるからには私たちが主体的に判断し、必要な人手はかけていく。地に足が着いている。自力で震災をはねのけていこうとするたくましい農業経営者の姿を見た。<br />コットンプロジェクトに参加する企業は日を追って増えているという。デパートや商社、航空会社なども参加した。支援の輪が拡がるのは悪いことではない。参加企業の善意を疑うつもりもない。ただ、再生の主役は被災した農家である。言うまでもないが、支援に当たっては、被災地の実情、農業者の主体性こそがまず第一に考えられるべきことである。（了）<br /> <br />１０月２１日　　顔の見える支援～南三陸町へ材木２トン &lt;&lt;   作成日時 ： 2011/12/06 11:36   &gt;&gt;</p>
				<p>　　　　　　　　　　　　　<a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/12cd10ce89b95024e26617502873bec4.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/12cd10ce89b95024e26617502873bec4-300x225.jpg" title="井上さん" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-6931" /></a><br /><br />埼玉・熊谷市の工務店の社長が、材木２トンをトラックに積んで南三陸町にやって来た。津波で自宅と作業場を流された志津川の大工仲間を支援するためだ。昨夜、ＮＨＫの元社会部長、ということは私の元上司である井上茂さんが連絡してきた。交友のある熊谷の大工さんに同行するという。午後２時、南三陸町で一行を待ち受けた。<br />熊谷市で工務店を経営する白根伸浩さん（５２）運転のトラックからは、社員の半田隼平さん（２２）と井上さんの３人が降り立った。東北自動車道をひたすら北上。８時間の旅だったという。白根さんは日本古来の木組みの建築物を守り育てていこうという、ＮＰＯ法人「伝統木構造の会」のメンバー。大工会の幹事をしている。今年の５月志津川漁港に、漁師の作業小屋である番屋を建てようという「番屋プロジェクト」に参加して地元の大工仲間の窮状を知った。<br />南三陸町で工務店を経営する菅原啓司さん（５６）は、１０メートルを超す津波で２階建ての自宅と、隣り合った作業小屋を流された。建材を切りそろえたり、加工するために作業場は欠かせない。何とかできないかと考えていた白根さんのもとに、東京・深川の木材問屋から声がかかった。小屋１棟分の材木を提供するという。３間×６間、１８坪の小屋が建つのに十分である。<br />８時間の長旅の疲れをいやす間もなく、津波で流された作業小屋跡地にトラックの荷台から材木を下した。菅原さんは今、津波で流された民宿を立て直す工事に追われている。作業小屋はそちらが一段落したら取りかかるつもりだ。積み上げられた材木にはブルーシートがかけられた。「がんばろう　南三陸」の横幕を持って全員で記念撮影をした。</p>
				<p>　　　　　　　　　　　　　<a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/b906d8b961e25e53cbde8ec93a8c8da21.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/b906d8b961e25e53cbde8ec93a8c8da21-300x225.jpg" title="材木運搬" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-6933" /></a><br /><br />被災地では十分とは言えないが、事業再開を目指す商工業者向けの融資や助成制度がスタートしている。菅原さんも地元の商工会などを通じて助成を受けたいと相談をした。ところが対象外だと断られたという。土木や建築堯は復旧工事でこれから忙しくなるから、というのが理由だったという。確かに、民宿の建て治しをはじめ、半壊した住宅を再び住めるように改築したいといった注文がここにきて増え始めた。しかし、本格的に事業を再開するにはまず作業小屋が必要だった。それに津波で流された工具も欲しい。復旧工事で潤うのは大手のゼネコンのことでは。被災した中小の業者が立ち上がるには、まず仕事をするのに欠かせない資材などを助成、援助することではないだろうか。政治、行政の考える支援制度はどこか実情からかけ離れている。<br /><br />　　　　　　　　　　　　　　<a href="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/ded47126aad2d05a60f7351ccac23799.jpg"><img src="http://www.webreport.jp/wp-content/uploads/ded47126aad2d05a60f7351ccac23799-300x225.jpg" title="大工連合" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-6934" /></a><br /><br />「必要としていた支援をいただいた。何と感謝していいものやら」と菅原さん。白根さんは「復興することが感謝のしるしです」とエールを送った。白根さんら埼玉の大工仲間は、中古品だが材木を加工する万能盤など工具類を集めている。こうした工具類も支援で送り届ける予定だ。同じ大工仲間だからこそ、立ち上がるには何が必要なのかよく分かるという。<br />前へむこうとしている人々の背を押して、歩みだすことを手助けする支援。顔の見える支援がそこにはあった。<br />白根さんたちのトラックはこのあと陸前高田市方面に向かった。「気仙大工建築研究会協同組合」などを訪問。伝統建築を守ろうと奮闘する気仙大工の方々を激励するためである。（了） </p>
				<p style="text-align: right;">仙台：松館忠樹<br />ブログ「震災日誌ｉｎ仙台」<br /><a href="http://sakura3411.at.webry.info/">http://sakura3411.at.webry.info/</a></p>
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		<title>たけちゃんの独り言</title>
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		<pubDate>Wed, 30 Nov 2011 08:43:55 +0000</pubDate>
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				三浦大根◆地元農家との話の続きである。沢庵漬けには、昔の知識で練馬大根かと思って話を進めても、煮物、漬物は三浦大根がよいという。だが地元農家が作る大根のほとんどが、三浦ダイコンを「購入タネ」で最初に作 [...]]]></description>
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				<p style="text-align: left;">三浦大根<br />◆地元農家との話の続きである。沢庵漬けには、昔の知識で練馬大根かと思って話を進めても、煮物、漬物は三浦大根がよいという。だが地元農家が作る大根のほとんどが、三浦ダイコンを「購入タネ」で最初に作っても、翌年のために種を取ろうとすると、青首大根になってしまい、三浦大根が作れないという。<br />◆何かすっきりしない。調べたら練馬大根は煮物、沢庵漬には最適だが細く長いため、大根を引きぬく力が三浦大根の２倍もかかり、重労働であり、練馬の主な農産物はキャベツに移ったとある。だから煮物、漬物は三浦大根になる。生産地の三浦では、青首に押されることなく、種取りから三浦大根が生産されていることも分かった。今、生活で三浦大根の話はない。<br />◆今日は妻が近所の農家から、珍しく無農薬栽培の三浦大根を買ってきた。形はその通り上部が細く、すぐに山なりの太さであった。だが全て真っ白のはずが上部はうっすらと青かった。成程地元農家の悩みはこれだと思った。さて、大根を４ｃｍの厚輪切りして、昔の「風呂吹き大根」の味があるだろうか。食したが、結局青首大根独特の風味で、昔の大根ではなかった。 </p>
				<p style="text-align: right;">立川：たけちゃん</p>
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		<pubDate>Mon, 21 Nov 2011 05:05:41 +0000</pubDate>
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				高級食材◆朝夕はめっきり寒くなり、最低気温も10℃程度に下がる。だが、雨でない日の昼間は２0℃位の温かい陽気は、体が硬くならず体調がよく助かる。この温かい陽気で農家の野菜直売の奥さんは、葉物が育ち過ぎ [...]]]></description>
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				<p>高級食材<br /><br />◆朝夕はめっきり寒くなり、最低気温も10℃程度に下がる。だが、雨でない日の昼間は２0℃位の温かい陽気は、体が硬くならず体調がよく助かる。この温かい陽気で農家の野菜直売の奥さんは、葉物が育ち過ぎて、大根も太ももの様に太く売りにくとこぼすそうだ。<br /><br />◆そんな話を、通所デイで話していたら、最近通所利用になった農家の同年男性が、離れた席から近づいて来て「タクワン」論議になった。タクワン用の干大根は、天日で１０日以上干すが、晴天が続く１２月に作業をし、太くなった大根は日数もかかり手間が大変だという。押しの効いた歯ごたえのあるタクアンは、干大根の重量の３倍の重石をかけ、漬物の素、糠、ザラメ、柿の皮などの材料を入れて4斗樽で漬け込み３ヶ月待つ。２０本位だったが、4,5年前に干大根を買って、漬け込みの経験をしたので、お互いの話は弾んだ。市販のタクワンは色々のタイプがある。出来上がりの自家製は段違いの食感と味である。何処の農家もタクワン漬けはするが、手間とコストがかかり、自家と贈答用だけで売り物は作らないという。昔、育ち盛りの頃は粗食の代表は「タクワンポリポリ、お茶漬けサラサラ」で懐かしい。今は高級食材といえる。</p>
				<p style="text-align: right;">立川：たけちゃん</p>
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		<pubDate>Fri, 14 Oct 2011 02:44:56 +0000</pubDate>
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		<category><![CDATA[健康・福祉]]></category>
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				病院の生花
				◆病院関係の新聞を読んでいたら、病院内、病室に「生花の持ち込み禁止」の記事があった。理由は①花粉によりアレルギーを起こす可能性②花瓶の水にアスペルギスという感染対策上問題となるカ [...]]]></description>
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				<p>病院の生花</p>
				<p>◆病院関係の新聞を読んでいたら、病院内、病室に「生花の持ち込み禁止」の記事があった。理由は①花粉によりアレルギーを起こす可能性②花瓶の水にアスペルギスという感染対策上問題となるカビの繁殖。③花の匂いが苦手の患者もいる。とある。病気見舞に生花は気の利いたお見舞いと思い、もらって嬉しかった経験はある。初耳なのでウィキペディア〈辞典）でみたら、原因菌は観葉植物（鉢内の堆肥や土）、生花の表面、花瓶の水等にあり、患者は免疫力が低下しており、皮膚アレルギーや呼吸困難になるとあり、①②の理由がわかった。③では、入院の時、隣のベットの家族が芳香剤を置いていき、夜寝中寝れなくて、看護師に苦情を申し立てた経験がある。生花の匂いも四六時中だから嫌な人には苦痛である。</p>
				<p>◆ついでに述べると、２ケ所の病院生活の経験で厳しく言われたことがあった。「物を絶対に床の上に直置きするな」であった。どんな菌が床に潜んでいるか分からない。見舞い客がよくカバンや紙袋を置かれたが、何時もその話をした。また前のベットに家族が来て、売店に買い物の前後にベット上に財布を置いて、行動される例があった。やめてくれと言った。事故があった場合、お互いのトラブルの元になり不愉快になる。数年前経験の病院生活のマナーは変わってきて、他の事もあるだろうが見舞いの時に心得ておき、入院はしたくない。</p>
				<p style="text-align: right;">立川：たけちゃん</p>
				<p><br /> </p>
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		<title>たけちゃんの独り言</title>
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		<pubDate>Mon, 10 Oct 2011 06:36:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kiyo7</dc:creator>
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		<category><![CDATA[文化]]></category>
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				空き缶回収
				◆昨日は、京都市で全国初の空き缶回収条例可決（1981）があり、翌年に施行された。ジュース、ビールとお世話になる缶製品の空き缶は、京都市のような観光地では、放置が３０年前から問題 [...]]]></description>
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				<p>空き缶回収</p>
				<p>◆昨日は、京都市で全国初の空き缶回収条例可決（1981）があり、翌年に施行された。ジュース、ビールとお世話になる缶製品の空き缶は、京都市のような観光地では、放置が３０年前から問題だったのだろう。昨年の今頃、条例改訂で「京都市の指定した方法で出された空き缶などの資源ごみや粗大ごみを拾うことを禁止」とする事が出され、これに対し野宿者・生活困窮者は、生きる権利を侵害するとして反対闘争が起こりHPもあった。我町も指定場所に缶・瓶を出し市の回収は定着して、持ち出しは禁止は当然と思うが、違う面を知った。</p>
				<p>◆書きたいと思ったのは、今年の初夏の頃と思うが、新聞多摩版で、小金井市在住だった星野哲郎さん（作詞家）の隠れた話である。朝の散歩の時に、手袋、缶挟み、袋を持って、道端、公園に散乱する缶を回収して、毎日記録をつけていた。その数が２０万個を超えたとあった。生涯で４０００曲の詩を書き、数々のヒットをさせた作詞家は、昨年１１月８５才で他界され葬儀では作詞曲の「男はつらいよ」でおくられた。偉大な作詞家の晩年の生活で、こんな社会貢献もあったのかと思ってきた。残念ながら新聞の切り抜きをしなかった。</p>
				<p style="text-align: right;">立川：たけちゃん</p>
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