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1月27日 おめでとう!南三陸町、馬場・中山の人々~日本クリエイション大賞の授賞決まる << 作成日時 : 2012/01/28 15:06 >>
雪の馬場中山地区を訪ねた。日本クリエイション大賞事務局の鈴木かおりさん、選考委員の一人の曽我健さんに同行した。曽我さんは私のNHK社会部時代の先輩で、元NHK交響楽団理事長である。途中、泊浜方向へ迷い込んだが、無事午後1時過ぎには到着。馬場中山生活センターで千葉馨さんが待ち受けてくれた。
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1月10日 野田総理 石巻へ~鈍感であることが政治家の要件? << 作成日時 : 2012/01/12 23:00 >>
じょう総理、野田総理が宮城、岩手の被災地にやって来た。
初めてなのかと思ったが、就任後では昨年9月以来という。12月に来る予定が北朝鮮の王朝の異変で今回になったという。しかし、各種の世論調査で内閣支持率が急落した直後。支持率アップをねらったパフォーマンスではとの疑いをぬぐいきれない。どじょうの笑顔は終始引きつっていた。
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12月24日 震災を忘れさせてはならない! 訴える若い魂 2011/12/29 11:16
「安心して暮らせる社会を私たち女子学生が考える」宮城学院女子大学の人間文化学科主催のシンポジュームを聞きに行った。震災に関わることは地域にある大学の社会的責任だとかねがね考えていたからである。大学の大教室は開始の午後2時半には100人余りの学生で埋まっていた。私のような一般の参加者も数人。
被災地大学間合同シンポジュームの一環。宮城学院と神戸からやって来た神戸松蔭女子学院大学の女子学生たちは、前日(23日)石巻の被災地を訪ねた後、この日の午前中は仙台市の「あすと長町」の仮設住宅団地で暮らす被災者の方々の聞き取りをした。フィールド・ワークを受けて、復興とは何か?復興に向け何をすべきか?がテーマだった。
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10月1日 復興への願いをこめて~心の架け橋・日独交流コンサート 作成日時 : 2011/12/03 23:33 >>

仙台シンフォニエッタとしては初めて経験することだ。他の音楽団体とジョイント・コンサートを開催することになった。お相手はドイツ・ハンブルクの混声合唱団、コア・アンサンブル・ゲーテ、そして名古屋の女声合唱団、レインボーコーラスあいちである。
ドイツからは指揮者の印牧和生(かねまきかずお)さんはじめ、20数人がやって来た。名古屋からは60人余の団員。メールで事前にやり取りしたオーケストラ譜を使って、前日の9月30日夜に初めての顔合わせ。練習会場のホテルの宴会場には、お相手はどんな腕前なのか?興味と熱気があふれていた。前日のゲネプロ(総練習)は1時間半ほどでお開き。当日(10月1日)午前が会場の東北大学萩ホールでのステージ・リハーサルだった。舞台転換などをあわただしく確認して、午後2時の開演を迎えた。
トップバッターはレインボーコーラス。総勢60人が純白の衣装でステージに並んだ。「大漁唄い込み」や「ソーラン節」など親しみやすい民謡をアレンジしたもの。津軽三味線も加わるユニークなプログラムだ。これまで海外への演奏旅行を何度か重ねてきただけに、日本情緒を存分に唄いあげた。メンバーには80歳代の方もいらっしゃるが歌声は若々しかった。 (続きを読む…)
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[地震・津波を正しく恐れる、宮古市田老町]
[八月一六日]
宮古市田老町に足を運んだ。郷里の青森・むつでの墓参りの帰途である。久慈市から国道四五号線を車で南下した。峠を越して海沿いの集落に乗り入れるごとに、津波で流された住宅地跡が眼に飛び込んでくる。どの地も三月一一日までは人々の暮らしとの場であり、ふるさとの安らぎが満ちていたのだ。人の気配のする建物は、一階だけの被害で済んだのかとほっとする。しかし、周りの家々が徹底的に破壊されている以上、当たり前の暮らしが残っている訳ではない。田老町の手前、峠の国道沿いにある道の駅たろうは多くの客でにぎわっていた。そういえばお盆休みの最終日。帰省の人々のものか、他県ナンバーの車も多い。いつものお盆と変わらない光景だ。国道はやがて田老湾に向かって高度を下げていく。息をのんだ。防潮堤の背後に拡がっていた家々はことごとく流され、土台が残されているだけだった。街がない。
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[大震災とメデイア]
六月一五日、見逃したETV特集「ネットワークで作る放射能汚染地図」(五月一五日放送)と、続編「続報・放射能汚染地図」(六月五日放送)を見た。後輩にDVDをダビングしてもらった。いずれも力作だった。被曝の危険を冒しながら、自主測定を続ける科学者たちの姿に胸を熱くした。通りいっぺんの測定データを発表するだけの政府。それも住民のほとんどが真実かどうか首をかしげる数字だ。その上、SPEEDの汚染予測データを隠し続けていた政府。木村真三さん、岡野真冶さんら科学者の努力は国民を欺き続ける政府、そして御用学者と呼ばれる人々と対極にあった。
この記事についてつぶやく震災日誌・番外編
~私たちの防災報道は住民の心に届いていたのか?~
今回のNHKの震災報道は国際的にも高く評価されている。NHKのクレジットの入った津波の生中継映像が各国のメデイアから流れた。社内報「ネットワーク」6月号は、CNNやBBCなどから「これだけの災害報道ができるのは世界でNHKしかない」などの声が寄せられたことを伝えている。災害報道に力をそそいできた成果である。後輩の諸君の努力を多としたい。
一方で、私たちが長年にわたって災害報道、防災報道を続けてきたにもかかわらず行方不明者を含め二万数千人の犠牲者が出た。私たちの防災報道は果たして人々の心に届いていたのかどうかという点についても考えさせられる。
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[災害が教えるこの社会の虚構]
[震災から二二日目、四月一日]
昨日、ガスが復旧。開栓に来たのは応援で駆けつけた岡山ガスの社員だった。震災以来初めて風呂で身体を伸ばしさっぱりする。
さっぱりしないのは原発事故。IAEAが三〇キロ圏外の飯館村の土壌で避難基準の二倍の放射性物質を検出したことを明らかにし、日本政府に住民の避難の検討求める。政府は日本の基準では安全と方針を変えない。住民は何を信頼すればいいのか。
NHKの後輩たちの解説である。「IAEAが日本政府、東電と事前に刷り合せせずにデータを公表したのが住民を混乱させた」という。何のことはない、メデイアは、“政府発表を基準に”報道している。報道する我々をも混乱させるような、データの公表の仕方はけしからん、ということなのだ。原子力となるとこの業界の情報、データ隠しがすさまじいのは私も現役当時経験している。今回もおそらく変わらぬ状況のもと、後輩たちは全体としてよく頑張っている。だがこの解説はいただけない。この際、ジャーナリストはどの立場に立つべきか。答えは自ずと明らかなはずだが。(政府は結局、IAEAが危険性を指摘した飯舘村を、三週間ほど後になって計画的避難区域に指定した。)








