この記事についてつぶやく北京あんなことやらこんなことやら(完)
~4年余りの北京生活に終止符~
ブログの更新が大変遅れて申し訳ありません。実は、4年余りにわたる北京での生活に終止符を打ち、7月に日本に帰国することにしました。帰国前の雑務や卒業論文の指導に追われ、更新する余裕がありませんでした。アクセスされた方には、お詫び申し上げます。53回にわたった「北京あんなことやらこんなことやら」をご愛読いただき、有難うございました。
帰国してからは、今度は中国語を教える仕事を始める予定ですが、果たして何事もノンビリムードの中国での生活に慣れてしまったこの体が、日本での生活に無事適用できるかどうか心配しているところです。
ところで、このブログにつきましては、タイトルも変えてリニューアルしたいと考えております。中国で驚いたこと、感心したことなど、まだ書き残したことは数多くあります。帰国してからもう一度整理し直し、それから書き始めようかと考えています。3~4ヶ月の休みをいただいた後、再出発をさせたいと思いますので、その時には、また是非アクセスしていただけたら幸いです。
北京:中村 治
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この記事についてつぶやく北京あんなことやらこんなことやら(53)
~トヨタ問題を中国ユーザーはどう受けとめたか~
トヨタ、北京での記者会見(新京報の紙面)

2月下旬にアメリカ議会の公聴会に出席し、トヨタ車の品質問題について謝罪したトヨタ自動車の豊田章男社長は、その足で北京を訪れて記者会見を行った。中国の新聞の報道によると、記者会見の中で豊田社長は4回にわたって陳謝という言葉を使って中国の消費者に対して謝罪したという。アメリカから中国へ直行しての記者会見は、2009年1年間の自動車販売量が1300万台を超えてアメリカを抜き、世界最大の新車消費国になったことを示した象徴的な出来事と言えよう。 (続きを読む…)
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この記事についてつぶやく北京あんなことやらこんなことやら(52)
~厳しさ増す大学生の就職戦線②~
「中工ネット」に転載された“手紙” 中国の大学新卒者の就職難、今回はネット上で話題になった、出稼ぎ農民の親を持つ新卒者の苦悩と、専業主婦を望む女子学生が増えているという動きを紹介したい。
春節前の今年1月、「故郷を離れて漂う大学新卒者から、“農民工”の父親への懺悔の手紙」と題する文章がネット上に現れ、話題を呼んだ。文章を書いたのは大学を卒業した後、半年余り経った新卒者。出稼ぎの農民工をしている父親に対しては3200元(日本円で4万円ほど)の月給をもらっていると言っているが、実際に受け取っているのは、わずか1000元(1万3000円)。ネット上に書いた手紙には次のように書かれている。
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この記事についてつぶやく北京あんなことやらこんなことやら(51)
~厳しさ増す大学生の就職戦線①~
1月3日の大雪(北京市朝陽区)
北京の今年の冬は、兎に角寒い。新年早々の1月2日と3日に連続して雪が降り、その後、日中の最高気温が氷点下の日が多いため、この原稿を書いている17日になっても、まだ雪が残っている。また北京市気象台によると、6日未明、北京市内の最低気温が氷点下16・7度となり、1月上旬としては39年ぶりの寒さを記録。郊外では氷点下26度前後にまで下がったところもあったという。
大学院統一試験(北京市内の大学)
厳しい寒さの中、就職戦線は過熱している。中国では1月9日、10日の二日間、大学院修士課程の統一入学試験が実施された。全国で募集定員46万5000人に対し受験者は140万人。受験者数は去年よりも13%も増えて、20001年以降で最高に。今年の試験の特徴は、学術型の院生を減らして就職に有利な応用型の院生募集を増やしたことだ。また去年の11月末に行なわれた国家公務員試験も、1万4000人ほどの募集定員に対し104万人が受験。競争率は70倍以上と、一段と高くなった。
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この記事についてつぶやく北京あんなことやらこんなことやら(50)
~ダブル学位を目指す学生たち~
授業風景
大学内にある専門家宿舎に住む私が、初夏のある土曜日の午後、昼食を食べた後、学内のベンチに座って本を読んでいると、日本語専攻の当時2年生の男子学生が忙しく通り過ぎようとしていた。「今日は何があるの?」と聞くと、「土曜日も日曜日も8時間ずつ授業があるんです」と答える。驚いて話を聞くと、学位をふたつ取る「ダブル学位」取得を目指しているという。
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この記事についてつぶやく北京あんなことやらこんなことやら(49)
~四川大地震の震源地を訪ねて②~
震源地へ入る道路
四川省の旅、成都空港から車で1時間ほどの所にある民間の四川大地震博物館を訪ねた後、翌日の10月8日には、いよいよ四川大地震の震源地の「ブン川県(さんずいに文)の映秀村」を訪れた。タクシーをチャーターし、高速道路を使って1時間ほどで順調に映秀村の出口を出たのだが、そこでタクシーは止まってしまい、写真を貼り付けた紙を持っている人達から運転手が何やら声を掛けられている。何事かと思いきや、高速道路の出口から震源地に入る道路は、住民や工事用の車しか通れないように規制されているので、震源地を見たい人は自分達の車が案内するという話であった。こちらはそのために来たのであるから止むを得ない、100元(およそ1300円)を払って住民の車に乗って見て回ることにした。
倒壊した中学校
まず見たのは、校舎が無残に倒壊している「旋口中学校」。ここでは地震発生から1年経った今年の5月12日、胡錦涛国家主席も参加して追悼式典が行なわれた場所。校舎を記念として残すため、地震の発生時間を示した大きな石の時計も作られている。倒壊した校舎は2年前に完成したばかりだという。校門の前では地元の少女が地震の状況が撮影してあるというDVDを売っていた。CCTVや地元のテレビ局が放映したものであれば買う必要はないので、どんな内容かと尋ねた所、地元住民が撮影したものを編集したものだというので購入。北京に戻ってから見てみると、まだ軍隊の救助隊が入る前に、住民達自らが学校の校舎の下敷きになった子供たちを救出する生々しい場面もある迫力十分のものであった。
墓石には亡き子供の写真
村の小高い所に上がると公共墓地があった。その日は今にも雨が降りそうな天候であったが、訪れる人は絶えず、菊の花などをささげて犠牲者の冥福を祈っていた。公共墓地の脇には墓石が建てられており、亡くなった子供や家族の写真が貼りつけてあるお墓が目を引く。
崖から落ちてきた大石
崖から落ちてきた大きな石には、「512震源地 映秀」と、チャイナレッド色の文字が書かれていた。地元では、大地震の震源地ということを前面に打ち出して、観光客を呼び込もうという動きが見られ、「映秀震源地遺跡遊覧図」という看板も立てられていた。また震源地から吹き出たものだという小石を売る露店もあった。
源地遺跡遊覧図」の看板
時間の都合もあって震源地には1時間ほどしか居なかったので、サッと通り過ぎただけ。従って、被災住民が今どんな生活をしているかなど全体的な様子までは分からない。ただし案内をしてくれた地元の少数民族チャン族の女性の話によると、地震で娘を1人亡くした彼女は、今は別の場所で借家に住んでおり、仮設住宅ではない本格的な住宅が完成すれば、そこに移り住むことになっているが、それは早くても来年の旧正月以降になるという。
本格的な住宅の建設工事
今回の震源地の旅では、観光案内をしたり、地震のDVDを売ったり、震源地の石碑がある場所などで観光客相手に果物や小石を売る商売をしている地元住民の姿を、あちこちで見かけることが出来、被災住民がたくましく復興後の生活を再開しているという印象を受けた。案内をしてくれた女性の話によれば、国慶節休みの前半には外国人を含む多くの人がここを訪れており、そうした外部の人たちが今も関心を持ってくれることは嬉しいことだと言う。また住宅の建設や橋の復旧工事には、日本人専門家も加わってくれていると話していた。
北京:中村 治
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この記事についてつぶやく北京あんなことやらこんなことやら(48)
~四川大地震の震源地を訪ねて①~
今年の国慶節の休みは、中秋節の祝日が加わったこともあって8日間に。私の場合は、授業のない日がその後に続いたために11日連続という長期休暇になった。果たして航空券が確保できるのか心配であったが、急遽、休みの後半に四川大地震の震源地を訪ねる旅行を思いつき、旅行社に当ってみると簡単に手に入るではないか。この旅行では、子供の頃に住んだことのある重慶市にも出かけたので、震源地の旅は、二日間弱という短い時間であったが、そこで見たものを2回に渡ってお伝えしたい。
まずは、成都空港から車で1時間ほどの所にある民間の四川大地震博物館(中国語では震源地の名前を取って、ブン川=「さんずい」に「文」=大地震博物館)を訪ねた。この博物館は、地元の実業家が私財を投じて被災地から収集したものを、地震発生の1ヵ月後から順次公開し、地震発生1周年の前日、今年の5月11日に正式オープンしたもので、展示品は5万点余りに上る。
最初に目に入ったのが、博物館の外に展示されている建物の倒壊によって押し潰れた車。乗っていた3人は幸い、地震発生時には車の中にはいなかったので、無事であったが、地震の恐さを物語っている。(写真下左 四川大地震博物館[四川省大邑県] 下右 乗用車の残骸 )
見学者が歩く通路の足元はガラスになっていて、その下には被災地で集めた生活用品などが雑多に置いてある。まるで被災地の現場を歩いているような感じを受ける。
この地震では多くの学校の校舎が倒れ、小学生や中学生の犠牲者が数多く出たため、特設のコーナーを設置。壊れた机や椅子、子供たちのカバン、筆箱などが展示されているほか、元気だった頃の写真も張り出されていた。 (写真下左 足元にも被災品 下右 校舎倒壊現場から収集したもの)
中国では結婚式を挙げる前に景勝地などで写真撮影を行い、豪華なアルバムを作るのが習慣とも言えるが、このドレスは上のほうに掲載されている写真のカップルの花嫁が着ていたもの。写真撮影をしていた時に地震が襲い、2人とも帰らぬ人に。撮影をしていたカメラマンは大ケガをしながらも無事だったが、一緒に仕事をしていたメイク担当の恋人の女性は、崩れてきた土砂に巻き込まれて亡くなったという。
四川大地震の報道の中では、救出された時に挙手で敬礼をした男の子や、乳児に自分のお乳を飲ませた女性警察官など話題の人物が何人か誕生したが、このオートバイは、すでに亡くなっていた妻の遺体を背中に背負ってオートバイを運転しているところを撮影され、テレビや新聞で話題になった男性のもの。 (写真下左 泥にまみれたウェディングドレス 下右 妻の遺体を運んだオートバイ)
日本語の文字が書かれているものも展示されていたので見てみると、成都市の華西病院で治療などに当った日本の国際緊急援助隊医療チームが、任務を終えた時に病院に寄贈した非常用災害食品であった。
博物館の最後の所の壁に張り出されている犠牲者の顔のレリーフ。6万9227人の死者(行方不明者は含まれず)のうち、写真が見つかった人の顔を銅とステンレスのレリーフにしたもので、その作業はまだ続いている。 (写真下左 日本医療チーム寄贈の非常用食品 下右 犠牲者のレリーフ展示)
何故犠牲者のレリーフをこのような形で展示したのか、この博物館を作った実業家でもある館長の樊建川さんは、NHKのインタビューに答えて「家や学校が建てられて復旧が進み、50年、100年経って地震が過去のものになっても、犠牲者の事を忘れてはいけないと思い、最後の所に飾った」と答えている。また新華社ネットでは、博物館を作った動機について「四川省では1930年代と70年代にマグニチュード7.8級以上の地震が起きているが、何も残されていない。災難は悲劇であると同時に人間性が輝く特殊な舞台でもあるので、人類の貴重な歴史として残す価値があると思った」と述べている。(写真上左 写真をもとに作られた犠牲者の顔)
北京:中村 治
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この記事についてつぶやく北京あんなことやらこんなことやら(47)
~建国60周年祝賀行事、大学にも余波~
60周年祝賀行事のテレビ中継
新中国が成立して60周年を祝う記念祝賀行事が、10月1日天安門広場で行なわれた。10年ぶりの軍事パレードには、射程が1万キロを超えるといわれる大陸間弾道ミサイルを初め、戦略ミサイル部隊のおよそ50の最新装備が披露され、海外からも注目を集めた。また、その後に行なわれた市民パレードには、私が教えている日本語科の一部の学生も参加しており、出来ることなら見学してみたいと思ったが、パレードを見ることが出来るのは選ばれた人だけで、一般人は家庭でテレビ中継を見るしかないのが、残念であった。
地下鉄「八通線」も一部運転中止
祝賀パレードが行なわれたのは、北京の中心部の天安門広場と長安街という主要道路なので、この日の交通規制は、非常に厳しかった。天安門広場を通る地下鉄1号線は、全線が運休。私の大学は、1号線よりも東側の郊外にある「八通線」の駅なので、これは影響ないかと思いきや、1号線に近いふたつの駅が運転中止となっていた。道路の規制は、新聞やネットに色々書かれていたが、規制対象が多すぎて、全体像を理解するのも大変といった状況。
記念祝賀式典をめぐっては、様々な話題が日中などのメディアによって報道されていた。軍事パレードと同じ時間帯には、北京空港の離着陸が3時間も禁止されたこと。当日雨を降らさないために400発以上もの「消雨ロケット」を発射させて成功させたこと。重慶市では、この日に結婚届を出したいというカップルが多かったため、受理手続きを行なったが、「離婚は受理しない」という方針を決めたこと。更には、9月18日夜に行なわれた軍事パレードの予行演習をホテルのテラスから取材していた共同通信の記者ら3人が、押し入った中国当局者の男らに暴行を受けた上、「カメラ撮影は違法だ」などとして、パソコン2台を破壊されたという事件も発生。
パレード参加学生の学内練習
パレードに参加する学生からは、自分達の隊列がいつ頃、どういう形で登場するかを知らせる喜びのショートメッセージが、私の携帯にも送られ、60周年という記念すべき祝賀行事に参加できる喜びが伝わってきた。また帰省する学生もいることから利用する学生が少なかった学生食堂では、多くの従業員達が仕事の片手間に、パレードのテレビ中継を熱心に眺める姿も見かけられた。
一方で、この祝賀行事の余波が、大学の授業などにも現れた。ひとつは、パレードに参加する学生の練習のため、国慶節の2日前の29日午前にあった2年生の授業が休講になったこと。もうひとつは、新入生の軍事訓練の延期である。大学によって訓練の長さは多少違うようだが、去年、私の大学では、新入生は新学期の授業が始まる前の20日間、北京郊外の訓練施設で軍事訓練を受けた。ところが今年は軍事パレードの練習で解放軍兵士が忙しいためであろう、当初の予定では国慶節休み明けの10月12日から10日間に短縮されて行なわれることになっていた。
そうなると日本語科の新入生について言えば、9月中旬から始まった半月ほどの授業で「50音の発音」や「仮名の書き方」を覚えた直後に、国慶節の休みと軍事訓練が続いてしまい、20日ほど授業がなくなるので、習った内容を忘れてしまうのではないかと心配をしたが、結局、軍事訓練が来年の夏休みに延期されることが決まって、ひと安心。1年後に伸ばした理由の中には、新型インフルエンザが拡大し始めているので、集団活動を出来るだけ避けようという狙いもあるようだ。
国旗が並ぶ商店街(北京朝陽区)
ところで中国のテレビは、国慶節を前に連日、軍事パレードに加わる解放軍の兵士や、市民パレードに参加する市民の練習風景などを放送していたが、その中で国旗はどのように掲揚したら良いのかというニュースも流れていた。1990年に制定された国旗法によると、「汚れたり、色があせたりした国旗は掲揚してはいけない」、「国旗は朝早くに掲揚し、夕方にはしまうこと」、「他の旗と一緒に掲げる時には、国旗は中心の位置にしかも高く掲げること」といった細かな規定があるという。日本では、卒業式などでの国旗掲揚の是非をめぐって、今も議論が続いており、国情の違いを強く感じると共に、国旗法が制定された1990年という年は、天安門事件の翌年であり、愛国主義教育が始まった年であることを思い出した次第である。
北京:中村 治
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この記事についてつぶやく北京あんなことやらこんなことやら(46)
~大学で新型インフルエンザ騒動~
体温測定(2009年6月)
騒動はすでに一件落着したが、実は、私が教えている大学の学生から新型インフルエンザの患者が出てしまい、その学生と密接に接触した人が、私も住んでいる留学生と外国人教師の宿舎にも居たことから、出入りの時には体温測定が実施されるなど少なからぬ影響を受けた。今回は、このインフルエンザ騒動についてご紹介する。
6月14日の日曜日だったと思うが、宿舎の入り口で突然、額に体温計を当てる体温測定が始まった。「新型インフルエンザの患者でも出たのですか?」と係員に聞いた所、その時の返事は「そんなことはありません。万が一の予防のために始めたんです」との答えであった。ところが翌日、用があって大学の診療所に行くと、ここでも体温測定をしているではないか。看護士さんに同じ質問をしたところ、「学生の中から患者が発生したので測定を始めた」ことを認めた。
患者発生を伝える大学のHP
その直後、教研室に行った際、まさか載っていることはないとは思いつつ、念のために大学のホームページを見てみると、患者発生に関する情報が掲載されているではないか!それによると、カナダに留学している女子学生が一時帰国した後、発病して入院し、新型インフルエンザと診断される。その女子学生と密接に接触した10人も病院に隔離。その内の何人かが、私の住む宿舎にいたのである。
女子学生が新型インフルエンザと診断されたのが6月13日の夜で、宿舎で体温測定が始まったのが翌14日、そして発生から2日後の15日に、この情報が大学のホームページに掲載されたという経緯で、素早い対応と情報公開は高く評価できる。世界的に新型インフルエンザが出始めた5月初めの頃、香港を訪れたメキシコ人が感染していたことが判明した時、中国政府が症状がまったく出ていない中国在住のメキシコ人も隔離したため、行き過ぎではないかとメキシコ政府から抗議を受けるという一幕もあったが、そのことは兎も角、新型インフルエンザに対する一連の対応を見ていると、やはり2003年に起きたSARSの教訓が、かなり活かされているなと感じる。
ただし本来は、大学の教務課や宿舎の責任者から教師や留学生に連絡があって然るべきだが、外国人教師の私には今もって正式なルートを通じての連絡はない。患者はどの学部の学生で、どこに住んでいたかなどは、学生からの口コミで知った次第だ。その辺は問題点として残る。
大学内では、その後患者は発生せず、病院に隔離されていた人たちも1週間後には隔離措置が解除されたので、この騒動はすでに一件落着したと言えるが、ただし後遺症は残っており、特に外国人教師や留学生が帰省して再び中国に戻ってくる時には、1週間の『自我隔離』、つまり自主的に外出を自粛しなければならないという指示が下りてきた。
新型インフルエンザに関するポスター
私は今、夏休みで日本に帰省しているのだが、この後北京に戻った直後の1週間は、“自主的隔離”の対象となるため、1週間早めに戻らざるを得ない。その期間、食べるものはどうするのかと聞いたら、宿舎の従業員が世話をしてくれるというが、それも面倒だ。中国政府の隔離対策も当初は、患者と密接に接触した人は全員、病院に隔離するという方針だったのが、その後自宅で様子を見てもよいと緩やかになったので、大学の関係部門に「マスクをしていれば、買い物に行っても構わないでしょ?」と尋ねたら、「そうですね」と態度が軟化しつつある。
中国大陸での新型インフルエンザによる患者数は、7月22日現在で1772人。これに対して日本では7月23日現在で4718人と日本の方が多いが、私が良く行く病院の中国人医師は、「日本人は病気に対する意識が高く、体調が悪いとすぐに病院に行くので患者数が多くなったのだと思う。中国人の場合は多少具合が悪くとも病院には行かないので、今のところ患者数が少ないのではないか。中国では、今後増えるのではないかと心配をしている」と話していた。
7月中旬に帰省した時、北京空港では出入国管理の職員がマスクをしていたのに対し、乗客でマスクをしている人は全く見かけなかった。それに比べ成田空港では、空港職員はマスクをしていなかったのに対して、乗客の一部の人たちがマスクをしていた。空港職員がマスクをしているかどうかは、多分それぞれの政府の方針を反映したものであり、一方、乗客がマスクをしているかどうかは、一般の人がどれだけ新型インフルエンザを心配しているかの表れではないだろうか。そこに日本と中国の対応の違いを感じた次第である。
北京:中村 治
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~“記念撮影一色”、中国の大学卒業式~
卒業式(6月24日)
中国の大学の卒業式シーズンは、暑さが厳しい6月下旬。教師が参加するかどうかは自由のようだが、どんな内容かを見たい気持ちもあって6月24日早朝8時半から始まる式典に参加。私のいる大学の今年の卒業生はおよそ2500人で、3回に分けて実施された。
国家斉唱から始まった式典は、大学の副学長や先生の代表による型通りの挨拶が続いたのだが、卒業生たちは話の区切りに拍手はするものの、内容はほとんど聞いておらず、もっぱら隣に座った友達とのお喋りや卒業記念に作られた印刷物などに神経は集中。つづいて中国的と言える、優秀な成績や体力の学生に贈られる「三好学生」や、開発の遅れている西部地区で働く卒業生に対する表彰状の授与が行われたが、そんな時、自分たちの学部の学生が登壇すると、拍手や奇声をあげるといったお祭り騒ぎの雰囲気であった。
お喋りに夢中の卒業生たち
日本語科からも一人、西部地区で働くことが決まったので、表彰状を受け取った男子学生がいる。彼の勤め先は雲南省テレビ局のディレクター。就職難の中、なかなか良い就職先だと思う。雲南省は地域的には、西部というより南部であるが、国が若者に参加を呼びかけている開発の遅れた地域に該当するとのこと。どんな優遇措置があるのかと聞いたところ、北京市教育委員会から1000元(日本円にすれば1万4000円程度)の一時金が出るだけとのことだが、栄誉であることは間違いない。
まずは壇上での記念撮影
そして、いよいよメインイベントとも言える卒業生が一人一人壇上に上がって、卒業証書を学長らから受け取るのだが、卒業生たちは、壇の下で待ち構えている家族や知り合いの即席カメラマンによる記念撮影を取ってもらおうと、卒業証書を手に何人かが一緒に並んで、何度かポーズ。そうなると壇上での卒業証書授与の流れが滞りがちになるので、式典の進行を手伝うチャイナドレスの女性が、記念写真を撮る卒業生の手を引っ張って壇上から降ろすのが、ひと苦労といった様子。
式典中にも記念撮影
中国式卒業式は、式典の終わり方にも現れている。卒業証書の授与が終わった学科から、各学部の建物の前で記念撮影をする行事もあり、証書を受け取った学生は次々と会場から出て行き、事実上の流れ解散。これは、中国での披露宴の時と同じだ。格式ばった日本とは違う陽気な中国の卒業式、卒業生たちは四角い帽子に黒のガウンの服を着て記念写真を撮りまくりながら、卒業式の気分を満喫している様子で、こんな卒業式も悪くないなと思う。
卒業証書がうちわ代わり
この日の北京は40度を超える暑さ。女子学生の中には、黒のガウンの下はショートパンツという学生もいたが、それでもガウンを着た格好で屋外で撮る記念撮影を待つ間は暑い。卒業証書や四角い黒の帽子が、うちわ代わりになってしまう。桜の咲く春の卒業式に慣れている日本人にとっては、やはり卒業式は春が良いと改めて強く感じた次第。
記念撮影は、学生主催の送別会でも続く。特に親友同士が普段から手をつないだり、行動をいつも共にしている女子学生は、いよいよ友達との別れの時が来たとあって、抱き合って別れを惜しんだり、中には女の子同士キスまでする学生も現れたりしてビックリさせられたが、そうした光景もカメラに収めている。
ところで世界的な金融不況もあって就職戦線は厳しかったようだ。日本語科の学生にも関わらず、大手の日系企業に就職が決まったという話しは今のところ聞かず、取りあえずは小さい会社でも良いので、勤め始めて仕事の実績を作り、その後、希望の会社が見つかれば転職したいと考えている学生もいるようだ。また元々は就職を希望していたものの、今年の就職は諦めて、大学院で学歴を積んでから就職をと方針を変更した学生もいるようだ。
北京:中村 治
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