チロルの醍碁味(6)

   < スキーリゾートの地 > 
 
イシュグルはスキーの町である。
 
北海道で言えばニセコのような町だ。
 
11月から4月までのシーズンの間は、スキー客で村の人口の数倍に膨れ上がるが、それ以外は閑散としている。
 
1イシュグルのホテル街.jpgホテルは、一冬で一年分を稼いでしまおうというデカンショ商売である。
 
最近は夏でもトレッキングや自転車を楽しむ人で賑わっているというが、その数は冬と比べれば比較にならない。(写真:イシュグルのホテル街)
 
ニセコでも通年観光をめざしてテニスコートやラフティング・乗馬などのアウトドア施設を整えたリゾート地を目指してる。
 
全山スキー場のイシュグルでは、ゴンドラやリフトが5月から6月と秋は運休するが夏は稼動しており、ガラガラのリフトの動力代も馬鹿にならないと思う。
 
ホテル代金は冬と比べて、格段にディスカウントされて、客が入ればありがたいという姿勢だ。
 
以前6月中旬に訪れたときは、ホテルは私たちの訪問にあわせて夏の営業を始め、象の鼻のように長いチロルの民族楽器・ホルンで私たちを歓迎してくれたことがあった。
 
7年ぶりに訪れたイシュグルではあるが、定宿のホテルも隣の教会も変わっていなかった。
 
ただホテルの増築が進んで、村全体が大きくなっている感じをうけた。
 
ヨーロッパでは結構人気のスキー場になっているようで、ドイツ・フランス・スイスあたりからの客が増えているいう。 
 
  < 日独囲碁合宿 >  
 
2囲碁合宿.jpg格安の時期を狙ったチロル囲碁の旅には、ドイツと日本からあわせて30人ほどが参加した。
 
7年ぶりに懐かしいドイツ人との再会を喜び合った。(写真左)
 
若き頃日本棋院で修行を積んだ実力6段氏から、半世紀前にヨーロッパチャンピオンになった古豪も毎回のことながら顔を見せた。
 
大半は低段ながらも囲碁を楽しむ青い目の紳士ばかりである。 
 
今回の旅でもっとも再会を楽しみにしていた人がいた。
 
3対決.jpgひげを生やして吊りズボンをはいていた大学教授風で、独特の雰囲気を持っていたEさんである。
 
(写真右:2002年7月)
 
物静かな人だが、一手打つたびに小型ゲーム機に打ち込んで棋譜を採るほど囲碁にのめりこみ、マイカーには日本語の「碁」という看板をつけて走り回っていた。
 
私がもっとも多く碁を打ったドイツ人で、当然のことながら今回もお手合わせできるものと思っていた。
 
ところが数年前に他界したと知らされ、声もでなかった。
 
私より年配ではあるが、それほど高齢でもないのに予想もしない事実を知らされて、7年の歳月を感じた。
 
私が後年ひげを生やしたのも、意識したわけではないが、Eさんの影響が全くなかったわけではない。 
 
  < 山小屋囲碁三昧 > 
 
4切磋琢磨.jpg私たちは日中は野山を歩きながら、ホテルや山小屋で碁を打った。(写真左)
 
とくにあちこちの景観のよい山小屋対局では、隣国から参加したドイツ人の車が私たちの足となり、分乗して遠くまでいけた。
 
そして最後に日独対抗戦も企画された。
 
総じて7年前と比べてドイツ人は強くなっていた。
 
彼らはじっくり考えるが序盤は甘い。
 
しかし中盤の勝負どころでは力を発揮する。
 
曖昧な手を打つと、きちんと弱点を攻めてくる。
 
また自分の石が弱いと、攻撃よりは先ず防御する。
 
どうなるかわからないが、行け行けどんどんといういう打ち方はしない。
 
実に理詰めで堅実である。 
 
 < 甘い日本の段位 > 
 
5日独対抗戦.jpg日本の段位とヨーロッパの段位の格差が言われて久しい。
 
私は日本では5段で打っているが、ヨーロッパでは3段で登録した。(写真:日独対抗戦)
 
ところがもう3段では勝てなくなってきた。
 
チロルの後、オランダで開かれたヨーロッパ囲碁コングレスにも転戦した。
 
ここでも3段の壁を感じた。
 
ヨーロッパ全体の棋力が上がってるのに対し、こちらは右肩下がり、とくに認知症気味なのか、ここ数年集中力が続かなくなった。
 
6中山プロ.jpg来年からは一つ落として参加しようと思った。 
 
チロル囲碁の旅を発案し、長い間囲碁愛好者の世話をしていた中山典久プロは、もくもくと参加者に指導碁を打っていた。
 
十年前も今日も変わらぬ作務衣姿だった。(写真左)
 
まだ引退はしていないが、今回は付添い人同伴で体調には相当気を使っているようだった。
 
寄る年波をはねのけ、いつまでも文筆と盤上で活躍してもらいたいものである。 
 
1週間、あっという間の懐かしのチロルの旅だった。(完)

札幌:望田武司

チロルの醍碁味(5)

~ 山越えでスイス入り ~ 
 
ヨーロッパアルプスはスイスとオーストリアを中心に東西に連なる大山脈である。
 
標高3000~4000級の山々が連なり、ヨーロッパの気候風土に大きな影響を与えている。
 
氷河によってえぐり取られたカールが山を一層厳しくしている。
 
一部は万年雪と化して氷河となっているが、最近は氷河の面積がどんどん小さくなっているという。
 
地球温暖化が顕著に表れている。
 
ヨーロッパの屋根越しにオーストリアからお隣のスイスに入った。 
 
 < ゴンドラ&リフト > 
 
チロルの旅で一番楽しみにしていたのが、山越えでのスイス入りである。
 
原色の高山植物が咲き乱れており、それを観察できると思うと、朝から子供のように浮き浮きする。 
 
山越えして隣国に入れるほどの十分な健脚です。と言えたら嬉しいのだが、実は足はほとんど使わない。
 
メタボな私でも、お年寄りの男女でも、誰でも山越えできる。
 
1アルペン地図.jpg2つのゴンドラと3つの長いリフトを乗り継いで、スイスに入る。
 
右の地図をごらん頂きたい。
 
イシュグルに迫る山々には、縦横無尽のリフトが張り巡らされている。
 
日本で最も広いスキー場のニセコの数十倍はあろうか。
 
さすがアルペン王国、オーストリアである。 
 
海抜1370mのイシュグルから、20人は乗れるゴンドラで20分、一気に1000m上がって、2302mの中継点につく。
 
視界が開け、雪を頂くアルプスの稜線がくっきり見える。
 
ヨーロッパアルプスに来たなと実感する。
 
2自転車旅.jpgここで元気のいい一団と会う。
 
バイクで山越えしようとする地元の若者たちである。
 
バイクといっても日本で言う自転車だが、タイヤは少し太い。
 
このバイクで山道を上り下りして、スイスに向かおうというグループである。(写真左)
 
ヨーロッパではツール・ド・フランスに代表されるように、自転車は大変盛んで、自転車で野山を走り回るのが日常のレクレーションだそうだ。
 
ブレーキが効かなくなったらどうなるのか。斜面に車輪を取られたらどうなるのかと思うとぞっとするが、そのスリルもレクレーションのうちだそうで、若者は列を成して山道を下っていった。 
 
 < 国境に立つ > 
 
私たちはゴンドラから4人乗りのリフトに乗り継ぎ、オーストリアとスイスの国境に向かう。
 
眼下の斜面には雪渓が残っているところもあれば、お花畑になっているところもある。
 
森林限界は最初のゴンドラですでに越えている。
 
3アルペンの国境.jpg次第に高くなるとむき出しの岩肌が多くなる。
 
最初のリフトを降りたところが国境である。
 
標高2752mの峠である
 
両国の国旗が描かれた看板をバックに、早速写真におさまった。(写真右)
 
これまでにも当地を訪れているが、今回がもっとも天候に恵まれた。
 
眺望は最高である。
 
たださすがに風は冷たい。
 
麓のイシュグルは25℃はあったが、ここでは10℃くらいだろうか。
 
ここから少し歩いて高山植物を観察できるかな、と胸を膨らませた。
 
5ケーブル.jpgところが、数日前の雪はすでに溶けたとはいえ、一部でぬかるんでおり、下りは滑る恐れがあると言う地元の案内人の説明で、歩くのは断念した。
  
< アルプスのマスコット > 
 
再びリフトに乗ってスイス国境の村に向かう。(写真左)
 
今度は6人の大型リフトだ。
 
こんな山奥でも6人乗りのリフトである。冬の賑わいが目に浮かぶ。
 
リフトと地面の距離は7~8mはあるだろうか。 
 
小さな高山植物をひとつひとつ確認できる距離ではない。
 
単にお花畑の上をリフトで移動して下っていくだけだ。 
 
6マーモット.jpgこれもやむを得ないとおもったら、足元の草地に動くものが見えた。
 
マーモットだ。(写真左)
 
アルプスに棲息する、大型のネズミといったらいいのか、リスのようでもあるかわいい動物だ。
 
図鑑で調べると、ネズミ目リス科マーモット属だという。
 
足元にはマーモットのねぐらの穴がいくつも見られるが、臆病でめったに外には出ないらしい。 
 
7アルプスの小村.jpg私たちはさらにリフトとゴンドラを乗り継いでおよそ2時間、オーストリア国境に接するスイスの小さな村に着いた。(写真左) 
 
みやげ物店がずらりと並んでいる。
 
オーストリアでは消費税が20%であるのに対し、スイスは無税だそうだ。
 
平たく言うなら空港の免税店で品物を買うようなものだ。
 
チョコレートをリュック一杯買ってオーストリアで売ると、儲けが出るという話もまんざら嘘でもないらしい。 
 
 < ヨーロッパカラマツ > 
 
山越えでスイスの麓に入って、めったに見れない原産地の樹木を見ることができた。
 
アルプスの麓を覆っている木々は針葉樹が多く、それもドイツトウヒ(ヨーロッパトウヒ)とヨーロッパアカマツが大半である。
 
ドイツトウヒは明治時代に日本に持ち込まれ、枝の葉が振袖のように広いことから、防雪林として、北海道の鉄道沿いに広く植林された。
 
スイスの麓では、最後のゴンドラから眼下を眺めると、葉が密集したこれまでのヨーロッパトウヒなどとは違った樹種が、全山覆っているのに気づいた。(写真上)
 
8カラマツの実.jpgヨーロッパカラマツだ。
 
初めて遭遇した。 
 
カラマツはマツ科には珍しい落葉樹である。
 
もともと北海道には自生していなかったが成長が早く、やせ地にも生えることから長野県から導入され、いまや北海道の多くの山にカラマツ林が見られる。
 
この仲間のヨーロッパカラマツも、明治時代に持ち込まれたが、大量に導入したという形跡は見られない。
 
樹高が日本のカラマツより高く、葉も球果も大きい。(写真右上) 
 
9ヨーロッパカラマツ.jpg数年前、日高静内の旧皇室御料牧場で、日本のカラマツとは違うカラマツを観察した。(写真左:6年5月) 
 
それがヨーロッパカラマツと知らされ、天を突くような堂々とした樹形が、妙に印象に残っている。 
 
  からまつの林を過ぎて からまつをしみじみと見き
 
  からまつは淋しかりけり 旅ゆくはさびしかりけり
 
 
北原白秋の詩で、すっかり淋しさの代名詞になったカラマツではあるが、
 
春の若葉、夏の青葉、秋の黄葉と針葉樹には珍しい表情を季節ごとにみせるカラマツにファンは多い。
 
スイスの山のヨーロッパカラマツが全山黄葉したときは、どんなに見事なものかと想像するだけで楽しくなった。 
 
 < 動く広告塔 > 
 
昭和47年、日本で初めての冬季オリンピックが札幌で開催された。
 
札幌オリンピックでは、オリンピック史上、歴史に残る大事件が起きた。
 
私は当時札幌には住んでいなかったが、たまたまオリンピックのアルペン競技の仕事をする機会を持った。
 
スキー競技の花は何といってもダウンヒル・滑降である。
 
トニー・ザイラー以来のスーパーヒーローといわれた優勝候補ナンバーワンのカール・シュランツ(オーストリア)が、競技直前に突然帰国してしまった。
 
当時のアマチュア規定は厳しく、スキーの商標問題は時代の波に大きく揺れながらも厳しく規制されていた。
 
シュランツはすでにスキーウエアでも前科があったが、札幌オリンピックのとき、オーストリアのスキーメーカーの広告をさらしたとして、アマチュア精神の信奉者であった当時のブランデージIOC会長の逆鱗に触れた。
 
カール・シュランツは「動く広告塔」というレッテルを貼られて追放処分を受けた。 
 
10恵庭岳.jpg札幌オリンピックの滑降コースは、当初予定した富良野では距離が短いうえ緩斜面だ、もっと厳し 
いコースを作るようFIS(国際スキー連盟)から求められた。
 
日本政府は支笏洞爺国立公園のど真ん中の恵庭岳に原生林を伐採して、支笏湖に飛び込むような滑降コースを作った。(写真右やや下が恵庭岳)
 
自然保護団体の猛烈な反対を受けたが、政府は五輪を成功させるため、五輪終了後は復元する 
ことを約束してつくった一回きりの滑降コースだ。
 
いわば、金メダル最有力の世界最速男・カール・シュランツの晴れ舞台のために作られたコースだったともいえる。
 
しかし シュランツは競技開始前の練習に一度滑っただけで姿を消し、秘かに新千歳空港から出国した。 
 
ジャンプを含めスキー競技の優勝者がインタビューを受ける際、選手は両肩にスキーの板を立ててインタビューに臨んでいる姿をテレビでよくみる。
 
一見自然に見えるこの姿は、スキーメーカーの商標を映してもらう格好の舞台でもあった。
 
スキーの提供を受けている選手は意識して板を肩にたてており、スキー競技の優勝者が「動く広告塔」といわれる由縁ともなった。 
 
私はオリンピックの仕事をするまで、スキー競技は日本ではメジャーなスポーツではないと思っていた。 
 
10イシュグル山.jpgところがヨーロッパではスキーが一番のスポーツで、その優勝者は国民的英雄になる。
 
日本で言えばひと昔前では大鵬と長島を合わせたもの、今流ならイチロウと石川遼を合わせたヒーローともいえる存在となる。 
 
アルペンのスーパースター、トニー・ザイラーはイシュグルと谷一つ隔てたキッツビューエル出身であり、カール・シュランツもチロル出身である。(写真左:全山スキー場となる夏のイシュグル周辺の山々) 
 
 < アルプスのシンデレラ誕生 > 
 
カール・シュランツの暗くて重い事件を払いのけるような大番狂わせが、女子滑降でおきた。
 
当時常勝でアルペンの女王といわれたオーストリアの金髪娘アンネマリ・プレルより早く山をすべり降りてきた無名の新人がいた。
 
その名はマリテレーゼ・ナディヒ。
 
頬がリンゴのように赤い18歳のスイスの田舎娘だった。
 
これまで一度もコースが荒れないときに滑れる上位シードに入ったことがなく、札幌が初めてのシードだった。
 
ナディヒは滑降の他に大回転も制し、史上初の三冠王になるかと騒がれたが、緊張したのか回転ではコースアウトになってしまった。
 
彗星のように現れ、一躍ヒロインになったナディヒの優勝インタビューには驚いた。
 
どこから現れたのか、ものすごい数の外国人プレスが群がった。
 
ナデヒの周りには人で膨れ上がり、ヨーロッパのスキー人気のすごさを知らされた。
 
さらに驚いたことに、このインタビューを仕切ったのがひげ面のおじさんで、ここでは日本の大新聞社も記者クラブも関係なかった。
 
業界のボスらしき男が当然の顔をして代表インタビューを始めた。
 
改めてヨーロッパではスキーがメジャーなスポーツであり、新聞の一面頭を飾ると知らされ、層の厚さを知った。
 
そのナディヒも、オーストリア国境に近いスイスの片田舎の出身だった。
 
初めて脚光を浴びたシンデレラ娘は、日本で言えば津軽弁のような方言しか話せず、彼女の発言をまずドイツ語で通訳し、それを英語に訳した後、ようやく日本語となって彼女の優勝の喜びを知ることができた。 
 
37年前の出来事が昨日ように思われるほど強烈な印象をうけた。
 
当時関わった選手の名前はいまでもすらすら出てくる。
 
当時のスーパースターが誕生した当地に立っていると思うと感慨もひとしおだ。
 
そのナディヒはいまどうしているかと地元の人に聞くと、コーチを務めた後スキーショップを経営しているという。
 
またナディヒが金メダルを取った恵庭岳は植林されたが、森の深さが周囲と違って37年経ってもいまだにコース跡が遠目でもわかる。
 
30年以上も経てなお残る伐採の跡は、自然再生の難しさを物語っている。 
 
11アルプスの牧場.jpgアルペンとはアルプスのことである。
 
アルペンスキーは、山岳地帯に住む木こりや羊飼いの生活の手段として生まれた。
 
そのアルペン競技誕生の原点の地に立ち、張り巡らされたリフトやゴンドラを目の当たりにした。
 
生活の道具であったスキーがレジャーに、そしてスポーツに発展し、数々のスーパースターを生んだ土壌と空気がそこにあった。
 
冬には広々としたゲレンデとなるアルプスの山麓は、夏には残雪の中で羊や牛が放牧され、のどかな景観となっていた。 (つづく)

札幌:望田武司

チロルの醍碁味(4)~アルプス三大名花~

  < アルペンロ-ゼ > 
 
アルプス三大名花といわれている花がある。
 
この時期チロルでお目にかかることができるだろうか、とても関心を持って野山を歩いた。
 
海抜1800~2000mの野山を歩くと岩肌を覆うように低木の木があり、赤い花が咲いていた。
 
1アルペンローゼ.jpgツツジの仲間だなと思った。(写真右)
 
すると同行のドイツ人がこれがアルペンローゼだという。
 
えっ これが? 
 
アルペンローゼはバラの仲間でなく、ツツジ科だった。
 
花が漏斗状で、シャクナゲか、オレンジ色のレンゲツツジが赤い色をしているようだ。
 
黄色系の花が多い中で、赤いアルペンローゼは燦然と輝き目立つ。
 
アルペンローゼがアルプスの花の女王といわれる所以だろうか。
 
一度見つけると、結構あちこちにある。
 
つぼみも多くこれからがシーズンだ。 
 
  < エンチアン > 
 
花園の中で小さくとも目立つ花が青のエンチアンである。 
 
2エンチアン.jpgフランス語でゲンティアナともよばれ、リンドウ科の仲間である。
 
この青さ、碧さはなんと表現したらいいだろうか。北海道ではなかなか見られない花の色だ。
 
むしろ積丹ブルーと言われている積丹半島の海の色のようだ。
 
アルプス三大名花の中で最も美しい。
 
こんな美しい花が、地面に這うように咲いていた。(写真左)
 
誰しもが足を止めて見入る花だ。 
 
   < エーデルワイス > 
 
エーデルワイスはヒトデのような花の回りに白い綿毛を被ったように見える。
 
3エーデルワイズ.jpg花としてはどちらかというと地味である。(写真右:ホテル前花壇)
 
それなのに知名度が抜群なのは、やはりサウンド・オフ・ミュージックのクライマックスに歌われたエーデルワイスによるところが大きいのだろう。
 
このメロディーを聴くと、エーデルワイスが空気の澄んだ
 
人を寄せ付けない岩場に咲く、アルピニスト憧れの花になってしまうのが面白い。
 
地味なエーデルワイスをそのように転化させるほど、魅力的・感動的な挿入歌ということだろうか。
 
花言葉も 気高く毅然とした勇気、純潔と不死 永遠の愛など最高級の言葉の連続だ。 
 
これほど人気のあるエーデルワイスが自生しているのを見つけるのは、とても難しい。
 
4群生花.jpg7年前のチロルではホテルの花壇に、一昨年イタリア国境に近いオーストリアを訪れたときは教会の墓地と、高原の野草園でひっそり咲いているのを観察した。
 
ことしは何とか自生のエーデルワイスが観察できないものか期待して歩いた。
 
山小屋の小さな崖にエーデルワイスが群生していた。(写真左)
 
しかし自生とは思えない。
 
野花が好きな山小屋の女主人が植えて増やしたものだろう。
 
見事なエーデルワイスだった。 
 
5レブンウスユキソウ.jpgエーデルワイスに似たような花が日本でもある。
 
北海道礼文島に自生している「レブンウスユキソウ」(写真右:6年7月)
 
北海道の大平山に生えている「オオヒラウスユキソウ」、それに岩手県早池峰山の「ハヤチネウスユキソウ」である。
 
いずれも絶滅危惧種として手厚い保護を受けている。 
 
エーデルワイスはスイスの国の花「国花」であり、男性が女性に求婚するときに贈る花ともいわれている。
 
求婚のときよくバラの花を贈るというが、赤いバラの激しい愛情より、白くてクールなエーデルワイスの永遠の愛のほうがスイス人の心を掴むのだろうか。 
 
チロルの野山には、他にもたくさんアルプスの花が咲いていた。
 
現地で購入した植物図鑑と照らし合わせる作業も楽しいが、そう簡単には特定できないものが多い。 
 
 < チロルに眠る >   
 
ホテルの山小屋の一角に墓石が立っていた。 
 
6アルプスの墓.jpg中山典之先生のチロル囲碁の旅に、毎年のように夫婦で参加していた
 
福岡屈指の打ち手・Nさんのお墓である。(写真左)
 
Nさんの遺言で、奥さんが分骨したものだ。
 
7年ぶりにチロルで奥さんに会えるのを楽しみにしていたが、墓石に夫とにこやかに微笑んでいる奥さんの写真があるのを見てびっくりした。
 
奥さんも数年前に他界し、分骨して夫とともにチロルに眠っていた。
 
時の流れを感じた。 
 
    冥府の圍碁は おもしろや 下手と見ゆれど すてきなむ
 
    智慧ねる閣魔 笑ひける 余に嘘をつく 阿呆ぬかせ
 
 
7いろは歌.jpg国文学者故宇野精一博士が称賛した文士・中山典之6段のお得意の「いろは歌」が捧げられていた。
 
墓の前で今回の旅の主催者である名古屋の住職が読経をはじめた。
 
参加者は静かに手を合わせた。 
 
墓の側に自生のルピナスが大きく天に上るように咲いていた。
 
日本で見られるピンクや黄・白といった園芸のルピナスではなく、野生の濃紺ルピナスだった。(つづく)

札幌:望田武司

チロルの醍碁味(3)

  <教会に寄り添う山あいの村 >

オーストリアはカトリックの国である。
 
どんな小さな集落でも教会は必ずある。
 
大都市では余り感じないが、小さな集落を訪ねると村人は教会とともに生活しているということがよくわかる。
 
つまり集落は教会を中心に作り上げられている。
 
おそらく教会の一番近いところにある建物は集落の実力者が居を構えているのだろう。
 
私たちがお世話になったイシュグルのホテルは教会のすぐ近くにあり、旧ハプスブルグ家ともご縁のある古くからのホテルのようだ。 
 
 < チロルの民族衣装 > 
 
週末の日曜日、教会のミサに集まった信者によって、村を練り歩く行事が始まった。
 
1楽隊.jpg教会の旗を先頭に、チロルの民族衣装に身を包んだ老若男女が、音楽隊の先導で町を練り歩いた。
 
森の町にふさわしく斧を持つ木こりから、鉄砲を持ったハンター、山火事を消す消防夫などが続いた。
 
女性はかわいい前掛けをしている。
 
先頭の神父が聖書を読み、後に続くコーラスグループが賛美歌を歌った。
 
夜には教会でコンサートも開かれた。
 
教会は単なる宗教施設でなく、結婚式や文化施設にもなっている。
 
人生の終焉のときしか、宗教との関わりのない者にとって、日常の中に宗教がある生活をみると、異国情緒を強く感じる。
 
(写真右:背後が教会、右手階段上が投宿ホテル) 
 
イシュグル村ではどこにいっても、家々のベランダや垣根に花が飾られている。
 
花のある生活は人間の気持ちを豊かにする。
 
チロルの人たちの長年の生活の知恵なのだろう。 
 
 < 雪崩のきず跡 > 
 
アルプスの深い谷あいに位置するチロル地方は、絶えず雪崩の危険に晒されている。
 
山のあちこちに縦に森林が削り取られているのを簡単に見ることができる。
 
雪崩の跡だ。
 
2なだれ柵.jpg山に雪が降った翌日、山肌に幾何学的な模様ができているのに気づいた。
 
山の中腹から頂上にかけて幾重にも雪崩防止柵が設置されていた。(写真右)
 
その数無数。
 
北海道でも見たことがない大掛かりな雪崩防止柵だ。
 
夏なのでうっすらと積もった雪は一日にして溶ける。
 
翌日頂上を見上げると、もう雪崩防止柵はよく見えない。
 
山肌の緑に同化して低木の木のように見え、目を凝らさない限り柵だとは気づかない。 
 
ちょうど10年前の1999年の2月、スキー客で賑わうこの地域に大雪崩が発生した。
 
死者行方不明30名を越す大惨事となった。
 
それだけではない。
 
雪崩で道路が封鎖されて集落はあちこちで孤立し、数千人のスキー客が閉じ込められた。
 
この緊急事態にドイツ軍とアメリカ軍のヘリコプターが総動員され、スキー客と住民を次々に吊り上げて救出した。
 
この模様は日本の衛星放送でも放送され、土地勘があっただけに食い入るようにニュースを見たことを覚えている。 
 
3なだれ跡.jpg今回その現場跡を通った。(写真左)
 
いく筋もの雪崩跡がみえる。
 
山肌には草が生え、大惨事があったとは思えないスロープが続いていた。
 
林の間を抜けるスキーの林間コースのようにも見えた。
 
ただ所々に石をコンクリートで固めた石塁が、住宅の背後に作られていた。
 
象徴的な石塁を見つけた。(写真下)
 
山小屋にいったとき、山小屋の背後に鋭角的な石塁があった。 
 
4石塁.jpg雪崩が押し寄せても、左右に振り分けて勢いを弱め、石塁で保護されている谷あいの山小屋が、押しつぶされないように工夫されていた。
 
雪崩常襲地帯の生活の知恵といえようか。 
 
ロープが垂れ下がっているヘリコプターが、山の上を旋回していた。
 
建設資材でも山に挙げてるのかと思って、地元の人に聞いてみた。
 
山に石灰をまいて、雪崩跡の木の根つきを促しているのだという。
 
雪崩の恐怖を常に感じつつ、森とともに生きている村だと実感した。 
 
 < トムラウシ大量遭難 > 
 
日本を発ってすぐ大雪山系トムラウシで大量遭難があったということを、インターネットで知った。
 
なくなった方にはお気の毒だが、かねてから本州の熟年神風登山客は北海道の山を甘く見ている、いずれこういう事故が起きると思っていた。
 
北海道は海抜1500mでもう森林限界に達する。
 
気象条件は厳しく、ハイマツはこれ以上生えない。
 
本州の2500mに相当する。 
 
5トムラウシ山.jpg今回のトムラウシは2000mちょっとあるので、本州の3000mクラスだ。
 
こうした山を65歳前後の男女が相当きつい日程で山に入っている。
 
左の写真は昨年9月、麓の美瑛が丘から撮影したトムラウシ山である。
 
左に旭岳、右に美瑛富士・十勝岳とつづくが、余りに広いため一枚の写真には収まりきれない。
 
今回は北海道最高峰の旭岳(2291m)からトムラウシ、美瑛岳へと縦走する計画だったようだ。 
 
北海道の2000m級の山の縦走を、奥多摩よりちょっと高い山の縦走程度と見ていたのではないか。 
 
6旭岳.jpg7月、旭岳をハイヒールで登っている女性を見たことがある。
 
天気がよければ何でもいいだろう。
 
けど山の天気は変わりやすい、雨でも降ったらどうするのかと思ったものだ。
 
写真:十勝岳望岳台から旭岳山頂を望む(8.9.30) 
 
トムラウシは大雪山系のもっとも奥まった部分だ。
 
明治の文豪で、こよなく山と酒を愛した大町桂月が遺した名言がある。 
 
   富士山を登らずして山の高さを語るなかれ、
 
   大雪山を登らずして山の大きさを語るなかれ、 
 
桂月がこう喝破したほど大雪山系は広くて大きい。
 
大雪山という山はない。
 
阿蘇山と同じく、いくつかの山の集合体である。
 
この広い大雪山系を熟年パーテイが縦走するなんて、私に言わせると無謀で、お気の毒だが少しも同情はわかない。
 
私など怖くていけないところである。
 
行けばすばらしい高山植物の花園であろう。
 
その一方でどう猛なヒグマの棲息地でもある。
 
トムラウシはベテランの山岳会や、大学山岳部の連中が登る山だ。
 
ガイドにも問題はあったかもしれない。
 
利益優先の旅行会社に、自らの命を預けるような山登りはするなと言いたい。
 
自分で天気図が読めない人が行く山ではない。
 
遭難者の死因は凍死だという。
 
氷点下が当たり前の大雪山系で、氷点下でもないのに凍死とはいかに安易な装備であったことか。
 
氷雨を全身に受け、世の非情を嘆いてももう遅い。 
 
7アルプスのカール.jpg執筆当時、ヨーロッパに滞在中だった筆者にはインターネットでしか事故の概要は分からなかった。
 
新聞の論調が気になったが、いつも心配していたことが起きたという感じだった。
 
それにしても、最近日本100名山めぐりと称しての神風登山は目に余る。 
 
氷河の浸食作用によってできたヨーロッパアルプスのカール(写真左上)を目の前にみながら、トムラウシ遭難事故は熟年登山者に 大きな警鐘となったことだろうと思った。     (つづく)

札幌:望田武司

チロルの醍碁味(2)

イシュグルは標高1377mのところにある。
 
天気予報によると首都ウイーンやザウツブルグが30度を越す猛暑になってるのに比べ、高原の風が吹いている。
 
到着前日は雨で、山は雪になったらしい。
 
晴れた翌日、山々の雪の白さに目を見張った。 
 
 < 山小屋の食事 > 
 
私たちは囲碁漬けの一日を過ごしているというわけでもない。
 
むしろ、日中は野山歩きが中心である。
 
1食事.jpg陸路現地に入ったドイツ人の車に分乗し、山小屋に向かった。
 
山あいにあるイシュグルは全山スキー場と言ってもいいくらいで、ホテルでは避難用として山小屋を持っている。
 
山小屋といっても、炊事はできるし冷蔵庫もあり、バーベキューができる。
 
まだ雪残るアルプスの山々を見ながら、食べる食事は格段においしい。 
 
食事のあとは、碁を打つもの、トレッキングに出かけるもの好き好きだ。
 
私はもちろんトレッキングに参加した。
 
囲碁キチだった私も、最近は宗旨がかわってしまった。
 
碁に対する執着心がなくなり、負けても少しも腹がたたなくなった。
 
むしろ勝った相手が喜ぶのを見て、良いことをしたとも思うようになった。
 
代わって他のことに執着心をもつようになり、今回の旅にアルプスの植物など6冊の図鑑を持っていった。
 
家内はスーツケースが重たくて、他のものが入らないと文句を言った。
 
私が担ぐリュックサックやバッグに分散して、目立たないように持っていった。 
 
   < 野山歩き > 
 
2お花畑.jpgトレッキングは標高1500~2000mくらいのところを毎日3~4時間歩く。
 
これまで元気に歩いていた中山先生は、さすがに今回の滞在期間中一度も歩かなかった。
 
他の参加者にもトレッキングを敬遠する人が見られた。
 
7年ぶりにお会いした人たちもそれぞれ高齢に達し、自らの体力と相談した結果なのだろう。
 
緩やかな上りの左右は一面のお花畑である。 
 
3コウリンタンポポ.jpgアルプス特有の花が咲いていて、すぐには名前はわからない。
 
その中で、紅いコウリンタンポポ・黄色のリュウキンカ・緑のバイケイソウ・白いセリ科の植物など、北海道の山野におなじみの花が観察されると、なんとなく嬉しくなってしまう。
 
同行のご婦人は年齢を忘れて、お花畑にしゃがみアルプスのハイジの気分に浸っている。 
 
  < アルプスの風にのる臭い > 
 
4牛.jpgからんころん からんころん
 
ときどき澄んだ音が聞えてきた。
 
放牧されている牛の首につけられた鈴の音である。
 
黙々と自然の草を食んでいる牛を見ると、この辺の牛は絶対BSE(狂牛病=牛海綿状脳症)にはかからないと思った。 
 
ヨーロッパアルプスというとスイスをすぐ連想する。
 
スイスの景観も素晴らしいが、大勢の観光客ですでに俗化されている。
 
それに比べるとオーストリア側は鄙びて田舎くさい。
 
自然豊かなアルプスの懐を歩いているんだなあという気持ちになる。
 
風に乗って牛糞の臭いがぷ~んとしてきた。
 
この地にふさわしいやわらかな臭いだった。 
 
 < 大河の源流 > 
 
山から雪解けの清水が流れ落ちている。
 
5川の看板.jpg水は道路に接するところで左右に分かれて、流れ下っている。
 
そこに、一本の標識が立っていた。
 
右に流れてドナウ川、左に流れてライン川と記されていた。
 
ヨーロッパの大河の源流だ
 
ドナウ川はドイツ・ハンガリー・ルーマニアなどの東欧諸国を流れて黒海に注ぐ2860km、ヨーロッパ第2の大河である。
 
ライン川はスイス・フランス・ドイツ・オランダから大西洋に流れる1320km、日本一の信濃川の4倍近い大河だ。
 
ただ、公式にはそれぞれの大河の源流は別のところらしい。
 
けど此の辺の山から流れ落ちて左右に分かれる水は合流せず、それぞれドナウ川とライン川の支流に流れていくという。 
 
6中山先生.jpg面白いことに気づいた。
 
標識が7年前と違う。
 
7年前は木でできており、ドナウ川とライン川の方向をそれぞれ指差していた。
 
(写真:2002年7月、中山先生と私)
 
ところが今回見たのは長方形の鉄板だった。
 
7年前の木の標識は朽ちてしまったのか、それとも観光客が記念に失敬したのだろうか。
 
趣のある標識だっただけに、鉄板の標識が実に味気ない。 
 
「望田さん 奥さんと一緒にどうぞ」
 
同行者にすすめられて、生き別れの記念にと家内と一緒に記念写真を撮ってもらった。
 
恥ずかしくてお見せできるものではない。 
 
清水に手をいれると、手が切れるくらい冷たい。
 
飲んで見ようと思ったが、牛糞とともにある清水だと思って止めた。
 
青い空に白い雪の麓に広がるお花畑は、足の疲れを忘れさせてくれる。
 
紫外線が強く半袖からでた両腕は、お風呂に入ったとき真赤になっているのに気づいた。(つづく)

札幌:望田武司

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