日本Webリポート&ニュース
「なりたくてなった人はいない」 ホームレス支援NPOが講演
9月19日(水)午後6時半より総評会館(東京都千代田区)で「『いのちを見つめる』~ホームレスの人たちとのふれあいを通じて生きなおすことを考える~」と題し、講演会が開催されました。講師は、稲葉剛さん(NPO法人・自立生活サポートセンター『もやい』代表理事)と角田妙子さん(グループホーム『ふうせん』代表)。主催は、財団法人・大竹財団。
稲葉剛さんは、仲間とともに野宿生活者の自立支援を目的とした自立生活サポートセンター『もやい』を立ち上げ、「ホームレス」状態におかれている人たちがアパートに入居する際の連帯保証人を提供するシステムをつくるなどの支援活動を行っています。また、角田妙子さんは、山谷地区の炊き出しに参加し、路上で生活をするホームレスの女性との出会いをキッカケに、ホームレスを経験したことのある女性たちと一緒に暮らすグループホーム『ふうせん』を立ち上げました。
●稲葉剛さんのお話
路上で人が亡くなっていることにショックを受けた
私は広島出身で親が被爆した被爆2世です。子どものころから原爆の話を聞いて育ち、学生時代から平和運動をしてきました。私が学生のとき、新宿西口から都庁に向かう地下道路に段ボールハウスがありました。その段ボールハウスを撤去することになったのですが、行政による強制排除のやり方があまりにひどいので、仲間と一緒に反対運動をしたのが、この活動にかかわるようになったキッカケです。
ショックだったのは、路上で人が亡くなっていたことです。ちょうど湾岸戦争が始まっていて、海外のほうに目がいっていたのですが、国内に目を向けると路上で人が亡くなる社会であったことにショックを受けました。路上に出ている人を見ると、この社会で排除されている人たちであることがわかります。男性が圧倒的に多く、50代~60代前半の人が多い。65歳以上の高齢者や障害者の人たちは福祉の枠組みで保護されていますが、それに当てはまらない人は排除される。排除された人が路上に出ている。
福祉はなんのためにあるのか
世の中で福祉を始めた人は、路上で人が亡くなるのをなんとかしようとことで始めたはずなのに、専門化され、制度化され、細分化されることでこぼれ落ちていく人がいる。こぼれ落ちていくものに目をかけたいという思いがありました。新宿を拠点に94年から仲間と一緒に活動を始めました。強制排除反対や、毎週日曜日午後6時より中央公園ポケットパーク(新宿駅西口徒歩15分)での炊き出しや、その後、午後7時から新宿地域でのパトロールをやっています。
講師の稲葉剛さん
01年から『もやい』という団体をつくって、野宿から抜け出そうとする人たちの生活の相談や、アパートに入居するときの保証人になっています。これまで1,200人の保証人を引き受けました。野宿だけでなく、ネットカフェ難民と言われている人たちなど、広い意味でのホームレス状態の人を対象にしています。『もやい』では、自立して生活できる障害者の人やDV被害者の人の保証人にもなっています。
失業、リストラ、倒産、病気、多重債務など、野宿に陥る理由は様々です。いったんそういう状態になると、野宿から這い上がるのは大変難しい。だれも好き好んで野宿をする人はいません。よく、なぜ働かないのかという人がいますが、実際はみんな働いています。古新聞や空き缶を集めている。しかし、月収が3万円ぐらいなので、アパートを借りることができない。
住所がないということは市民権を失うこと
正規の仕事につくのが難しい。まず、住所が無い。保証人もいない。携帯電話もない。身だしなみを整えることが難しい。住所がないということは市民権を失うことだという人もいます。労働市場や行政サービスから排除されている。段ボールハウスで暮らしている人を強制排除することは、厳しい状況の中でなんとか生活レベルを向上させようとしている人たちの努力を無視し、尊厳を粉々にする。それが一番の問題。
94年と96年に強制排除されました。強制撤去に反対した人が逮捕され、無罪になりました。裁判所は、段ボールハウスを勝手に排除してよいものではない、との判断を下しました。裁判の結果を受け、東京都の姿勢が変わりました。排除ではなく、野宿から抜け出すためにはどうすればいいのか、その方向に話がいくようになりました。
経済的貧困と人間関係貧困
いろいろ課題はありますが、自立支援センターに入り、生活保護を受け、生活訓練をしてからアパートに入るという取り組みができました。しかし、保証人がいないとアパートに入れません。貧困問題は2つの貧困があります。経済的貧困と人間関係貧困です。保証人がいない人が野宿になるとも言えます。構造的な問題であり、行政に相談したところ、私的な契約だという理由で逃げられました。それで、民間がやることになりました。
高齢者が多く、アパートに入っても孤独な状態になる人が多い。話し相手がいないからです。最初は一軒一軒訪問していたのですが、とても回りきれないので、飯田橋に一軒家を借りて「サロン・ド・カフェこもれび」を開設しました。毎週土曜日そこにきてもらって交流を深めてもらう。珈琲100円。ランチ300円。野宿を体験した人がスタッフになっています。
互助会のメンバーが中心になって、東ティモールを支援しているNGOと連携し、東ティモール産の豆を購入して焙煎して売る事業をしています。1年間かけ、焙煎の技術を習得しました。
『もやい』の活動で大切にしていること
ネットカフェの若者たちからも相談を受けるようになりました。『もやい』が大事にしていることがあります。それは、「自己完結型ではない、ネットワーク型の活動」「抱え込まない、突き放さない、支援のあり方」「困ったときにSOSを出せる関係作り(当事者にも、外部にも)」「顔と名前が見える関係を大切にする」「問題を『社会に返す』ためのネットワークと当時者が本来持っている力を発揮できる場を作ること」などです。
困ったら助けを呼んでくださいと言っています。自立は1人でなんでもやることではなく、支えあうことだと思います。困ったときは『もやい』でもだれにでもいいから相談してください、と呼びかけています。友人と2人で『もやい』を立ち上げたとき、私たちも「助けてください」とあちこちに言いました。朝日新聞の「天声人語」が取り上げてくれ、全国から数百万円の寄付がありました。それを元手にして活動を始めました。
保証人の責任は重い。事故もありました。アパートに入ると借金取りがきたという相談がありました。弁護士や司法書士のネットワークをつくりました。いろんな問題が起こる。自分たちが困ったとき、ネットワークをつくって助けを求める「反貧困ネットワーク」ができました。具体的な人の相談を通して顔がつながってできたネットワークです。社会の問題だから社会に返していく。いろんなところとつながって活動をしていきたいと思っています。
●角田妙子さんのお話
差別的感情をもっていることが耐えられなかった 29歳のとき、体を壊して1年近く仕事を休みました。退院するとき、医者から「あと10年(の命)」と言われました。カウントダウンをしてから、4、5年経ったとき、池袋の地下通路にいるホームレスの人たちを見ました。異臭が漂っていました。その人たちも生きていて、自分も生きている。そのことが引っかかっていました。(その人たちが)怖いというのは差別につながる、と自分で感じていました。
それまで福祉の仕事をしていたので、障害者の人たちと差別とたたかってきました。自分も体を壊し、余命10年と言われた。1日1日が短くなっていくのが怖かった。明日の朝起きることができるのかという恐怖心。その自分が差別的感情をもっていることが耐えられませんでした。
20年前、山谷に通い始めたときは、最初膝がガクガクするほど怖かった。炊き出しをして帰るときは、もうもたないと思いました。それなのに気になってまた出かけ、炊き出しを続けました。
炊き出しを始めて3、4年経ったとき、「あと10年」と言った医者に誤診だったと言われました。誤診だったと知って嬉しかった。ただ、3つの病院で同じことを言われたので、誤診というより、体に免疫がついたか、生に対する執着が病気を治したと、自分では思っています。
1人暮らしなので、いつも朝起きるときカーテンを開けて、お日さまに「お早う」というのが日課でした。でも、「あと10年」と言われてからはカーテンを開けることができませんでした。お日さまを見ると命が縮まっていくような気がしたからです。誤診だったことがわかってから、またカーテンを開けてお日さまに「お早う」と言うようになりました。
帰るところがある自分に違和感があった
炊き出しに行って帰るとき、帰るところがある自分に違和感がありました。山谷で炊き出しをやっていたとき、本名を教えてくれた女性がいました。その人といろんな話をしました。彼女は正義感が強く、自分のことでなくほかの人のために行動を起こしたことで上司から睨まれ、不幸な目に遭った人でした。出会ってから2ヵ月後にガンで亡くなりました。
女性のホームレスは結婚経験のある人が多く、自分の生き方を否定している人が多い。その女性は子どもを捨てたことに負い目を感じていました。自分は生きる権利がないと感じ、医療を受けようとしませんでした。でも、なんとか説得し、治療を受けてもらいました。いい先生にめぐり合えたことも幸運でした。亡くなったとき、私が行くまで先生が心臓マッサージをして延命させてくれました。
自分自身、死と向き合っていたことがいまに結びついている
彼女が教えてくれた名前が本名かどうか、それはわかりません。遺体は警察が引き取りました。彼女の遺骨を引き取ることはできませんでしたが、3年後、骨を引き取ることができました。1人1人と向き合うことの大切さを感じています。自分自身、死と向き合っていたことがいまに結びついていると思います。
『ふうせん』入所の資格は、ホームレスの経験のある女性。そのことに拘っています。『ふうせん』からお金はもらっていません。生活はペルパーの仕事で得ています。『ふうせん』の定員は5人です。そのほかに1人戻ってきた人がいるので、現在は6人です。介護保険適用者が3人、自立支援を申請しているのは6人中5人。『ふうせん』を守るためにヘルパーの仕事を立ち上げました。自立支援からお金が入るように活動をしています。
なりたくてなった人はいないということを大事にしたい
ホームレスの人も、いまの若い人も、うちのおばちゃんたちも、みんななりたくてなった人はいない。ちょっとした計算違いはあったかもしれないけど、なりたくてなった人はいないということを大事にしたい。これまで3人の人を看取りました。住職の友だちに頼んでお墓を作ってもらいました。立派なお墓ができました。お墓ができてから、おばちゃんたちは落ち着いてきました。
長い人で7年『ふうせん』にいます。卒業しない人たちがそろっている。自立支援プログラムを持っているが使えない状況。いまを生きる。維持することで精一杯。一緒に暮らすことでやらなければならないことが増えています。スタッフと入居者が許し合っていくことが大事だと思っています。
DVの被害者のシェルターを設立したい
今後のことで付け加えたいのは、DVの被害者のことです。福祉事務所から週に2、3回、DVの被害者の相談を受けます。DVが社会問題となり、テレビなどでも取り上げられているので、被害にあっている人が家を飛び出すことができるようになっています。その人たちのシェルターとしての機能をもつ部分を『ふうせん』とはべつに設立していきたい。
それと、『ふうせん』がNHK教育テレビ「いのちの時代」で放映されますので、ぜひご覧下さい。
<放映日>
10月 7日 AM5:00―6:00
10月14日 PM2:00―3:00
対談と質疑応答
稲葉さんと角田さんのお話のあと、阿木幸男さんの進行で対談が行われました。路上から抜け出せない状況について、自分たちも責任を持つべきではないか、との稲葉さんの発言や、『ふうせん』を始めて7年4ヶ月が過ぎ、始めるときは困難を感じなかったが、初めてから終わりがないことがわかったという角田さんの発言が印象に残りました。
対談のあと、参加者との質疑応答がありました。若い人たちの参加者が多く、昔の日雇い労働者といまの派遣労働者との違いを問われ、角田さんが、昔の日雇い労働者は仲間がいて、もっと明るい感じだったが、いまは分断され、孤独であると答えていたことに、労働状況が決していい方向に向かっていない現状を示しているような感想を持ちました。
筆者の感想
稲葉さんも角田さんもこの活動で収入は得ておらず、それぞれ塾の仕事と、ヘルパーの仕事をしているそうです。稲葉さんが言われるように、路上で人が死ぬ社会に生きていることに理不尽さを感じながら、実際に自分がその人たちのためになにかをするかと言えば、なにも行動を起こさない人が多いと思います。筆者もその1人です。ただ思うだけでなく、実際に行動を起こし、それを長い間続けているということに、驚くと同時に感銘を受けました。
その一方で、本来は行政が行うべきことを民間の人たちに押し付けている行政の不作為にも疑問を感じました。おりしも、総理大臣の突然の辞意表明によって、総裁選の様子が連日テレビや新聞などで報じられています。報道によれば、臨時国会が空転しただけで37億円が失われるそうです。37億円あれば、困っている人たちをどれだけ助けることができるかと思うと、政治はなんのためにあるのか、いまさらながらに疑問を禁じ得ませんでした。
この記事の初出は日本インターネット新聞(JANJAN)で同社との提携により掲載。
<関連記事>
- Comments: 0
-
« 2012 年 2月 » 月 火 水 木 金 土 日 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 -




