日本Webリポート&ニュース
イギリス&アイルランドの旅(2)
~ 古代遺跡のロマン ~
古代遺跡が発掘されると、漠然とロマンを感じる。
しかし、歴史的背景も知らない他国にある古代遺跡を見に行こうという気にはなれない。
ところが「エジプトのピラミッドよりも古い遺跡があるのですよ」といわれると、ムラムラと好奇心も湧く。
どんな遺跡なのかダブリン郊外に出かけた。
< 太陽信仰 >
ダブリンから北に60キロ、丘の上に石で囲まれた盛り上がった塚があった。
ニューグレンジと呼ばれ、直径76m、高さ12mあり、世界的にも有名な先史時代の遺跡の一つであるという。
放射性炭素年代測定によると、この遺跡は紀元前3000年前後、いまから5000年前に建設されたものであり、ピラミッドより500年は古いという。
塚の内部には、小錦ではとても通れない細くて長いごつごつした通路があって、その先端は十字型の部屋に分かれ、そのひとつから火葬された遺骨が見つかったという。
こうしたことから、この遺跡は墓であったという説が有力だそうだ。
この遺跡の入り口の大きな石には渦巻き模様の絵が描かれていた。(写真左:中央の石)
これは何を意味していたのだろうか。単なる模様か、それとも象形文字なのだろうか。
びっくりしたのは入り口から冬至とその数日間のみ、夜明けとともに陽の光が中にまで差し込むように設計されているという説明を受けたことである。
石器時代にそのような知識があったのだろうか、
私たちが石室に入ると照明が消され、代わって冬至の日の出方向から電灯が照らされ、冬至の時どのように日光が入ったか、いつでも疑似体験できるようになっていた。
内部は撮影禁止だった。
先史時代の太陽信仰がうかがえる貴重な体験だった。
この遺跡は17世紀に発見され、ほぼ5000年近く眠ったまま、20世紀に入って発掘復元されて、今日のように見晴らしのよい丘となって整備されたという。
おそらく発見当初はヒースの生い茂る未開の原野であったであろう。
ニューグレンジの周辺には。ストーンサークルと思われる石が立ち並んでいた。(写真右)
またこの丘だけでなく周辺にも、同じような遺跡が
いくつかあり、これらの遺跡群は合わせて世界遺産に登録されているという。
< タラの丘 >
ダブリン郊外にはもう一つ有名な観光名所があった。
「タラの丘」である。
日本人ガイドは「タラの丘に行っても何もありません。私は観光客の皆さんに、いつもタダの丘とご紹介しています」と説明した。
そんな、くっタラないこと言わないで。夢が壊れる。
国を二分する南北戦争のさ中、南部のアトランタで奔放に生きぬいたヒロイン、スカーレット・オハラが、最後のシーンで遠くを見つめて叫んだ。
Tara! home! I’ll go home!
赤い夕陽に、スカーレットのシルエットは浮かんで銀幕は閉じた―。
不朽の名作「風と共に去りぬ」のラストの印象的なシーンは絵葉書にもなっている。
その最後のせりふ「タラに帰ろう」は、どうやら「タラの丘」を直接さしているのではないらしい。
アイルランドからアメリカに移住して成功したスカーレットの父親は、経営する大農園に「タラ」という名前をつけた。
つまり、スカーレットの実家が「タラ」だったのだ。
ただ、移民として海を渡ったスカーレットの父親は、自らの農園にアイルランド人にとって心の故郷ともいえる「タラ」の名前を付けた。
このため「タラの丘」は、いつも「風と共に去りぬ」と共に登場する。
故郷を離れても、故郷を想う気持ちを強く抱くのは、万国共通のようだ。
明治以降本州各地から入植した北海道には、故郷の名前を付けた地名があちこちにある。
札幌に隣接する北広島市(広島県広島市)、空知の新十津川町(奈良県十津川町)などの市町村だけでなく、地域まで含めると数えきれない。
それだけでない。おらが村の神社にあったイチョウやクリなどの樹木・神木を持ってきて植え、故郷を偲んでいるところも多い。
「望郷樹」とか「郷愁樹」とかいわれ、こうした木を探し求めて記録したものが、本にもなっているくらいだ。
その「タラの丘」とは、古代ケルトの聖地で、政治・文化の中心地であった。
現実にタラの丘に到着すると、ガイドが言うように何もなかった。(写真右上)
見渡す限りの草原だ。
この地に古代人の営みがあったとは信じられない。
丘の中心部が盛り上がっている。
どうやら当時の要塞跡らしい。
要塞には「王の砦」と名付けられた円形の砦と、大きな石一本立っていた。(写真左下)
要塞の北側には横穴のような墓の入口があったが鍵がかかっていた。
考古学者によると古代ケルト人はこの地で王を選出し、戴冠式を執り行っていたという。
タラの丘はアイルランド人にとって、政治だけでなく、精神的な中心地でもあったようだ。
タラの丘に上るとアイルランドの70%が見渡せるといわれるほど見通しが良いという。
たしかに360度眺望がきき、眼下の畑は直線に伸びる樹木によってきれいに区画されている。十勝平野をちょっと小さくした光景だ。
広い草原のあちこちには羊のフンが散らばっていた。
まだ乾ききっていない新しいフンだ。
フンの量からして相当の羊が放牧されていると推測された。
しかし私たちが訪れたときは、一頭も姿を見せなかった。
< ブナの大木 >
広々としたタラの丘の入口に、大きな木が数本天空に枝をひろげていた。
なんという樹だろう。近づいてみた。
鬱蒼と生い茂った葉、ゾウの足のような樹皮、大人1人では幹を抱えることができないほどの大木だ。
葉脈をみてピンきた。ブナの木だ。
ただ日本のブナとは違って葉が銅色で、日本ではセイヨウブナとかヨーロッバブナとか言われている。
日本には分布していないが、北大植物園には同じ仲間が一本だけある。
ロンドンでは日本人ガイドが「ドウブナ」と呼んだ。
英語のようにも聞こえ、思わず「今なんと言いました?」と尋ねた。
するとガイドは「いや、銅ブナです。正式な名前ではないと思いますが、地元ではこう呼んでいます」
「銅ブナ」、特徴をよくとらえた実にわかりやすい名前だ。
ちなみに北大植物園のブナの大木には「ムラサキセイヨウブナ」という樹名板がつけられている。(写真左:8年5月)
ドウブナの大木は今回の旅で、イングリッシュガーデンやホテルの庭など、あちこちでお目にかかり、それぞれ素晴らしい景観を作っていた。
その中で、何もないタラの丘の入口に繁っていたドウブナの大木が、もっとも強く印象に残った。
(写真右:ロンドンのキュー王立植物園で撮影したドウブナの葉と、まだ付着していた去年の実)
タラの丘には、草原の一角に繁ったブナの大木しかなかった。
自然に戻った大地は建築物がなくても、逆に古代人の営みを無限に想像させ、アイリッシュが心の故郷と受け止めるのに十分な空間だった。
スカーレットは実家に帰るではなく、タラの丘に帰るとオーバーラップして解釈すると、“納得”といいたくなる。 (つづく)
札幌:望田武司
<関連記事>
- Comments: 0




