日本Webリポート&ニュース
イギリス&アイルランドの旅 (1)
イギリスの西側に位置するアイルランドという国はどういう国だろう。
イギリスはいろいろ情報を目にするが、お隣のアイルランドは何となく遠い国で、日本からみてあまりご縁のない国のように思っていた。
IRA(アイルランド共和軍)、ジャガイモ飢饉、ケネディ家、最近では財政危機ぐらいのキーワードしか浮かんでこない。
今回、趣味の仲間とともにイギリスを旅し、初めて隣国のアイルランドも訪れる機会をもった。
そして、アイルランドは隣の大国イギリスに激しい抵抗を示して今日の独立を勝ち取った、プライドの高い国であることを強く印象づけられた。
< 植物の活動早い高緯度の国 >
アイルランドは面積が北海道とほぼ同じ、人口も470万人とこれまた北海道とほぼ同じ、これで一国を作ってECの一員を構成している。
通貨はお隣のポンドでなく、ヨーロッパのユーロである。
長い間支配されてきたポンドから脱却したかったのだろうか。
首都ダブリンに入ってまず驚いたのは、5月のこの時期にして豊かな緑である。
ダブリンは北緯51℃、日本でいえば最北端の稚内のはるか北の、旧北樺太に位置する。
私が札幌を出発した時、街路樹のプラタナスは、胎児の手のような葉が出始めたばかりだった。
プラタナスは和名が「モミジバスズカケノキ」
そのプラタナスがダブリン市内では、モミジを大きくした葉がすでに青々と茂っている。
(写真左:丸いのは去年の実)
暖流と偏西風の影響で、ヨーロッパは緯度が高くても暖かいことは承知していたが、これほどまでの差があるとは思わなかった。
夏ではなく、5月という植物の胎動期に訪れたことがとてもラッキーに思えた。
聞くと当地では落葉樹が葉をつけるのは3月(札幌5月)、クロッカスが顔を出すのは1月(札幌4月)。相当違う。
冬の平均気温が4度から6度と、氷点下になることはほとんどなく、夏も20度前後と、気温差が少ない穏やかな海洋性の気候だ。
逆に言うと、相当緯度が高いにもかかわらず四季があまりはっきりしない、夏の釧路のような、ひんやりとした所なのだろう。雪もほとんど降らないという。
ちなみに釧路では夏の気温が20℃を越すとニュースになるところだ。
農村地帯の景観は十勝平野をちょっと小さくした感じだろうか、よく似ている。
< 100年ぶりの訪問 >
ダブリンに着く1週間ほど前、イギリスのエリザベス女王が100年ぶりにアイルランドを訪問したというニュースが日本でも報じられた。
ロンドンとダブリンとは飛行機でわずか1時間ちょっとの隣り組である。
それが100年ぶりに訪問したと知って驚き、改めて根深かったアイルランドとイギリスの確執を思い知らされた。
アイルランド政府は国中の警察官8000人を総動員して警戒に当たり、イギリス政府はそれでも危ないとみて、本国から警察官を送り込んで女王の身辺を警戒したという。
日本のマスメディアは、今回のエリザベス女王の歴史的なダブリン訪問を、イギリスとアイルランドの和解の象徴とコメントしていた。
しかし、地元のガイドによると、沿道で歓迎する市民はいなかったという。
(写真右:ダブリン中心部を流れるリフィー川)
実はイギリス首相であったブレアが在任中、ジャガイモ飢饉でアイルランド国民に対し謝罪している。
なぜ一国の首相が150年まえの出来事で陳謝しなければならないのかと思ったことがある。
30数年当地に在住しているベテラン日本人ガイドに聞いてみた。
「飢饉のとき地主のイングランドは全く援助しなかった。それどころか高い地代をとり続けて植民地のアイリッシュをいじめたからよ」
突き放すような言葉が返ってきた。
スペイン人によって南アメリカからヨーロッパに伝えられたジャガイモは、冷涼なヨーロッパの気候によくあって広く栽培された。
とくに土壌のやせたアイルランドには福音をもたらし、19世紀初め400万人だった人口が、
わずか40年で800万人にまで急増したという。
ジャガイモ栽培によって爆発的に増えた人口は、労働人口を発生させ、イギリスの産業革命の一翼を担ったとさえいわれている。
ところが19世紀後半にはジャガイモに腐敗病が発生した。
とくに湿度の高いアイルランドの被害は甚大で、100万人が餓死し、200万人が国を離れてジャガイモ導入時以下の人口まで激減したという。
(写真左上:羊蹄山麓の男爵イモの収穫)
アイルランドはその後独立が認められるが、北アイルランドだけは分離され、イギリス領となった。
「島は一つだ」 北アイルランドを取り戻す組織IRAが先鋭化して地下に潜り、爆弾闘争を繰り返し、つい最近までイギリスの治安を脅かしつづけた。
この地下組織を資金面から援助してきたのが、ジャガイモ飢饉のときアメリカに移住し、その後成功したアイリッシュの人たちだという。
「う~ん。食べ物の恨みは恐ろしい」
< オバマ出現 >
エリザベス女王の歴史的なダブリン訪問の1週間後、私たちは予期せぬ出来事に遭遇してしまった。
アメリカのオバマ大統領がダブリンを訪れたのだ。
ダブリンに着いた翌日、私たちはバスで市内観光の予定日だった。
朝から交通規制が激しく、バスは動かない。観光どころではないのである。
たまたまホテルの近くにアイルランド最古の大学,トリニティ・カレッジがあり、そこに超国宝ともいえるケルズの書(新約聖書の福音書の写本)が保管されている。
このケルズの書の前で、夕方オバマ大統領は演説をするという。
大学構内には朝早くから、中継車が何台も張り付き、プレスセンターまでできていた。
(写真右上:プレスセンターのテントと並ぶ中継車)
ガイドは私たちを誘導するが、いつもは入れる門はクローズ、広い大学をほぼ一周してようやく中に入れた。もちろん徒歩である。
午後になって、市民がどんどんオバマが演説する会場方向に足を運んでいる。
星条旗を持っている子どももいる。尋ねてみた。
「きょうは 学校はどうしたの?休み?」
「学校はあるけど、放ってきた」
子どもだけではない、大人もみな同じ方向に向かって歩いている。
職場放棄してきたのかな。それとも会社も容認しているのかな。
動員された警察官の目が、不審者を警戒する警備警察の目つきではない。
交通整理の警察官で、お回りさん自体も楽しんでいる雰囲気がある。(写真右)
中にはオバマがまだ見えてないのに星条旗を掲げて「オバマ、オバマ」と連呼する市民もいる。
街頭はオバマを歓迎する3万人の群衆で沸き返った。
記念に星条旗をもらおうかと、旗を市民に手渡している男に近づいた。
「フリー?」「ノー、2ユーロ」
ダフ屋みたいなものまで出る騒ぎだ。
< 先祖に凱旋 >
なぜオバマがこんなにもてるのか、英米のトップに対するアイリッシュの国民感情の違いがとても興味深い。
ダブリンのベテラン日本人ガイドに話しかけた。
「オバマはアイルランドの債務を全部面倒見るとでもいうのかな」
「そうなら、とてもうれしいわ」
30年以上も当地に住んでいるガイドは、すっかりアイリッシュの顔だ。
オバマ大統領は故郷に戻ってきた。
オバマ大統領の母方のルーツがアイルランド出身なのだ。
オバマ大統領とアイルランドの繋がりを初めて知った。
ケネディ大統領の先祖が、ジャガイモ飢饉でアメリカに移住したということは、よく知られている。
ケネディが大統領になったとき、アメリカ在住のアイルランド人は、「これでようやくアイリッシュもアメリカ国民になれた」と熱狂したという。
現在アメリカにはアイリッシュが4000万人いる。(写真右:オバマを歓迎する看板と国旗)
靴職人の息子だったオバマの祖先は、ジャガイモ飢饉がつづく1850年アメリカに移住した。
ケネディの祖先もその2日後、同じ港からアメリカに渡ったという。
アイルランド首相との会談もそこそこに、オバマは人口わずか300人の先祖の村を訪れた。
遠い親戚かもしれない住民と、固い握手を交わし地元のビールで乾杯した。
故郷からダブリンに戻ってきたオバマは、大学前で黒山の人だかりの群衆を前に語りかけた。
「アイルランドからの数多くの移民がアメリカの繁栄に貢献した」
オバマはアイリッシュの心を動かす演説を始めた。
「アメリカとアイルランドとの友情の絆ほど強いものはない。我々は血の繋がりがあるからだ」「私はその絆を確認するため、ダブリンを訪問した」
オバマは最後に、アイルランド公用語のゲール語と英語で「Yes、we can」と叫び、アメリカは常にアイルランドと手を取り合うと結んだ。
遮断された道路のあちこちに、超特大の大型スクリーンが設置されていた。(写真左上)
演説はとうに終わっているのに、スクリーンは繰り返し、繰り返しオバマの演説を伝え、黒山の住民は動こうとしなかった。
それだけでない、パブなどの店ではテレビが放映するオバマ演説を聞こうとする住民で、入り口まであふれ、玄関の外で背伸びしてみようとしている人も大勢いる。
まるでサッカーを観戦しているスポーツバーのようだ。
オバマは来る大統領選挙を意識しての演説であったであろう。
けど、演説を聞いた人はそんなことはどうでもよかったに違いない。
オバマの一言一言に心地よさを感じながら、アイルランドの苦難の歴史と、国を構成する
自身との関わりを強くかみしめたことだろう。
< 吹き飛んだダブリン観光 >
オバマ旋風のおかげで、私たちのダブリン観光は吹っ飛んでしまった。
車が動けず、この日午後からは自由行動になった。
参加者の中には、こうなったらオバマの演説を聞きにいくという人も現れた。
それも面白い。
私は、数人の参加者と地元名物ギネスビールの工場を見に行くことにした。
ギネスビールは「ギネスブック発祥の地」である。
車が動かないので歩くこと歩くこと、道に迷ったこともあり、ほぼ1時間後にようやくたどり着いた。
ギネスの歴史や、ビール製造過程を見学した後、ギネスビールを試飲した。
サッポロビール工場のような小さな試飲コップではない。
無料だというので大ジョッキーを選んだ。
ギネスビールは黒ビールである。
飲むと薬臭い。できたてのせいか酵母菌がまだ生きているような感じがする。
ダブリン市内が一望できるビール工場の展望台で、同行者と初めて飲むギネスビールを楽しんだ。(写真右上:手前のギネスビール工場とダブリン市内の眺望)
翌日の新聞の一面トップに、オバマ大統領が故郷の村で、村民と一緒にギネスビールで乾杯している写真が掲載されていた。(写真左)
「ギネスビールを飲んで、故郷に帰ってきたような気分だ」というオバマの言葉が添えられていた。
私たちも場所は違うけど、オバマと同じ日に地元名物ギネスビールで乾杯したことになる。
新聞記事を見て、ダブリン観光を堪能した気分になった。 (つづく)
札幌:望田武司
<関連記事>
- Comments: 0




