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2011-01-25 (火)

本因坊道吾を励ます会

旭川出身の山下敬吾9段が道産子として初めて囲碁本因坊になったのは、昨年のことである。
年も明けて北海道が生んだ本因坊を祝福し、励まそうという会が札幌であり、誘われて先日参加した。
棋士のパーテイといえばタイトルの就位式とか、タイトル戦の前夜祭がすぐ浮かんでくるが、特定の棋士を励ますパーテイは仲間うちでやることはあっても、広く門戸を広げてやるということはあまり聞いたことがない。
これというのも小学2年の時に小学生名人になって以来、ずっと脚光を浴びつづけてきた天才に対する敬意の表れかもしれない。
小沢一郎と与謝野薫の生臭い対局が、新聞・テレビで紹介されて初めて、このお二人は碁を打つのかというレベルの話ではなく、囲碁愛好者なら山下敬吾を知らない人は皆無といえる、その道の頂点に立っている人物を励ますパーテイである。

 < 山下応援団 >

さてホテルの広い会場に入るとこれびっくり、通常の囲碁界のパーテイとは雰囲気が違う。
ほとんどの人が背広でピシッと決めている。
しかもどこかで見たような人ばかりだ。
新聞紙上で顔写真付きで報じられている人たちだ。
地元北海道の鉄道・電気・ガス・金融・新聞・放送などのトップが勢ぞろいである。
しかも彼らがこぞってこの日の励ます会の発起人に名前を連ねていた。
北海道の経済・文化のトップのそろい踏みといったところだろうか。(写真右)
政治家の顔が見えなかったのがすがすがしい。

通常 他の新聞社主催のタイトル棋戦では、無視か、ベタ記事扱いしかしない天元戦主催の北海道新聞の社長まで、発起人として出席したのには驚いた。
この盛大?なパーテイに、本因坊戦を主催している毎日新聞の社長まで東京から駆けつけてきた。
タイトル戦を主催している新聞社の社長が、囲碁関係のパーテイに顔を出すのは、賞金を手渡す就位式ぐらいで、それ以外は出たくても編集局長か学芸部長止まりで、パーテイにはめったに顔を出さない。
多くの棋士を輩出した北海道ではもちろん初めて、囲碁界でもあまり聞いたこともないパーテイとなった。
(写真左:あいさつする毎日新聞社長) 

< 井上靖が呼び込んだ?本因坊 >

囲碁界には大きなタイトルは7つあるが、このうち棋聖・名人・本因坊戦は3大タイトルといわれ、賞金も高く2日がかりで一局を打つ。
このうち本因坊がもっとも歴史があり、囲碁好きだった徳川家康から始まる徳川家代々の将軍の庇護のもと、一番強い棋士が本因坊家を継いできた。
世襲制は江戸時代から明治・大正と続いたが、昭和に入って本因坊秀哉が名跡を日本棋院に譲渡し、実力制に移行した。
世襲制から実力制に移行するときに関わったのが、毎日新聞学芸部副部長だった旭川出身の井上靖であったという。
このエピソードを紹介した毎日新聞北海道支社長は、「井上靖自らが山下本因坊を呼び込んだのではないか」とそのご縁をしみじみと語り、会場の拍手を浴びていた。

井上靖は日清・日露で活躍した日本最強の第七師団の軍医の長男として旭川で生まれた。
生まれて間もなく本州に転居するが、たまたま昨年井上靖の遺族から井上靖の書斎・応接間などが残っている井上靖邸宅を、そっくり旭川に移転したいという申し出があり、大きくニュースに取り上げられたばかりである。
(写真右:移築される邸宅の書斎)
旭川にはすでに井上靖文学館があり、井上邸移築で旭川は文字通り井上文学のメッカになりそうだ。

< 本因坊道吾 誕生>

本因坊位獲得者には本因坊の名跡を継承する主旨で、「本因坊○○」と雅号を名乗ることができる。
他のタイトルにはない本因坊にだけ与えられた権利である。
雅号を名乗るのは任意なので、山下本因坊もどうしようかだいぶ迷ったという。
32歳で雅号を名乗るにはまだ若いと思ったのだろうか。
現に山下9段に本因坊を奪われた同世代の羽根直樹9段は、雅号を名乗っていない。
山下本因坊は、折角いただいたものだから最終的に名乗ることを決めたという。

ではどういう雅号にしようか、これまた大いに迷い、菊池康郎師匠とも相談したという。
多くの人はやはり、本因坊家ゆかりの「秀」をつけたらどうかという意見が多かったらしい。
たしかに実力制になって本因坊位を獲得した人の中では、本因坊秀格(高川格)・本因坊秀芳(石田芳夫)・本因坊秀樹(武宮正樹、のちに本名の正樹に改名)・本因坊秀紳(高尾紳路)と「秀」が圧倒的に多い。

熟慮の結果山下本因坊は「秀」をとらず、本因坊道吾に決めたという。

「道」は江戸時代最強の打ち手と言われた道策が好きであったこと、自分が北海道出身であることなどから「道」を選択したという。
囲碁を知らない発起人のなかでも、北海道の一文字の「道」が入っていたことに好感を寄せたと挨拶をする人もあり、本因坊道吾誕生のいきさつを直接本人から聞いた出席者の間から、一段と高い拍手が送られた。
ちなみに道吾は「どうご」でなく「どうわ」と読む。

会場では本因坊道吾の揮毫式が行われた。
毎日書道展審査会員で書道界の重鎮・小原道城師が、中国で求めた筆おろしとなる筆に、たっぷり墨汁を浸み込ませて、めでたい時に使うとされる赤い用紙に一気に本因坊道吾と書き上げた。
最後に花押をおした。

すぐそばでじっくり拝見していたが、できたてのこの色紙を掛け軸にすれば、どれほどの値が付くのかと思った。下衆の勘繰りか。

 < 輝かしき棋歴 >

囲碁界では山下敬吾9段ほど、幼い時から脚光を浴びた棋士はいない。
碁盤の向こうにまで手が届かず、一杯に伸ばして石を置いては上級生をなぎ倒して優勝し、小学生名人になった小学2年の敬吾少年、翌年の3年生、翌々年の4年生の時も決勝まで進出、こともあろうに4年の時は2歳年上のお兄ちゃんに負けて大粒の涙を流して準優勝杯を受け取った山下少年、その愛くるしい表情はテレビを通じて全国のお茶の間にそのまま飛び込み、感動と共感を与えた。
小学3年のとき旭川から上京して、緑星学園の菊池康郎師に師事して順調にのび、14歳でプロになり、24歳の若さで囲碁界最高位の棋聖を獲得した。
棋聖就位式には、在野でありながら棋聖を育てた菊池師匠がひょうひょうと会場を回っていたのが印象的だった。
(写真左側が菊池師匠、右側がご両親2003.4)

時すでに韓国の実力目覚ましくて日本は歯が立たず、関係者の祝辞の中でも韓国の鉄のゴールキーパー、イ・チャンホ9段を破るのは山下棋聖しかいないと、大いに期待された。
山下棋聖もあいさつの中で「棋聖が終わりでなく、世界の場で戦える棋士になりたい」と抱負を語っていた。昨日のように思える鮮烈なパーテイだった。

しかし韓国や、その後猛烈に追いかける中国の壁は厚く、ほぼ互角に戦っても必ずしも追い越すには至らず、山下敬吾9段はもう32歳となった。
もはや若手とは言えず、伸びののり代がどれくらいあるか不明の打ち盛りの30代に達した。
この時期の異例ともいえる各界名士の激励パーテイは、山下本因坊にとって大きな励みになったに違いない。

 < さらに飛躍の本因坊 >

会場に札幌市の上田文雄市長がお祝いにかけつけた。(写真右)
今春の市長選挙では、自民党が推す若手女性官僚という強力な対立候補と戦うことになる上田市長は「きょうの発起人(経済界)の方々は、先を読む力をもった方々ばかりだ。
私は碁をやらなかったので手詰まりの状態だ。
お集まりの先を読む力のある人たちの中にいれていただき、次の一手を考えたい」と会場を笑わせた。
そのうえで、「去年のアジア大会で初めて出場した日本の囲碁チームの愛称が、ちえの和ジャパンだったと聞いている。
壇上で山下さんを囲んだ発起人の方々にはぜひ、ちえの和サッポロとして、札幌の将来について知恵を頂戴したいとともに、そのまま山下ファンクラブ創設につながることを提案したい。」
上田市長はユーモアに富んだあいさつの端々に、経済界に秋波を送っていた。

それにしてもなかなか粋なパーテイであった。
碁を知らない人を含めて、これだけの人を惹きつけるプロ棋士は、そういない。
小学生の時にすでに微分積分を解いたという恵まれた才能ばかりでない。
2日制の対局でも一度も足を崩さず、正座のまま対局する礼儀正しさ、それに若い時から際立っていた挨拶と理路整然とした解説に、囲碁の世界だけでおさまるような人とは思えないオーラを感じる。本因坊道吾は何かを持っている。

5月ごろから始まる本因坊タイトル戦は、羽根直樹9段の挑戦が濃厚だ。
このまま決まれば、羽根9段にとってリベンジとなる。
目が離せない本因坊戦である。 (写真左:筆者)

札幌:望田武司
                        

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