日本Webリポート&ニュース

2010-07-05 (月)

湿原消えても名を残す

 植物の名前には、発見された地域の地名が付けられたものが結構ある。

シラネアオイ(群馬県白根山)、クゲヌマラン(神奈川県鵠沼)、レブンアツモリソウ
(北海道礼文島)、ノウゴウイチゴ(岐阜県旧能郷村)など、次から次へと浮かんでくる。
ところが「7種類の植物に同じ地名が付けられたところがあるんですよ」と聞かされると
びっくりする。
そんなに多くの名前が付けられた地名は日本では他にない。
どんな所だろう。
新種がどんどん見つかるほど、植物にとって豊かな所だったのだろうか。
6月中旬、研究者の案内で出かけてきた。

 < 幌向湿原>

目的地は岩見沢市幌向(ほろむい)地区に接する
南幌(なんぽろ)町である。
札幌から車で1時間以内で行ける。
幌向の南にあることから南幌と名付けられた。
ところが現地につくと、野生植物が観察できるような原野も湿地も何もない。
見渡す限りの農地で、水田や小麦・キャベツ畑などとなっている。

この幌向地区一帯でホロムイソウ、ホロムイリンドウ、ホロムイイチゴ、ホロムイスゲ、ホロムイコウガイ、ホロムイツツジ、ホロムイクグの7種が発見されたという。

確かに植物図鑑の後ろの索引を見ると、見事にホロムイ○○と並んでいる。
なぜ同一地域でこんなに多くの新種が見つかったのだろう。

この地域一帯は、昔は幌向湿原とか幌向原野と言われ、泥炭地であった。
もっとも当時はそのような立派な呼び名があったわけでもなく、単に「泥炭地」とか「原野」と言っていたようだ。
雨がちょっと降ると水に浸かる水害常襲地帯でもあった。(写真左:南幌町の現在の水田)

    

< 鉄道開通 >

明治のはじめ、お雇い外国人地質学者の指導で、夕張に近いこの地域に炭鉱が発見された。
国内でもっとも古い炭鉱のひとつ幌内(ほろない)炭鉱である。

幌内炭鉱から石炭を運び出すために、明治15年 鉄道が幌内―札幌―手宮(小樽)に
敷かれた。
新橋―桜木町、大阪につぐ全国3番目の鉄道である。
大都市東京・大阪にいち早く鉄道で開通するのは当然であるのに対し、当時人口が1万人にも満たない札幌に鉄道が通ったのは、石炭輸送のおかげだ。
(写真右;南幌内駅跡地)

この鉄道を通じて、日本のエネルギー源が石油に代わるまで、明治大正昭和と石炭が小樽港などから全国各地に運ばれた。
富国強兵・殖産興業を目指した明治新政府が、いかに石炭を重視していたかが窺える待望の鉄道でもあった。

 < 幌向泥炭地 >

じつはこの鉄道が植物の新種発見に大きく寄与した。
植物学の研究にはフィールドワークが欠かせない。
広い広い北海道、そう簡単には原野や湿地に入れない。
当時は車もそんなになかった時代、予算の少ない大学や、貧乏学生にとって車などは使えない。
そこで大学の研究者は安い運賃の鉄道を使って、札幌に近い幌向の泥炭地に入ったという。
いってみれば幌向泥炭地は、研究者の格好のフィールドワークの場であった。
ホロムイ○○と名付けられた植物は、当地にしか生育していないというものではなく、たまたま幌向でいち早く発見されたにすぎない。

写真右は露出している泥炭地である。(南幌町)         

 泥炭の深さは4.5mあった。
泥炭と言うのは石炭ではない。
植物が十分に分解されないうちに水底に堆積
してできたもので、有機物が多い土壌である。

1年で1mm堆積したとすれば、4500年ほどにわたって積み重ねられたことになる。
はじめの500年ほどはヨシなどの低層湿原の植物がみられ、このころは河川の氾濫の影響を受けていたと思われる。

その後は1000年余にわたってスゲ類を中心とする中間湿原が発達し、以降現在に至るまで高層湿原と中間湿原が交互に発達したことがうかがえるという。
層の所々に樽前山などの噴火による火山灰の堆積が見られるが、ほぼ百年程前には、中国・北朝鮮国境の白頭山噴火による降灰が堆積されているという(写真左67~140cmの層)

つい先日、中国の火山学者が「白頭山は4~5年内に噴火する」と予測し、韓国では警戒態勢に入ったと韓国の新聞が伝えていた。
当然日本にも影響があることだろう。

昭和はじめの幌向泥炭地について、のちの戦後の北大植物園長・舘脇操が昭和3年に書いた論文の中で次のように書いている。

幌向原野は石狩川・江別川・夕張川・幌向川に囲まれ、南北に向って緩傾斜をなし、縦10キロ、横6キロ、荒芒たる石狩原野のやや東部に位す。
泥炭地改良に伴う群落変化について余の観察なせるは ①水生植物群落 ②沼澤植物群落③湿原植物群落 ④沼野林に分類せらる・・・

このように述べて各項について具体的植物を列挙して詳細に記述し、この中に当地で発見されたホロムイ○○の植物も紹介されている。

 < 幻の石狩大湿原 >

80余年経た今日、当地に立つと湿原や泥炭地は見られず、どこまでも広がる農地に変わっていた。

客土によって、世界でも例を見ない一大土地改良事業が行われた結果、新しい農地が出現し、北海道が越後平野の新潟県を上回るお米生産日本一の原動力となった。
国内で最も広い釧路湿原より広かった幌向を含む石狩大湿原は消滅した。
現在平地の農地としては、南幌を中心とした
地域が日本で一番広い所だという。(写真右上)

幌向泥炭地で見つかった新種のうち、私はホロムイリンドウ(写真下左:歌才湿原)、ホロムイスゲ(写真下右:ニセコ神仙沼)ホロムイイチゴの3種しか知らない。
他の4種を観察したいものだと思っているが、いくつかはすでに絶滅が危惧されているレッドデータブックに登録されている。 

          

狭い国土を少しでも有効利用しようとして、莫大の公共事業費をつぎ込んで自然改造された幻の石狩大湿原には水稲の苗が伸び、小麦がまもなく収穫を迎えようとしていた。

 札幌:望田武司

<関連記事>

この記事に投稿されたコメント

はじめまして!
私は、NPO法人ふらっと南幌代表理事の濱田と申します。
Googleのアラートの知らせで、このサイトに出会い、大変喜んでおります。
多くのご縁が重なって、現在、私達のNPOでは、望田さんのお書きになった幌向湿原の7つの固有種の復元再生に向けて移植のための湿原地も複数用意し、取り組み始めているところです。
これらの多様な植生の風景の再生だけではなく、「ホロムイイチゴ」をソースに使った名物料理やお菓子等の夢もあります!
これからも、これをご縁に情報交換させて頂くとともに、ご指導の程をよろしくお願いします。

7月 6, 2010 9:28 am : 濱田暁生

コメントを投稿する

* コメントフィード

△画面トップにもどる

最近のコメント
最近の投稿
Calendar
« 2012 年 2月 »
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29        
QR Barcode
QR Code for 湿原消えても名を残す
RSS Feed