この記事についてつぶやく札幌農学校の学生群像(3)
< 内村鑑三 VS 上級生 >
大島正健(1期生 神奈川県出身)
内村鑑三が着任すると校舎の一隅からエホバをたたえる賛美歌の声が鳴り響いてきた・・・
受洗によって元気づいた上級生共が、ミッショナリー・モンク(耶蘇坊主)という仇名をつけてあるほど信仰的に執拗な私を先頭に立てて、フレッシュマン一同を教化しようと猛烈に突撃してきた・・・
怒髪冠をついた鑑三は、血迷った上級生を日本固有の宗教に引き戻して尊い日本精神によみがえらせてやろうと、意気軒昂たるものがあった。
が日がたつにつれて、心を許した友である大田(新渡戸稲造)も宮部(金吾)も続々と敵陣に走って、己れ独り異教徒の名を冠せらるる情勢になってきた・・・
突撃は熱烈をきわめ・・・遂に・・・基督教の信条に、彼鑑三は共鳴する・・・
学友たちは頑物内村の心境に変化が生じたことを知って大に喜び、力強い彼を擁して教団の強化に邁進した。 (クラーク先生とその弟子たち)
これは実に面白く興味深く読んだ。
2期生で入学し、強力な個性を持った内村鑑三がキリスト教に入信する過程がよく描かれている。
異教にかぶれて?いた先輩を日本古来の宗教に引き戻そうと頑迷な鑑三はがんばるが、次第に外堀を埋められて信徒となる。
それを先輩の大島たちは大いに喜んだことが伝わってくる。
寄宿舎に一緒に寝泊りしている間柄である。
徹夜で宗教・政治・人生を語り合い、時には激論を交わしたこともあっただろう。
最後に入信した内村鑑三が、その後もっともキリスト教と深い関わりを持つ宗教家として名をなし、明治大正の思想界に大きな影響を与えることになるのも面白い。
大島は内田瀞らとともに「札幌独立基督教会」設立の中心メンバーであった。
大島をとくに有名にしたのは石橋湛山である。
県立山梨中学時代、“悪がき”がたたって落第ばかりしている石橋湛山は、赴任してきた大島正健校長からクラーク博士の話を聞き「一生を支配する影響を受けた」という。
山梨中学から戦後甲府第一高校となった校庭には、大島の肖像と Boys be ambitous と刻まれた石碑がたっており、クラーク精神が現在に受け継がれているという。
クラーク博士が帰国するとき、馬で追いかけてきた子供たちとの涙の別れ際に、言ったことばが「Boys be ambitous.」である。
その惜別の場所の北広島市島松に、立派な記念碑が立っているが、これ以外にこの言葉の石碑があると知って驚いたものだ。
一国の宰相となった男に大きな影響を与えた大島正健、若きころの写真である。
右側の小さくて気の強そうなとてもかわいらい男が大島である。(左は内田瀞)
< 研究成果の実践は祝宴で!>
内村鑑三(2期生 東京都出身)
回心せる新入生一同相集り祝宴を催した。
エドウィン(足立元太郎)は彼の発見し得る最大の南瓜(かぼちゃ)を獲得する為に畑に遣られた。多量の大根、キャベツ、トマトも共に獲得し来る可し。
我等の植物学者フランシス(宮部金吾)は蒲公英(たんぽぽ)の葉が何処にあるかを知っていた。余は彼の胴乱(採集容器)を携へて其に一杯此の美味なる植物を採集するために遣られた。
熟練せる化学者にして且つ常に料理学の理論と実際の第一人者であったフレデリック(高木玉太郎)は、彼のアルカリと塩と砂糖とを以て用意を整へていた。
ヒュー(藤田九三郎)は彼らの目的の為に最高熱度の火を燃焼せしむる事によって、彼の数学と物理学の薀蓄を提供した。
文学的のパウロ(新渡戸稲造)は何時でも斯ういふ時には怠け者であった。 (余は如何にして基督信徒となりし乎)
上級生から激しくターゲットにされた内村鑑三の回想である。
それだけ在学中から存在感があったということだろう。
信者同士でパーティを開いたが、その役割分担について、いかにも理屈屋の内村鑑三らしいコメントが綴られている。
いろいろ表現しながらも和気藹々とした雰囲気がでて、内村自身も宮部金吾の指示でサラダの材料として、当時としてはきわめて珍しいセイヨウタンポポを採りに行っている。
自らも含めてキリスト教に対する不信の態度を改め、信仰への心を向けた者同志が、クリスチャンネームで呼び合っている。
日露戦争のとき非戦論を唱え、聖書研究をライフワークとした宗教家 内村鑑三は、自らを「農学校の産ではない」と言っている。
その一方で、在学中に「自主独立の精神」「真理によって立つ」「不撓不屈の精神」という農学校精神を十分に吸収したようだ。
彼が後世に与えた具体的な功績は申すまでもない。
彼の言動は聖書の影響を大きく受け、神を通してリベラリズムを訴え、矢内原忠雄・南原繁(いずれも東大学長)ら戦後の高等教育のリーダーに多大な影響を与えた。
理系・文系含めて北大140年の研究成果がびっしり詰まっている北大博物館のなかで、内村はこのようにコメントされていた。
農学校からこうした逸材が生まれたことが不思議だ。
内村鑑三が訪米して クラーク博士が臨終のさい立ち会った牧師から聞いた話を、後日紹介してる。
「わが生涯で唯一慰むるに足るは、札幌農学生徒へ福音を伝えたことである」 (つづく)
札幌:望田武司
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