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チロルの醍碁味(6)
< スキーリゾートの地 >
イシュグルはスキーの町である。
北海道で言えばニセコのような町だ。
11月から4月までのシーズンの間は、スキー客で村の人口の数倍に膨れ上がるが、それ以外は閑散としている。
ホテルは、一冬で一年分を稼いでしまおうというデカンショ商売である。
最近は夏でもトレッキングや自転車を楽しむ人で賑わっているというが、その数は冬と比べれば比較にならない。(写真:イシュグルのホテル街)
ニセコでも通年観光をめざしてテニスコートやラフティング・乗馬などのアウトドア施設を整えたリゾート地を目指してる。
全山スキー場のイシュグルでは、ゴンドラやリフトが5月から6月と秋は運休するが夏は稼動しており、ガラガラのリフトの動力代も馬鹿にならないと思う。
ホテル代金は冬と比べて、格段にディスカウントされて、客が入ればありがたいという姿勢だ。
以前6月中旬に訪れたときは、ホテルは私たちの訪問にあわせて夏の営業を始め、象の鼻のように長いチロルの民族楽器・ホルンで私たちを歓迎してくれたことがあった。
7年ぶりに訪れたイシュグルではあるが、定宿のホテルも隣の教会も変わっていなかった。
ただホテルの増築が進んで、村全体が大きくなっている感じをうけた。
ヨーロッパでは結構人気のスキー場になっているようで、ドイツ・フランス・スイスあたりからの客が増えているいう。
< 日独囲碁合宿 >
格安の時期を狙ったチロル囲碁の旅には、ドイツと日本からあわせて30人ほどが参加した。
7年ぶりに懐かしいドイツ人との再会を喜び合った。(写真左)
若き頃日本棋院で修行を積んだ実力6段氏から、半世紀前にヨーロッパチャンピオンになった古豪も毎回のことながら顔を見せた。
大半は低段ながらも囲碁を楽しむ青い目の紳士ばかりである。
今回の旅でもっとも再会を楽しみにしていた人がいた。
ひげを生やして吊りズボンをはいていた大学教授風で、独特の雰囲気を持っていたEさんである。
(写真右:2002年7月)
物静かな人だが、一手打つたびに小型ゲーム機に打ち込んで棋譜を採るほど囲碁にのめりこみ、マイカーには日本語の「碁」という看板をつけて走り回っていた。
私がもっとも多く碁を打ったドイツ人で、当然のことながら今回もお手合わせできるものと思っていた。
ところが数年前に他界したと知らされ、声もでなかった。
私より年配ではあるが、それほど高齢でもないのに予想もしない事実を知らされて、7年の歳月を感じた。
私が後年ひげを生やしたのも、意識したわけではないが、Eさんの影響が全くなかったわけではない。
< 山小屋囲碁三昧 >
私たちは日中は野山を歩きながら、ホテルや山小屋で碁を打った。(写真左)
とくにあちこちの景観のよい山小屋対局では、隣国から参加したドイツ人の車が私たちの足となり、分乗して遠くまでいけた。
そして最後に日独対抗戦も企画された。
総じて7年前と比べてドイツ人は強くなっていた。
彼らはじっくり考えるが序盤は甘い。
しかし中盤の勝負どころでは力を発揮する。
曖昧な手を打つと、きちんと弱点を攻めてくる。
また自分の石が弱いと、攻撃よりは先ず防御する。
どうなるかわからないが、行け行けどんどんといういう打ち方はしない。
実に理詰めで堅実である。
< 甘い日本の段位 >
日本の段位とヨーロッパの段位の格差が言われて久しい。
私は日本では5段で打っているが、ヨーロッパでは3段で登録した。(写真:日独対抗戦)
ところがもう3段では勝てなくなってきた。
チロルの後、オランダで開かれたヨーロッパ囲碁コングレスにも転戦した。
ここでも3段の壁を感じた。
ヨーロッパ全体の棋力が上がってるのに対し、こちらは右肩下がり、とくに認知症気味なのか、ここ数年集中力が続かなくなった。
来年からは一つ落として参加しようと思った。
チロル囲碁の旅を発案し、長い間囲碁愛好者の世話をしていた中山典久プロは、もくもくと参加者に指導碁を打っていた。
十年前も今日も変わらぬ作務衣姿だった。(写真左)
まだ引退はしていないが、今回は付添い人同伴で体調には相当気を使っているようだった。
寄る年波をはねのけ、いつまでも文筆と盤上で活躍してもらいたいものである。
1週間、あっという間の懐かしのチロルの旅だった。(完)
札幌:望田武司
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