日本Webリポート&ニュース
お茶の間の邪馬台国論(35)
〔 私の独り言 〕
幕を下ろしたうえで、気楽な独り言に今少しお付き合いください。
北部九州のどこにあったのか…。
前出の北部九州の有力な比定地で、弥生時代および、それに続く古墳時代の遺跡が多い地域といえば、甘木市、八女市、遠賀川流域、行橋市などがあげられます。
その中で、甘木市には、記紀の高天原に出てくる地名と、良く似た地名が多く残っています。たとえば、甘木=天(あめ)の城(き)、夜須川=天の安川、香(かぐ)山=天の香具山などがあります。おまけに、大和の飛鳥地方と良く似た地名が、飛鳥と相似形に存在することが、安本美典氏等により指摘されています。
ここから東征した部族が、甘木の地形に似た大和のあちこちに、故郷を懐かしんで同じ名前を付けたからではないか…。
全国に似た地名は結構多いため、単純に地名の類似だけでは考証するのは危険ですがなんとも魅力的な場所です。
東征軍の大将神武天皇の、九州における領地ではなかったかと推量しています。
また遠賀川の流域では、上流の桂川(けいせん)町周辺には、弥生~古墳時代の遺跡が密集し、とくに王塚装飾古墳は有名です。
私は飯塚市を含むこのあたり一帯を投馬国と推定しています。
下流の「岡の水門」に比定される芦屋町には、最古の稲作の遺構があり、また宗像の君徳善(とくぜん)の墓という、宮地嶽古墳のある津屋崎にも近く、一帯は宗像氏(海人(あま)族)の勢力圏であったろうと思います。
従って、豊玉姫、玉依姫の実家である海神(わだつみ)の国はここで、不弥国ではなかろうかと推測しています。
八女市は筑後川の流域の肥沃な平野で、古代の遺跡が密集している地域です。
とくに筑紫の君磐井(いわい)の墓とされる古墳や、石陣山(せきじんやま)古墳など、九州最大級の前方後円墳が多数存在しています。
代々筑紫の君がいたところと言われています。
行橋市は近年、市内下稗田(しもひえだ)から大規模な弥生集落遺跡が発掘され、弥生のクニの七つ道具が出揃いました。
我国最古級の石塚山古墳(京都市苅田町)や、宮内庁所管になる重要古墳を始めとする古墳群、海彦山彦伝承地の蓑(みの)島、豊前国分寺、御所谷神護石(こうごせき)*など、古代から連綿と大きな権力が存在したことが窺われます。
代々豊の君がいたところと言われています。
ちなみに、市政がしかれる以前は、京都郡(みやこぐん)に属していました。
宇佐八幡宮は、全国で4万余社を数える八幡宮の総本社です。
鎮座する亀山は、卑弥呼の墓ではないかという説もある古式の前方後円墳で、近くの豊後風土記の丘には、これも我国最古級の赤塚古墳を始めとする古墳や方形周溝墓があり(こちらは莵狭都比古、莵狭都比売の墓所と言われています)、遺跡には事欠きませんが、弥生のクニの存在を示す集落跡が発見されていません。
以上、北部九州における有力な比定地から、私の独断で5ヶ所選抜してみました。(以下、次号に続く) 下に地図あり。↓
松戸:高見航毅

<関連記事>
- Comments: 0
-
« 2012 年 2月 » 月 火 水 木 金 土 日 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 -




