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2008-05-13 (火)

お茶の間の邪馬台国論(23)

その俗、国の大人は皆四・五婦、下戸も或いは二・三婦。婦人は淫せず、徒忌せず。窃盗せず、訴訟少なし。其の法を犯すや、軽き者は其の妻子を没し、重き者は其の門戸を滅す。及た宗族の尊卑、各おの差序ありて、相臣服するに足る。租賦を収むるに、邸閣あり、国国に市あり、有無を交易し、大倭をしてこれを監せしむ。 

 倭人社会は一夫多妻制で身分の高い金持ちは4~5人の妻を持ち、そうでない人でも2~3人の妻を持っている人がいます。婦人は浮気もしないし、むやみに嫉妬もしません。また盗みもしないし、従って訴訟ざたになることは滅多にありません。もし法を犯すと、罪の軽いものはその妻子を没収され、重罪の者は其の家を断絶されるのです。

 また一族の中にも序列がきちんとあって、それぞれに心服し合っています。

 租税や賦役もちゃんと納められており、それを収納する府庫があります。

 国々には市が開かれて、盛んに交易がなされていますが、トラブルの起きないように、国では大倭(だいわ)という官吏を派して、監督させています。

 

 前項と並んで、この辺りはちょっと現実離れのした、理想社会が描かれています。

 前出の孔子の「道の行われる国」、或いは中国に古くからある「東方は神仙の国」という、中華の人々の憧憬(どうけい)が反映しているのではないかと言われていますが、私はもう一つ、陳寿、張華などの「倭はすばらしい君子の国」という作為が働いているのだと思います。

 

  女王国より以北には、特に一大率を置き、諸国を検察せしむ。諸国、これを畏れ憚る。常に伊都国に治し、国中に於いて刺史の如きあり。王、使を遣わして京都・帯方郡・諸韓国に詣らしめ、及た郡の倭国に使するや、皆津に臨みて捜露し、文書・腸遺の物を伝送して女王に詣らしめ、差錯するを得ず。 

 女王国より以北の国々とは、前出の対馬国~投馬国と考えるのが自然でしょう。

 それらの国々は、伊都国に常駐する一大率によって検察されていますが、一大率は中国でいう刺史(しし)(中央政府が派遣する郡県の検察官)のようで、諸国に畏(おそ)れ憚(はばか)られています。一大率は、女王が洛陽や帯方郡、あるいは三韓の諸国に使いを派遣するとき、また帯方郡司が倭国に使いを遣したときには、港で荷の査察を行い、文書や賜り物が間違いなく女王の手元に送達されるよう検察するのが役目です。

 

 一大率の派遣者が女王ではなく、帯方郡司ではないかという説があります。

 私は「刺史の如きあり」と中国の官名に例えているわけですから、やはり女王国が派遣した「倭国の官」と読むのが妥当であると思います。

 また洛陽、帯方郡の朝貢氏や、三韓への使い、および帯方郡から女王への使臣等(の荷物)を、臨海地で検察するというのですから、一大率は今でいう税関に相当する役目を負わされていたのではないでしょうか。

 後出の「倭国乱れ、相攻伐すること歴年」の主な原因は、非常に旨味のある中国や三韓との交易に関わることではないでしょうか。とくに後漢朝や魏朝との交易は(入貢)、わずかな貢物で豪華な下腸品が手に入るため、倭の臨海の諸国は、大陸の情報に耳を欹(そばだ)て、熾烈(しれつ)な競争を展開していたことでしょう。そこに利害の衝突が頻繁にあって、ときには戦におよぶこともあったでしょう。

 そのうち一定のルールが生じ、邪馬台国を盟主とした連合体制によって運営されるようになり、互いにルール違反をすることのないように検察するため、一大率が置かれたと思うのです。

 

  下戸、大人と道路に相逢えば、逡巡して草に入る。辞を伝え事を説くに、或は蹲り、或いは跪き、両手は地に拠り、これが為に恭敬す。対応の声を「噫」と曰い、比するに然諾の如し。 

 身分の低い者が身分の高い者に道で会うと、あわてて道を譲って、道端の草の中に入り、何かをお願いしたり、伝えたりするときは蹲(うずくま)ったり跪(ひざまず)いたりして、両手を地につけて恭(うやうや)しい態度をとります。

 「あい」と相槌(あいづち)をしていますが、どうやら「分かりました」という応諾の意味らしい。(以下次号に続く)

松戸:高見航毅

 

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