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2008-04-27 (日)

お茶の間の邪馬台国論(22)

 其の往来・渡海して中国に詣るに、恒に一人をして頭を梳らず、蝨を去らず、衣服垢汚し、肉を食らわず、婦人を近づけず、喪人の如くせしめ、これに名づけて持衰と為す。若し行くこと吉善なれば、共に其の生口・財物を顧み、若し疾病あり、暴害に遭えば、便ちこれを殺さんと欲す。其の持衰謹まずと謂えばなり。

 中国にはない持衰(じさい)の風習を紹介しています。

 倭国から中国への遣使団等には、必ず持衰と称する人が一人決められるのですが、持衰は遣使団が往復して帰ってくるまでは、髪を梳(くしけず)ることなく伸び放題にし、体も洗わず、蚤(のみ)や虱(しらみ)を駆除することもせず、衣服も汚れるにまかせて、肉食も避け、もちろん婦人を近づけるようなこともせず、あたかも喪中の人のような毎日を強いられるのです。

 もし遣使団が往還何事もなく無事に生還すれば、生口(奴隷)や財物が支給され、反対に何か事故があったり、病に倒れる人がいたら、持衰の謹みが足りなかったということで、殺されることもあるのだそうです。

 この持衰が一行に随行するのか、また居残って待つのかは、意見の別れるところですが、南洋の島々では最近まで同様の風習が行われていました。

 また後に出てくる狗奴国との戦争において、女王国が負けたという説をなす人々がいます。この人達はその後の卑弥呼の死亡記事について、卑弥呼は持衰の役割を担っていて、負けたがために殺されたのだと解釈しています。  

 真珠・青玉を出だす。其の山に丹あり、其の木に(?つくり・冉)・杼・橡樟・櫪・投橿・烏号・楓香あり。其の竹に篠・桃支あり。薑・橘・椒・襄荷あるも、以て滋味と為すを知らず。猿・黒雉あり。

 倭国の産物と植生を紹介していますが、それぞれの読みと解釈に諸説あります。

 宝玉の類は真珠とヒスイを産出します。

 野や山にはタブの木や、トチ、クヌギ、ナラ、クス、スギ、カシ、ヤマグワ、カエデ等、ほぼ現代の日本と同じ、温帯樹林に近い植生であったことが窺い知れます。

 ただ私達に縁の深い松が書かれていません。一説によると松は温帯照葉樹林が後退するときに、替わっていち早く進出してくるので、邪馬台国のときが丁度、気候の変動期に当るのではないかという人もいます。

 ほかに生姜(しょうが)、橘、山椒(さんしょ)、茗荷(みょうが)等も自生するけれども、倭人はまだ食用とする道を知らない。また猿や雉(きじ)も住んでいると報告されています。

  其の俗、ことを挙い、行き来し、云為する所あれば、輒ち骨を灼きて卜し、以て吉凶を占う。まず卜する所を告ぐ。其の辞は令亀の法の如く、火を視て兆しを占う。

 倭人は何かをやろうとするときに、それぞれ異なる意見が出た場合には、獣骨を焼いて、その良し悪しを占います。その占い方は中国の亀卜(きぼく)のやり方のように、まず何を占いたいかを告げ(貞問(ていもん)の辞)、火によるひび割れをみて、ご託宣(辞(ようじ))とするのです。この辺りの記述はまったくシャーマンであり、大分県宇佐八幡宮に伝わる、兆(きざ)し竹による占卜のやり方と同じです。

  其の会同に坐起するに、父子、男女、別なし。人性、酒を嗜む。大人の敬する所を見れば、但だ手を搏ちて、以て跪拝に当つ。その人の寿考、或いは百年、或いは八九十年。

 集会などで大勢集まるときには、その席次に長幼や男女の別はありません。

 また人々は酒を好み、良く飲みます。

 身分の高い人に敬意を表するときも、ただ拍手(かしわで)を打つのみで跪(ひざまず)くことまではしません。倭人の寿命は八九十歳から百歳と大変な長寿です。

 

 なんとも陽気で闊達な社会が描かれています。儒(じゅ)の理想社会を反映しているのでしょうか。しかも大変な長寿社会です。もっとも倭人は春と秋で二歳、つまり年に二歳でカウントしていたからだという説もあります。

松戸:高見航毅

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